本村睦幸+ジュゴンボーイズ オンラインコンサート|大河内文恵
本村睦幸+ジュゴンボーイズ オンラインコンサート
Mutsuyuki MOTOMURA and Jugon Boys Online concert
2020年7月15日 オンラインコンサート
2020/7/15 Online
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
写真提供:本村睦幸
<演奏> →foreign language
本村睦幸(リコーダー)
ジュゴンボーイズ:
山本徹(バロックチェロ)
根本卓也(チェンバロ)
<曲目>
F.M. ヴェラチーニ:リコーダーソナタ 第11番 ヘ長調
F. クープラン(ジュゴンボーイズ編):ヘ長調のコンセール
灰色服部隊の行進/感動/半身獣・サテュロス
N. フィオレンツァ:リコーダーソナタ イ短調
S. ランゼッティ:チェロソナタ 作品1の10 嬰へ短調
N. シェドヴィル:〈ヴィヴァルディの忠実な羊飼い〉より ソナタ第4番
~アンコール~
オトテール:組曲作品5の4より、ロンドー
当初7月15日には、本村とジュゴンボーイズによるCD〈ナポリのリコーダーコンチェルト〉のリリースコンサートが予定されていた。コンサートそのものは延期されたものの、会場をルーテル市ヶ谷ホールからスタジオピオティータに変更し、オンラインコンサートが開催された。今回は無観客ではなく、限定9席のみスタジオ観覧を設け、そこからリアルタイム中継をする形でおこなわれた。
いまだ続くコロナ禍のなか、感染拡大防止と演奏会の開催との共存を図るべく、さまざまな試みがなされている。オーケストラの演奏会など規模の大きめの演奏会では、観客数を絞って大きなコンサート会場でおこなうことが定着しつつあるが、小さな会場でおこなうことの多い室内楽や古楽の演奏会では、なかなか難しい。他方、無観客で中継コンサートをおこなう試みもみられる。7月13日のヴォーカル・アンサンブルカペラの無観客コンサートでは、東京カテドラル聖マリア大聖堂での素晴らしい響きを自宅など世界各地の任意の場所で聴くことができ、1つのありかたを示した(ただ、想定以上に多くの視聴者がいたために回線がパンクし、途中から映像を切って音声のみの配信になった。とはいえ、そこでバックアップ回線に誘導し、音声だけで配信する決断をした現場のスタッフには感謝したい。それによって音声だけでも堪能できる演奏だったことが図らずも証明されることとなった)
そういったなか、今回の限定された観客とリアルタイム配信といった形態は、オフラインとオンラインのいいとこどりである。筆者はオンラインで聴いたため、オフラインでどのように聞こえたのかはわからないが、3か所のカメラで撮られた映像が適宜切り替わり、まさに中継をみているような臨場感があった。むしろ、チェンバロ奏者の左上からの手元の映像は普段の演奏会では決して見られないもので、貴重な機会であったといえる。
演奏中はマスクなし、トークのときだけマスクをしてしゃべるというやりかたに、最初は演奏者も聞いているほうも慣れなくて不思議な感じがしたが、これも今後お互いに当たり前になっていくのだろう。演奏者というのは、目の前の観客に向かって演奏なりトークなりをするのは日常茶飯事だが、カメラの向こうの観客を意識することに慣れている人はまれであろう。目の前の観客とカメラの向こうの視聴者とを同時に意識しながら、進行していくというのは、演奏家の新しい日常になっていくのだろうか。
今回のオンラインコンサートは無料で配信され、当日までに投げ銭をした人のみ終了後も観ることができるシステムになっている。当日にリアルタイムで観ていた筆者は、家族のいるリビングルームの一角でヘッドホンをして聴くはめになり、本村のゆるゆるとしたトークの面白さなどを楽しんでいたのだが、後日1人の静かな空間で、楽譜を見ながら録画を聴き直して仰天した。
こんなにすごい演奏だったのか。シンプルな中にもエネルギーに溢れている曲だと感じながら聴いていた1曲目のヴェラチーニは、1楽章と3楽章のLargoでリコーダーとチェンバロとのし烈な即興の応酬が繰り広げられており、リピート記号はすべて繰り返しをしているのに、少しも飽きることがない。日常から遮断された空間である演奏会場と異なり、日常の空間にいると集中しきれないデメリットがある一方、自宅にいても逆に集中できる環境が整えば、楽譜を見ながらがっつり聞くという会場ではできないことも可能になる。そういう意味で、コンサートの時間に1人になれるとは限らない人間にとって、アーカイヴを視聴できるというのは有難い制度だと痛感した。
2曲目のジュゴンボーイズ編によるコンセールは、元々の彼らの活動である5弦バロックチェロ(通常の4弦よりも音域が広く、高い音も出る)でクープランのオルドル(組曲)を組み直して演奏していたものを、4弦バロックチェロでも弾ける音域の低い曲を調の合う組み合わせで編んだのだという。コンサートでは根本による1曲ずつの詳しい解説もあったのだがここでは省略する。
クープランの元の鍵盤曲の楽譜を見ながら聴くと、大幅な編曲はされておらず、ほぼ楽譜そのままなのだが、イネガル(楽譜では均等に書かれているものを不均等に演奏する)の入れ方が多彩で、繰り返しが来ても最初は付点だったものが2回目は逆付点になっていたり、いわゆる付点ではない揺らし方をしていたりと一瞬たりとも気が抜けない。いや、一番気が抜けなかったのは、山本の揺さぶりに対応しきった根本自身だったろうと思う。リアルタイムで聞いたときには、山本が攻めた演奏をしているという漠然とした印象しかなかったのだが、おそらく曲を知り尽くしている人が会場で聞いたら、面白くて堪らなかったにちがいない。
本村自身が「相当変な曲」と評したフィオレンツァのソナタ。1楽章のゼクエンツに酔いしれ、4楽章の超絶技巧をあまりにも淡々と弾く山本に感嘆するランゼッティのチェロソナタ。「言ってみればおかしな曲」なシェドヴィルの曲と、後半は「本当に巧い人が本気で遊ぶとこうなる」見本のような時間が流れ、あっという間に終演。
今回はオンラインでのみ聞いたが、もしオフラインとオンラインと両方で聞いたら、どんな風に感じただろうかとも考える。録画を聴き返してみて、聞くたびに新たな発見があることを考えると、「音楽を聞く」という行為の新たな地平が切り開かれつつあると確信せざるを得ない。
(2020/8/15)
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<performers>
Recorder: Mutsuyuki MOTOMURA
Jugon Boys
Baroque cello: Toru YAMAMOTO
Cembalo: Takuya NEMOTO
<program>
Francesco Maria Veracini: Recorder Sonata No. 11 in F major
François Couperin [arr. Jugon Boys]: Concert in F major
La Marche de Gris-vêtus(ordre 4) / L’Attendrissante (ordre 18) / Les Satires, chèvre-pieds (ordre 23)
Nocola Fiorenza: Recorder Sonata in A minor
Salvatore Lanzetti: Cello Sonata in F sharp minor op. 1-10
Nicolas Chedville: Sonata IV from “Vivaldi: Il Pastor Fido”
–Encore—
Jacques Hotteterre : Suite in B Minor, Op. 5, No. 4 Rondeau