音楽にかまけている|目の離せない女性指揮者たち|長木誠司

目の離せない女性指揮者たち
Dirigentinnen im Brennpunkt

Text by 長木誠司(Seiji Choki)

今シーズンのヨーロッパのクラシック界でも女性の活躍は相変わらず顕著であった。ジェンダー差を声高に論じるのは、却って逆差別を産み出しかねないので気をつけねばならないが、実際にはまだまだ女性が主張していかねばならない部分がクラシック界には多い。

ノイヴィルト《オルランド》より
(c)Wiener Staatsoper / Michael Pöhn

例えば、昨年12月8日にはウィーン国立歌劇場で、ヴァージニア・ウルフの原作に基づくオルガ・ノイヴィルト作曲のオペラ《オルランド》が初演されたが、これは同歌劇場が初めて女性作曲家に委嘱したものとして話題になった。かつてウィーン・フィルのメンバーに女性を入れるか入れないかでもめていたウィーンにあって、またひとつ垣根が乗り越えられたとも言えるが、もうこの先は女性音楽家がどうのと、この旧弊な街で言われないようになることを望みたい。現在、ウィーン・フィルのコンサートマスターすら女性が就任しているわけであるし。

この作品、衣装がコム・デ・ギャルソンの川久保玲ということもあって、大きな話題を呼んでいた。一流の人気デザイナーが衣装を担当するというのは、今日のオペラ上演ではけっして珍しくはないが、すでに半年ほど前にパリで第1,2幕の衣装の披露があったものの、第3幕の衣装は初演当日まで秘密ということで、その「戦略」においても関心を呼んでいた舞台である。

当然のことながら、かつてもうひとりの「カイザー」を擁していたベルリンの方が、女性進出に関しては先んじて開けている。例えば、やはり今シーズン11月15日にベルリン・ドイツ・オペラで初演されたオペラ《ハート・チェインバー》は、イスラエルのハイファ生まれの女性作曲家で、日本に住んだ経験もあるカヤ・チェルノヴィンの作品であった。作曲の世界で「女性」性が大いに議論されたのはすでに30年ほど前。今日、もはや歴史上の事実だけを挙げて、女性には作曲の才がないなどと言う愚かなひとはいない。才がなかったのではなく、場がなかったに過ぎないから。

ベルリンでは、州立歌劇場、コンツェルトハウス管弦楽団、そしてベルリン・ドイツ交響楽団で女性のコンサートマスター(Konzertmeisterin。日本では「コンサートミストレス」と呼ぶこともあるが、これはactorとactressを分ける英語式の言い方で、最近ではactress自体も徐々に使われなくなっているから、あえて日本で「コンサートミストレス」という表現を用いる必要もないと思う。もちろん、ドイツ語でも語尾に女性形のinを付ける方法は、文法上仕方がないとは言え、ジェンダー・アイデンティティが多様化している昨今ではできるだけ別の表現が求められている)が活躍しているが、コンツェルトハウス管弦楽団の日下紗矢子は日本では読売日本交響楽団のコンサートマスターとしても馴染みがあろう。また、ベルリン・ドイツ交響楽団には今シーズンから二人目の女性コンサートマスター(今回は「第一」の称号が付くポジション)として、25才のマリーナ・グラウマンが就任した。

しかしながら、ここ10年ほどのヨーロッパとアメリカの音楽界における女性進出の目立つ分野は、なんと言っても指揮者である。すでに女性指揮者(語尾で男女を分けるmaestraという表現にはあまり抵抗がないようだ)はごく普通の職業になりつつあるといっても過言ではない。ここは男女の平等性が恥ずかしくも世界121位の日本とはまったく異なるところだろう。

フランクフルトの市立歌劇場は、かつてミヒャエル・ギーレンのGMD/インテンダント兼任時代にひとつの黄金期を迎えていたが、2002年にインテンダントにベルント・レーベが就任して以来、一皮むけて非常に洗練された歌劇場になった。日本的な意味で「お洒落」になったのは、彼の就任後すぐに誰でもが気付くことだったが、それはレーベがブリュッセルのモネ劇場の芸術監督時代に身に付けたものかも知れない。また、声楽家に関する目利きの良さは、現在この歌劇場で活躍する歌手陣の顔ぶれにも反映されている。

