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カリフォルニアの空の下|アートとマインドフルネス|須藤英子

アートとマインドフルネス
Art and Mindfulness

Text & Photos by 須藤英子(Eiko Sudoh)

◆ロサンゼルスでのコロナ禍生活
アメリカで最も感染者数の多い地域となってしまった、ここカリフォルニア州ロサンゼルス郡。7月中旬には美容院やジム、モールなどが再シャットダウンされ、街には空き店舗が目立つようになった。子どもたちの習い事でも廃業してしまうところが出てきて、コロナ禍の影を身近に感じるこの頃だ。

そんな中、8月下旬から学校の新年度が始まった。夏休み中に対面学習再開の準備は進んでいたものの、結局登校は叶わず、授業は全てオンライン。州の安全基準を満たすまではこの状態が続く予定で、長期化しそうな在宅学習に、親としては不安を感じる日々だ。それでも子どもたちは、格段に改良されたオンライン授業を通して、久しぶりの学校コミュニティを楽しんでいる。

このような制限下にありながらも、人々はカラフルなマスクで顔を覆い、できる限りの屋外生活を楽しんでいる。日々拡充されていくオンライン生活への反動も、あるのだろう。街では日用品の買い物、公園ではジョギングやピクニック、そしてレストランでは屋外飲食…。アメリカ最大の感染地域であるにも関わらず、暮らしを積極的に謳歌しようとするその人々の姿勢は、さすがカリフォルニアだ。

だがそんな雰囲気が度を超えて、大人数でのパーティーを催す家さえ出始めた。ロサンゼルス市長は、主催者宅の水道と電気を差し止めるよう勧告。自由を求める人々と、それを取り締まる権力との攻防は、激しくなる一方だ。最近の感染者数の減少を受けて、9月には美容院等の営業が再び許可され始めたが、決して楽観はできない。今後も規制と緩和を繰り返しながら、このカオスは続いていくのだろう。

◆UCLArts &Healthの試み
そんな中、私は最近マインドフルネスという言葉に興味を持つようになった。“今この瞬間に意識を向けること”を意味するこの言葉には、コロナ禍の現在、心身を健全に保っていくための秘訣が隠されているように思う。きっかけは、UCLArts &Health(https://uclartsandhealing.org/)による無料のオンライン講座だった。

UCLArts &Healthは、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)の関連組織である。主に教員やカウンセラー、そしてアーティストを対象に、アート療法に関する講座を数多く提供してきた。コロナ禍を受けて、資格授与講座を含むほぼ全ての講座を現在オンライン化している。

私が受講しているのは、3月から開始された一般向けの無料のオンライン講座、Hope(Healing Online for People Everywhere)シリーズである。「前例のない時代に、芸術を通じてグローバルコミュニティの回復力をサポートすること」を目的として、月4回程のペースで、毎回異なる講師が様々な講義を提供している。私はこの夏、「子供たちがストレスや不安を解消するための手助け」(Helping Kids Manage Stress and Anxiety)、「創造のツールとしての怒り」(Anger as a Tool for Creation)等の講座に参加した。

どちらの講座でも、アートセラピーやミュージックセラピーの専門家が、コロナ禍でのストレス対処法を講義していた。その中で、例えば “子どもたちが自らの手の形をなぞり描きすることでマインドフルネスを実現し、落ち着きを取り戻す”、また “音楽に合わせて意識的に呼吸を行うことでマインドフルネスな状態を手に入れ、平常心に立ち戻る” 等、随所でマインドフルネスという言葉が語られていたのが印象的だった。

◆マインドフルネスと音楽
マインドフルネスとは「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」と定義される。「“観る”には、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働き」も含まれるという(日本マインドフルネス学会HPより)。過去や未来から思考を切り離し、あるがままの現在をあるがままに感じることを、マインドフルネスは意味していると言えよう。

先のHope講座では、マインドフルネスに導く手段として、絵を描く、音楽を聴く等のアート活動が使われていた。言語による思考や評価を介さずに、視覚や聴覚を研ぎ澄ませるアート行為は、それ自体がマインドフルネスな行いとも考えられよう。そう思い至ったことで、私の日常での音楽の位置づけが少し変わってきた。

音楽を聴く中で私がマインドフルネスを実感したのは、8月に聴いたアメリカ屈指のソプラノ歌手、ルネ・フレミングのオンライン・リサイタルでのことだった。メトロポリタン歌劇場が初めて有料配信したそのコンサートで、私はそれが自宅のテレビ画面から流れ出る音であることも忘れ、魅惑的な声にただただ聴き惚れた。全てを忘れて音に没入し、“今、この瞬間” に集中する感覚。そんなマインドフルネスを味わった後は、気持ちが満たされ、活力が沸いてきたのを覚えている。

ピアノを弾く中でも、最近よくそんな感覚を味わう。それは、自分が発する音の連なりに身体と意識を乗せていく状態、とでも言おうか。無心で音に心身を委ね続ける感覚は、音楽を奏でる中でこそ味わえるものかもしれない。特にシェーンハットというアメリカ製のトイピアノを弾く時には、その独特な深い金属音からか、マインドフルネスを実感しやすい。過去のことも未来のことも忘れて、生まれては消えていく儚い音に全身を傾ける時間…。そんなひと時が、今では私にとってなくてはならない貴重なリフレッシュの時間となっている。

◆アートをツールとしたマインドフルネス
この3年半、人の入れ替わりが激しいロサンゼルス生活の中で、様々な出会いと別れを幾度となく繰り返すうちに、私は“一期一会”という言葉を日々噛みしめるようになった。なんとなく全てを連続した繋がりの中で捉えていた東京での暮らしとは違い、人も物も時間も、全てはその時その場だけのものかもしれない、という覚悟で過ごす毎日。

だからこそこの一瞬を全力で味わう、そしてその瞬間の連続こそが人生であるという感覚が、この地の生活では自然に備わるのかもしれない。世界最大の感染都市となった現在でもなお、可能な限り“今、この瞬間” の外気や交流を欲する人々の姿は、そんなマインドフルネスな心意気の表れとも言えよう。

だがそのことが感染拡大の一因となっている現状を考えると、悩ましい。外の世界や人との交わりを楽しむ以外の方法で、“今、この瞬間”を味わう術が必要なのだろう。出口の見えないこのコロナ禍生活を心身共に健全に乗り切るには、これまでとは違うマインドフルネスの技が不可欠なのだ。

その点で、先のHope講座のようなアートセラピーに着目した試みは興味深い。人との接触や外の空気をこれ以上望むことができない暮らしの中、アートの力を借りながら心を満たすマインドフルネスの在り方は、一つの大きな救いとなるのではないか。そんなことを想いながら、カリフォルニアの秋空の下、今日も音楽にすがりつつオンライン生活に励む、私の日常である。

(2020/9/15)

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須藤英子(Eiko Sudoh)
東京芸術大学楽理科卒業、同大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメントや普及活動等について広く学ぶ。2004年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。06年よりPTNAホームページにて、音源付連載「ピアノ曲 MADE IN JAPAN」を執筆。08年、野村国際文化財団の助成を受けボストン、Asian Cultural Councilの助成を受けニューヨークに滞在、現代音楽を学ぶ。09年、YouTube Symphony Orchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。12年、日本コロムビアよりCD「おもちゃピアノを弾いてみよう♪」をリリース。洗足学園高校音楽科、和洋女子大学、東京都市大学非常勤講師を経て、2017年よりロサンゼルス在住。