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オペラシアターこんにゃく座公演 オペラ『イワンのばか』|齋藤俊夫

オペラシアターこんにゃく座公演 オペラ『イワンのばか』
Opera theater Konnyakuza “Ivan’s fool”

2020年2月10日 あうるすぽっと
2020/2/10 Owlspot theatre
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 前澤秀登/写真提供 オペラシアターこんにゃく座

原作:レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ        →foreign language
台本・演出:坂手洋二
作曲:萩京子

<スタッフ>
美術:堀尾幸男
衣裳:宮本宣子
証明:竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
振付:山田うん
舞台監督:森下紀彦
演出助手:城田美樹
舞台監督助手:神永結花
音楽監督:萩京子
宣伝美術:沢野ひとし(イラスト)、片山中藏(デザイン)

<出演、演奏>
セミョーン、農民:髙野うるお
タラス、農民:富山直人
イワン、農民:佐藤敏之
マラーニャ、農民:鈴木裕加
小悪魔・松、農民、回想の女、インドの女兵士、タラカン兵:豊島理恵
小悪魔・竹、農民、イワンの母親、回想のこども、インドの女兵士、タラカン兵:沖まどか
小悪魔・梅、農民、乞食ばあさん、インドの女兵士、タラカン王:岡原真弓
大悪魔、農民、イワンの父親、イワン・イリッチ:大石哲史
バラライカ(農民)、姫(後にイワンの妃)、インドの女兵士、ほか:小林ゆず子
ドムラ(農民)、セミョーンの執事、イヌ、インド王、ほか:北野雄一郎
グースリ(農民)、セミョーンの妻、王様、ほか:沢井栄次
バヤン(農民)、タラスの妻、イワンの国の大臣、タラスの国の使いの者、ほか:泉篤史

ヴァイオリン:山田百子
ファゴット・バラライカ:前田正志
ピアノ:服部真理子

 

漠とした昨今の日本と世界の雰囲気――戦争を怖がらずに「勇ましい」言動を誇る――無限の経済発展が可能であり金儲けを至上のものとする価値観――世界の指導者とその支持者たちのそれら「賢い」言葉に反抗できない自分がいる。
そんな中、今回の『イワンのばか』の「無垢」は「賢い」世界に対する、オペラならではの非常にラディカルな反抗と思えた。

物語はトルストイの原作(筆者は岩波文庫版を参照)をほぼ忠実になぞっている。
イワンたち兄弟を不仲にさせようとする大悪魔・小悪魔たちが企みをするが、賢いイワンの2人の兄・軍人のセミョーンと商人のタラースには成功しても、イワンにはその「ばか」さ加減によって失敗してしまう。イワンが小悪魔から得た魔力によってセミョーン、タラースはそれぞれ王様になり、イワンも王様になるのだが、彼は王冠を捨てて野良仕事を続ける。
大悪魔はセミョーン王を戦争で負かし、タラースを経済力で負かし、イワンの国へもタラカン(ゴキブリ)国を焚き付けて軍隊を送り込むが、イワンの国の民たちはみな戦いを知らず、攻められてはただ悲しむのみでタラカン国は戦意喪失して撤退してしまう。大悪魔はイワンの国で「頭を使って働く方法」を演説し続けるが、国民は意味がわからず、大悪魔は疲れて楼台から転げ落ち、奈落へと沈む。

特筆すべきは、オペラ全編に渡る萩京子の音楽の底抜けの明るさと楽しさである。笑顔ならざるなし、といった風情で、音楽的な「影」のようなものが一切ない。セミョーン王に対するインド王の空飛ぶ女攻撃隊の部分なども楽しくて仕方がない。役者たちも笑顔を絶やさず、また観客も。

そして、今回の『イワンのばか』にはトルストイの別作品『イワン・イリッチの死』が入り込んでいた。イワンを貶めようとする大悪魔が、「イワン」・イリッチなのである。
『イワン・イリッチの死』とは、平凡だがそれなりに有能な判事イワン・イリッチが、うっかりしたことから病にかかり、延々と苦しんで死ぬ、それだけの中編小説だが、その死の苦しみと恐怖の描写が凄まじく重い作品である。

「ばかなイワン」と「イワン・イリッチ」を対峙させたのは、「ばか」と「賢人」を対峙させる意図があったのであろう。だが、「ばかなイワン」にその対峙は意味を持たない。「イワン・イリッチ=大悪魔」がいくら賢く立ち回っても、「ばかなイワン」にはその賢さがわからない。
賢さの極みとしての大悪魔=イワン・イリッチ、何のためにかれは「ばかなイワン」たちを賢くして陥れようとするのだろうか?そこには「賢さ」に対する盲目的で「悪魔的な信仰」すら感じられる。しかし人を不幸にするだけの賢さになんの意味があるのだろうか?

オペラの終幕、奈落に落ちた大悪魔が死を目前とした寝台上のイワン・イリッチとなって、初めて2人の「イワン」が対峙する。賢く、そして無意味な生を終えようとするイワン・イリッチと、ばかだが、大いに生き、そしてこれからも生きていくであろうイワンとして。そこでもばかなイワンはただイワン・イリッチと共にいてあげることしかできない。だが、イワン・イリッチは「死の代わりに光があった」(*)ことを悟り、死を受け入れる。

誰にでもやがて訪れる死を前にして、賢愚の差などは意味がない。ただ、〈本当に生きた〉か〈偽りを生きた〉かが全てを決する。そして〈本当に生きた〉ばかなイワンには、〈偽り〉さえも赦す力があるのだ。

イワン・イリッチの死の後、全員が揃って「イワンの国はまだあるのです」と歌い、踊る。その国に私も入りたいと思った。
そして、世の中の「賢い」人にこう尋ねたい。「あなたは本当に生きていますか?」と。

(*)トルストイ『イワン・イリッチの死』(米川正夫訳)岩波文庫、102頁。

(2020/3/15)


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Original story: Lev Nikolayevich Tolstoy
Script, Direction: Yoji Sakate
Composer: Kyoko Hagi

<Staff>
Art director: Yukio Horio
Costume:Nobuko Miyamoto
Lighting:竹林功
Choreography:Un Yamada
Stage manager:森下紀彦
Assistant director:城田美樹
Assistant stage maneger:神永結花
Music director:Kyoko Hagi
Advertisement: (Illustration)Hitosi Sawano/(Design)Nakazo Katayama

<cast>
セミョーン、農民:Uruo Takano
タラス、農民:Naoto Tomiyama
イワン、農民:Toshiyuki Satou
マラーニャ、農民:Hiroka Suzuki
小悪魔・松、農民、回想の女、インドの女兵士、タラカン兵:Rie Toyosima
小悪魔・竹、農民、イワンの母親、回想のこども、インドの女兵士、タラカン兵:Madoka Oki
小悪魔・梅、農民、乞食ばあさん、インドの女兵士、タラカン王:Mayumi Okahara
大悪魔、農民、イワンの父親、イワン・イリッチ:Satoshi Oishi
バラライカ(農民)、姫(後にイワンの妃)、インドの女兵士、ほか:Yuzuko Kobayashi
ドムラ(農民)、セミョーンの執事、イヌ、インド王、ほか:Yuichiro Kitano
グースリ(農民)、セミョーンの妻、王様、ほか:Eiji Sawai
バヤン(農民)、タラスの妻、イワンの国の大臣、タラスの国の使いの者、ほか:Izumi Atsushi

Violin:Momoko Yamada
Fagotto, Balalaika:Masashi Maeda
Piano:Mariko Hattori