今シーズンのラインナップを見ると、この歌劇場の攻めの姿勢がよく分かる(現在のGMDは読売日本交響楽団の芸術監督であるゼバスティアン・ヴァイグレだが、フランクフルトで示され続けている彼のオペラでの資質が日本ではなかなか知られないのは残念だ)。プレミエはなんと12作もある。そのなかには、ミキエレット演出によるロッシーニの《オテッロ》や、アレックス・オレ演出、アスミク・グリゴリアン主演のプッチーニ《マノン・レスコー》、アニア・カンペ主演のショスタコーヴィチ《ムツェンスク郡のマクベス夫人》、フォーレの《ペネロペ》、バリー・コスキー演出の《サロメ》など、オペラ・ファンには垂涎ものの舞台が目白押しであり、また現代作品としてもヘンツェの《ホンブルクの公子》がプレミエ、ルーカ・ロンケッティの《インフェルノ》が世界初演となる。ヘンデルからロッシーニ、ワーグナー、フランス近代、プッチーニ、そして現代まで、ずらりと均等にプレミエが並んでいるのは壮観で、その間をまた魅力的な再演ものが16作も軒を連ねている。

ヨアナ・マルヴィツ
(c)nikolaj lund

このうち、《ペネロペ》と《サロメ》のプレミエを指揮するのが、現在ニュルンベルク歌劇場のGMDで2019年にオペラ雑誌『オペルンヴェルト』で年間を代表する指揮者に選ばれた女性のヨアナ・マルヴィツである。かつてシモーネ・ヤングがハンブルクのGMDに選ばれた2005年には相当の話題になったが、すでにドイツの劇場には女性のGMDがわんさかいて、もう大きな話題性すらなく、それこそ隔世の感があるが、マルヴィツはニュルンベルクの前には若くしてエアフルトのGMDであったこともあり、また『オペルンヴェルト』での高い評価もあって今シーズンは時のひとでもある。

フォーレ《ペネロペ》より
(c)oper-frankfurt.de

12月1日にプレミエのあった《ペネロペ》(コリンナ・テッツェル演出)は、フォーレがオペラも書けるぞと意気込んで、でも苦労して完成させた作品として知られる。この作曲家の器楽作品における流動的な和声感はやや後退するが、その代わりに思いがけぬ劇性を秘めた作品で、上演頻度は多くないが《ペレアス》などよりもマスネやシャルパンティエのような19世紀のオペラ作家の作品に近い感触を持っている。マルヴィツは、それこそ大きなうねりを持つ作品、ややごつごつとした肌触りではあるが押し出しの強い、強烈な起伏を持つオペラとしてこの作品を描いていた。なによりも、その舞台感覚というか、オペラを前に進める独特の感性がすばらしく、今後のさらなる活躍が楽しみな指揮者である。

カリーナ・カネラキス
(c)Mathias Bothor

ヨーロッパでは、やはりここ10年くらいであろうか、年末にベートーヴェンの第9交響曲を演奏する習慣ができてきた。おそらく日本の影響だろうと思うが、さすがに日本ほどの頻度ではないにせよ、例えば、ベルリンではバレンボイムと州立歌劇場のオーケストラが第9を数回演奏したし、そのほか客演のオーケストラが第9をオルフの《カルミナ・ブラーナ》と併演するなど、体力勝負のような演奏会もちらほらであった。

そのなかでも、ベルリン放送交響楽団を指揮して第9を振った、やはり女性指揮者のカリーナ・カネラキスの演奏が、規模を抑えた編成による現代的なシャープさと軽みを備え、柔と剛を両立させた快演として強い印象を与えた。合衆国出身のカネラキスは、棒のテクニックもあまたいる女性指揮者のなかでもトップ・クラスで、体全体での表現が感度よくそのままオーケストラに伝わっていくのが快感ですらある。今シーズンからオランダ放送フィルハーモニーのシェフを務め、またベルリンでの出番も多くなった。今後、男女を問わず、目の離せない指揮者のひとりになるだろう。

(2020/1/15)

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長木誠司(Seiji Choki)
1958年福岡県出身。東京大学大学院総合文化研究科教授(表象文化論)。音楽学者・音楽評論家。オペラおよび現代の日本と西洋の音楽を多方面より研究。東京大学文学部、東京藝術大学大学院博士課程修了。著書に『前衛音楽の漂流者たち もうひとつの音楽的近代』、『戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス』(作品社)、『オペラの20世紀 夢のまた夢へ』(平凡社)。共著に『日本戦後音楽史 上・下』(平凡社)など。