特別寄稿|私のフランス、私の音(1)留学、ヨーロッパに住むということ|金子陽子

私のフランス、私の音
Ma France et mes résonances
(1)留学、ヨーロッパに住むということ
(1) Une japonaise à Paris

Text & Photos by 金子陽子(Yoko Kaneko)

素晴らしい教授陣から最先端の音楽教育を伝授いただいた桐朋学園大学音楽科を休学し、私がフランス政府給費留学生として渡仏したのは1987年6月のことだった。演奏者としての自分が探求する西洋音楽(すなわちヨーロッパ大陸の音楽)とそれを産んだ作曲家達のルーツと演奏の伝統を自分の目で知り学びたかった。難関のパリ国立高等音楽院に入学を許された私は、天才的なピアニスト、イヴォンヌ・ロリオ女史のクラスで始めの2年間を学ぶ事となり、夫である当時80歳の大作曲家オリヴィエ・メシアンにも折に触れてお会いすることになる。

メシアン夫妻1991年(ロリオ夫人より)

メシアン80歳記念コンサートプログラムパリ、グランパレ1988年
Musicora 80 ans Messiaen

記念すべきメシアン80歳の年に入学したことで、パリ音楽院ホールとグランパレで開催されたロリオクラスの生徒による氏の作品のマラソンコンサートに、メシアンご本人出席の元、駆け出しの1年生ながらも出演させて頂いた。その2年後には、夫妻の語りと、ロリオ夫人のレッスン風景を収録したフランスのドキュメンタリー番組(後にDVDとして世界で発売となる)に、私にも夫人にとっても特別な存在であった天才作曲家モーツァルトの作品を生徒役で演奏する光栄を頂いた。
余談だが、ロリオ夫人は、なんと、モーツァルトのピアノ協奏曲総てを、オーケストラパートの詳細まで暗譜されて、パリで全曲演奏会を開催したという。この神話に近い偉業からも、現代曲のみにとどまらないその才能の凄さが伺える。

日本はすでに世界の経済大国であったが、インターネットはもとよりファックスもまだ出現していなかった折、1人で外国に行き学ぶ、ということは、祖国の家族や友人達との絆を離れ、社会的評価を白紙に戻したつもりで、新しい言語でスタートするということであった。それは想像に絶するエネルギーと勇気を必要とし、言葉の壁をどれだけ乗り越えられるか、自国人同士で固まらず、ときには孤独と戦いながらどれだけ他文化、他分野の人々と出会い交流し、自分の芸術に生かすことができるか、ということが私にとっての海外留学の鍵だったと思う。
幸い私は、フランスやパリに憧れていた訳でも成功を夢見ていた訳でもなかった。尊敬、信頼できる良い先生をまず探した結果この地となったため、パリに対する何の期待もなく移り住み、徐々にこの国の良さを発見して行ったということが(憧れのパリにやって来て失望する人が多いことを思うと)ある意味で私の「強み」となったと思う。
パリの演奏家教育の特徴としては、効率的に、論理的に沢山の作品を速いスピードで仕上げていく伝統がある。とりわけ現代曲演奏に関しては世界の最先端の多様性とレヴェルだと言える。私は留学前から最も興味を持ち得意とした分野が室内楽であったので、ソロを含め、実に沢山の譜面を留学中に勉強した。ある曲をさらい、休ませ、再びさらい、マスタークラスや本番に出し、と言うように、何年もかけて長い目で将来のレパートリーを大切な宝物のように磨き上げて行ったのである。

数年のつもりでやってきたフランスで、慎ましいながら音楽家としての活動の場をいただき、後には2人の日仏両文化を持つ子供を授かり「親」としてもフランスの社会と深く関わりながら、私はこの地に住み着くこととなった。観光で見るフランスと、留学で体験し理解するフランスは違うし、住人として内部から見るとこれ又違った角度で物事が見えてくるものだ。

日本の家族友人からすると、私はまるで、フランス人に成りきってしまったかのように思われがちであるが、実際は正反対に近い。というのは、フランスでの私は、日本の代表者として、日本文化、政治と過去の歴史についてことあるごとに質問攻めとなる。彼らを構成する要素とは根本的に違う自分の要素に気がつき、私とは、『日本人』とは何だろう、など、とりわけ日本について客観的に考えさせられる機会が圧倒的に増えたのだ。自分と他人の関係、個人と組織の関係、感情でなく論理で物事に対処すること等、日本とヨーロッパでは対照的な部分が多い。他人に合わせ、他人に迷惑をかけない、控え目である、という日本の美徳と言われる考え方が、こちらでは必ずしも通用しないし、宗教が生活の基礎となっている人々の多さには正直驚かされる。そして自らの文化とアイデンティティーを自覚し、他人との意見の「違い」を、感情的でなく「伝える」こと、更には「主張する」こと、が日常生活の至る場面で必要とされる。

私がこの地で出合い交流してきた人々は想像を絶する程文化と生活スタイルの違う人達だ。二重国籍も三重国籍も可能であるフランスという国を構成する要素の豊かさと懐の深さは、沢山の違った文化と宗教を持つ人たち(スペイン、ポルトガル、イタリアからの移民の子孫、アフリカ北部から移住したユダヤ人、フランスとイスラエルを行き来するフランス人でもあるユダヤ人、カリブ海フランス領、もと植民地だったアルジェリア、モロッコ、チュニジア、セネガル、マリといったフランス語圏諸国、イスラム教、ロシアやバルカン半島出身者が占めるロシア正教、多数受け入れたベトナムやカンボジア難民)がこの国に学び、仕事をし、家庭を築いて「フランス国民」を形成しているという事実以外のなにものでもない。
この国では人種、宗教、出身地などで『種分け』をすること、『統計を取る』事自体が憲法違反なのであると同時に、両親ともパリ育ちで生粋のフランス人、という人はかなり珍しいといえる。

Ceremony of remembrance of November 11th at the Arc de Triomphe in presence of Nicolas Sarkozy President of French Republique. Paris, FRANCE-11/11/2010./Credit:MEIGNEUX/SIPA/1011111450

フランスは歴史的に、自国と将来密接に関わって行く学歴のある外国人を(給費留学生など)養成し、寛大に受け入れる政策を展開している。近年ではアフリカ(元植民地だったフランス語圏中心)にかなりの力を入れている。移民問題の最良の解決策は、その国の教育への援助である、というように、長い目で見た『投資』を大切にしている。

この国は私をニホンジンとしても女性としてでもなく、1人の音楽家として人間として受け入れてくれたと私は感じ、有り難く思う。そして、国籍を問わずに次の世代の音楽家の卵達にチャンスと希望を与えることの大切さを実感し、国家レベルでなくとも個人的に、教育者として一石を投じたいと切に思うこの頃である。

金子陽子2020年1月19日フランスリサイタル Affiche récital piano Yoko Kaneko 19 janvier 2020

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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。