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五線紙のパンセ|夏とババロア|今村俊博

夏とババロア

Text & Photos by 今村俊博(Toshihiro Imamura)

長かった梅雨が明け、途端に連日最高気温が30度を超える日が続いている。蝉も本格的に鳴きだしやっと夏を実感している。夏は『ペンギン・ハイウェイ』が観たくなる。いつだって、この作品を観ている間は夏休みのあの瞬間に戻っている気がするから。

東京に来てから縁あって知り合った友人たちとの付き合いは長いもので、もう8年近くになる。僕を含めた4人は、全員同い年で同性であることぐらいしか共通点がない。地元もバラバラ。出会った頃はお互い学生だったが、いまや住む場所や立場も変わった。それでも会って話すことは何も変わらず、解散して自宅に帰ってくると、その場で何を話したかは覚えていないが心地よい疲労感だけが残る。お互いの誕生日を祝い、年越しをともに過ごす。ここ1,2年はなかなか休みが合わず行けていないがレンタカーを借り旅行にもいく。そんな遅れてきた学生時代のような関係が続いている。
昨年夏、その中の一人の誕生日を祝う場で、他の誰かが買ってきた誕生日ケーキはババロアをメインに季節のフルーツがあしらわれた爽やかなものだった。だがババロアを見たとき、ギョッと驚き、ケーキに伸ばす手が止まってしまった。

ババロア

小学校低学年の頃、両親が共働きで鍵っ子だった僕は夏休みのある日、妹と二人、幼稚園からの友達の家に預けられていた。親同士の親交もあり、兄妹それぞれが同級だったこともあり幾度となく預けられていた。その日もこれまでと同じように、昼までは自宅で過ごし、母のパートが終わるのを先方の家で遊びながら待っていた。ただ暑い日だったということくらいしか記憶にない。その家に行くと、いつも氷の入った少し薄いカルピスを飲みながら、同級の女の子とその弟、そして僕の妹の4人で遊んでいた。
その日が特別だったのか、いつもそうだったのか、もはやはっきりとした覚えはないが、その日はおやつに冷菓子が出てきた。ほのかにピンクがかった白くて弾力のある物体。プリンともフルーチェとも違う。僕が初めてババロアと出会った瞬間だった。ババロアは、そこのお母さんの手作りだったけど、初めて目撃したその異様な姿と口に含んだときのなんとも形容しがたい食感に僕は一口だけでやめてしまった。その状況を見て何か問われた際に僕が悪態をついたのかもしれない。おそらく出されたものを一口食べて「美味しくない」「食べたくない」などと発言したであろうことに対して叱責されたんだと思う。気づいたらビンタをされていた。それまでも、預けられているときにみんな一緒に叱られたりすることはあったけど、ぶたれたことは初めてだったと思う。あまりの出来事に時間が止まったように感じたし、母が迎えに来るまでの間、どのように過ごしたのか記憶にない。ただ延々と泣き続けていたような気がする。
それから20数年、意識的だったか無意識だったかはわからないが、ババロアを食べる機会はなかった。そんな夏の日の出来事を、友人の誕生日会にババロアと対峙したことで、ババロアにトラウマがあることをその瞬間に想い出したのだ。文字でみると重い話と感じられてしまうかもしれないが、どうしようもない笑い話だ。事実、ババロアのトラウマを思い出したその場でも、過去の笑い話として語り、友人たちも爆笑していた。
でも、たぶんこれからもババロアを意識的に食べることはないと思う。小さなつまずき程度の過去だけど。ひょっとしたら、次にババロアに出会うのはまた20年以上先のことかもしれない。

『イヌビト ~犬人~』

もう何ヵ月ぶりかもわからないくらい久しぶりに観劇に出かけた。数か月ぶりの舞台が『イヌビト ~犬人~』で本当に良かったと思える作品だった。いましか出会えないであろう内容だったし、この物語が今後も再演されることがあればいいと思う。
久しぶりの劇場では客席の雰囲気になんだか緊張してしまったし、厳重体制の劇場入り口では自分が何か悪いことしたのでは?とちょっと居心地が悪くなることもあったが、この状況に慣れていくしかないのだろう。こうやって再開した舞台や映画の体験をいつの日か笑い話にできればいいなと楽観的に考えてしまう。ババロアのトラウマを笑えるように、それが何年先になるかはわからないけど。

第1回は現在、第2回では過去のことを書いたので、最終回では未来のことを、と最初は思っていた。でもこの状況では少し先の未来でさえなにもわからない。数か月先に計画されている演奏会の情報を宣伝することさえ躊躇してしまう。2022年に計画している演奏会の話だったりもあるが、もってのほかだろう。せめて、今月末に開催予定の【アンサンブル・リュネット第13回定期公演(振替公演)】で新作が演奏されることが急遽決まったのでこの情報だけでも。演奏会はベートーヴェン生誕250年に関連するプログラムとなっており、僕の作品もベートーヴェンへのオマージュ的なものになる予定である。2,3週間先の演奏会だってどこまでも不確実な状態ではあるが、いまは開催されることを想定して作品を書く日々である。
全3回、お付き合いくださりありがとうございました。また、どこかで。

(2020/8/15)

【活動情報】
★いまいけぷろじぇくと アートにエールを!
参加動画【数える人Vlll/今村俊博(2020)】

★アンサンブル・リュネット第13回定期公演(振替公演)
公演日時:
2020年8月29日(土)
1回目公演 14:15 開場 / 15:00 開演
2回目公演 17:15 開場 / 18:00 開演
アンサンブル・リュネット第13回定期公演 予約フォーム
   ご予約・お問い合わせ(ensemblelunettes@gmail.com )
プログラム:
ベートーヴェンの旋律に基づくコンサート・マーチ「歓喜」:L.v.ベートーヴェン(谷風佳孝 編作)
2つのオブリガート眼鏡付き二重奏曲 作品32:L.v.ベートーヴェン(森本英希 編曲・補作)
運命の扉からこんにちは:森本英希
新作:今村俊博(アンサンブル・リュネット委嘱作品 世界初演)
エリーゼのために 作品59:L.v.ベートーヴェン(アンサンブル・リュネット 編曲)
エリーゼがダメに:森本英希
エロイカの主題による変奏曲とフーガ 作品35:L.v.ベートーヴェン(江戸聖一郎 編曲)
詳細

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今村俊博(Toshihiro Imamura)
1990年大阪府生まれ。作曲家・パフォーマー。
東京藝術大学大学院美術研究科修了。第6回JFC作曲賞入選。
作曲を井上昌彦、川島素晴、古川聖の各氏に師事。
池田萠との「いまいけぷろじぇくと」、藤元高輝との「s.b.r.」メンバー。「数える/差異/身体」をテーマに創作活動を展開。