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私がものを書き始めたのは|言葉の無い歌|小石かつら

言葉の無い歌

Text & Photos by 小石かつら(Katsura Koishi)

ヴェネチアの水路にかかる橋
メンデルスゾーンによる鉛筆のスケッチ(1830年10月18日)

もともと、文章を書くのは苦手(笑)。今回のお題はほんとうに難しい。6月に出されたのは、「私がものを書き始めたのは」もしくは「私が書く理由」を選んで書きなさい、というもの。約3ヶ月、考えてもかんがえても、何を書けばよいかわからない。

ちょっとはぐらかすと、書き始めてから今に至るまで、異口同音に「難しい言葉がなくて読みやすい」という感想をもらってきた。正直、とてもうれしく思っている。

私としては、実のところ「難しい言葉」の使い方が、いまいちしっくりこない。きっと、適切な時期に勉強しなかったからだと思う。言い訳すると、それを習得すべき時期にはずっとピアノを練習していた。普通科の高校だったがピアノ科に進学するつもりでいたので、周囲の人がやっている勉強を「私は例外だから(そんなに)しなくていい」と思って高校時代を過ごした。いわずもがな、大学ではピアノ三昧。もちろん、音楽学に取り組み始めてから日本語も外国語も勉強したし、専門書も論文も読む。けれども原稿を書く時は辞書を放せない。というのも、私が書きたいことがらの感覚と、私が選んだ言葉との間に横たわる違和感が、いつも、あまりに大きいからだ。さらに文章が読み進められるときに流れる時間についても、私は悩んでしまう。言葉の持つ意味やイメージが、読む人の思索や感情が動く時間と、どのように嵌まってゆくのか。「書かれた文章そのものの起伏」と「読まれる時間の流れ」との関係は、どのように一致してゆくのか。

しかし、いったいぜんたい、難しい言葉とは何だろう。わかりにくい、ということだろうか。果たして文章は、読むと「わかる」のだろうか。書くと「伝えられる」のだろうか。

ところで。

音楽学の研究者としての専門は、F. メンデルスゾーンということになっている。これは偶然なのだけれど、ピアノをやっていた時には、メンデルスゾーンの作品はひとつも弾いたことがなかった。全く知らない作曲家だった。ではどうしてメンデルスゾーンなのか。

ピアノを弾く時、「譜面に書いてある通りに弾く」というのは大前提。その一方で、「ただ譜面通りに弾くのでは演奏者の個性がない」と言われるのも、しかりである。ひとりの演奏者として、作曲家と対話し、自身と対話し、そして表現することで聴き手と対話する。具体的には、楽譜を丹念に読み解き、理解し、自身の技術で音にする。こういうひとつひとつの細かなことがらを、どのように積み重ねていくかという、その演奏者としての立ち位置に大変とまどった。演奏者という存在は何者なのだろうか。ひるがえって、そういうプロセスで存在していく音楽とは、何なのだろうか。音楽は、楽譜や音であらわすものだけれど、そこに込められたものは、音でもって、果たして伝わるのだろうか。

「演奏」ということにこだわるうちに、演奏が行われる「場」としての「演奏会」が気になった。留学する時、大好きな作曲家、シューマンの活躍した街に住みたいという理由でライプツィヒを選んだ。劇場から徒歩圏の学生寮に住み、毎夜、演奏会やオペラに通いつめた。客席を含めた音を取り巻く雰囲気——むせるような濃い空気、人の存在の厚い気配——に虜になった。その、ライプツィヒの演奏会の在り方を決定づけた超重要人物こそが、メンデルスゾーンだったのである。むろん、作曲家としてのメンデルスゾーンではなく、音楽監督としてのメンデルスゾーンである。

無言歌「ヴェネチアのゴンドラの歌」op.19-6 自筆譜(1830年10月16日)

そんなメンデルスゾーンの代表的な作品群に、ピアノのための《無言歌集》がある。「言葉の無い歌」だ。メンデルスゾーン本人はこれについて有名な言葉を残している。曰く「言葉は音楽を語るのに十分ではない。人々は音楽は曖昧だと言って嘆き、言葉は万人が理解すると言うが、私にとっては全く逆である。言葉こそ不明瞭で誤解を招くもので、音楽は言葉よりはるかに魂を満たしてくれるものである」。

「人々」である私は思う。音楽は曖昧で、何を伝えたいのかもわからないし、何を受け取ったのかもわからない。それに、うっかりしていたら過ぎ去ってしまうくらい、はかない。消えた音は戻らない。それなのに、メンデルスゾーンは言葉の方が不明瞭だと言う。いや、そんなことはない。言葉は、思考を正確に表現することができる媒体ではないのか。

そうして日々を過ごすうち、はたと気づく。言葉が、正確に表現することができると思い込んでいることの浅はかさ。そして言葉が、力不足であると言い切る感性の深さ。これは、メンデルスゾーンとの、しびれるような出会いだった。しかも、メンデルスゾーンは自分が何者かを追求し、「伝える」ということについて、ずっとずっと悩んでいた。

私がものを書き始めたのは、2009年、メンデルスゾーン生誕200年における雑誌『レコード芸術』の特集記事である。メンデルスゾーンの研究者として、国立音楽大学の吉成順先生が私を紹介してくださったのだと、編集の方にうかがった。

(2020/10/15)