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撮っておきの音楽家たち|ピーター・アドルフ・ゼルキン|林喜代種

ピーター・アドルフ・ゼルキン(ピアニスト)
Peter Adolf Serkin, Pianist

2015年10月5日 トッパンホール 
2015/10/5 Toppan Hall
Photos & Text by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

ピアノの貴公子としての印象が強いピーター・アドルフ・ゼルキンが2020年2月1日すい臓がんのためニューヨーク州レドフットの自宅で亡くなった。72歳。父は高名な大ピアニストのルドルフ・ゼルキン。母方の祖父はドイツの偉大なヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュという音楽一家に1947年7月に生まれた。ピーターのミドルネームの「アドルフ」は祖父のアドルフ・ブッシュに因んで付けられたという。幼少期から英才教育を受け、11歳よりカーティス音楽院で学び始める。1959年ジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団との共演でカーネギーホールデビュー。1966年19歳でグラミー賞最優秀クラシックアーティスト新人賞を受賞。しかし偉大な父親の重圧に苦しむ。またベトナム戦争の泥沼化、既成社会の保守的な価値観を否定する運動が生まれたアメリカ社会の影響を受け、1968年にはピアノからも音楽からも離れ妻子と共にメキシコに移住する。1年過ぎた頃偶然隣家のラジオから聞こえてくるバッハの曲を耳にして、「私が、音楽をすべきということが明確になった瞬間だった」と後に述べている。音楽界に復帰した彼はリサイタルだけでなく、一流のオーケストラとの共演を始め多くの名演奏家たちと室内楽演奏を行なう。1973年に結成した室内楽グループアンサンブル「タッシ」(TASHI)は音楽界に大きな刺激を与えた。「TASHI」はチベット語で幸福の意味。メンバーはクラリネットのリチャード・ストルツマン、ヴァイオリンのアイダ・カヴァフィアン、チェロのフレッド・シェリー、そしてピアノのピーター・ゼルキンの4人である。もともと結成の目的はメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を勉強するためだった。日本では1973年武満徹企画・構成による第1回「今日の音楽」(MUSIC TODAY)が渋谷の西武劇場のオープニング記念として始まった。そこにアンサンブル「タッシ」も参加する。ピーター・ゼルキンはヒッピー然とした成りでソリストとしても出演する。武満徹の音楽を通しての深い理解のもと1978年第6回「今日の音楽」にも出演、以来緊密なつながりが出来る。父ルドルフ・ゼルキンともバッハのゴルトベルク変奏曲を通して無言の和解を果たす。日本へは2015年、2017年ゴルトベルク変奏曲、広島交響楽団による恒例のコンサート「平和の夕べ」に参加。広島で被爆して亡くなった女学生の明子さんのピアノを演奏した音源が、2018年CD化された。2019年11月リサイタルとN響との共演が体調不良で中止された。ピーター・ゼルキンはバッハから現代音楽まで幅広い音楽世界を端正に届けてくれた。

(2020/5/15)