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松平敬&山田岳デュオ・ライヴ~声とギター~|齋藤俊夫

松平敬&山田岳デュオ・ライヴ~声とギター~
Takashi Matsudaira & Gaku Yamada Duo Live ~Voice and Guitar~

2019年10月20日 公園通りクラシックス
2019/10/20 Koendori-classics
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 稲木紫織

<演奏>        →foreign language
バリトン、声:松平敬
ギター、リュート(*):山田岳

<曲目>
ジョン・ケージ:『18の春の素敵な未亡人』(1942) 詞:ジェイムズ・ジョイス
木下正道:『夏は夜III』(2017) 詞:清少納言
ジャチント・シェルシ:『WO MA』(1960) バス独唱
高橋悠治:『ジョン・ダウランド帰る』(1974)
ジョン・ダウランド:『流れよ、我が涙』(1600)(*)
ジャチント・シェルシ:『KO-THA I,II』(1967) ギター独奏
高橋悠治:『Guitarra』(2013) 詞:セサル・ヴァジェホ
細川俊夫:『恋歌I』(1986)
 1.秋の田の穂の上に霧らふ朝霞 何処辺の方にわが恋ひ止まむ――磐姫皇后
 2.君が行く道のながてを繰り畳ね 焼きほろぼさむ天の火もがも――狭野弟上娘子
 3.由良の門を渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋のみちかな――曾禰好忠
尹伊桑(S.ベーレント編曲):『Gagok』(1972)
(アンコール)ジョン・ダウランド:『カム・アゲイン』(*)

 

公園通りクラシックスは渋谷の東京山手教会、地下駐車場隣りにあるライヴスペース。収容人数は多く見積もって50人くらい。だがこの大きさならではの親密な空気が漂うアットホームな空間である。そこで現代日本の最先端を行く2人のパフォーマーのデュオが開催される、というのは、少なくとも聴き手にとっては幸運なことである。

まずはケージ『18の春の素敵な未亡人』、本来は〈蓋を閉じたピアノ〉と声のための作品であるが、今回はピアノではなく、山田がギターを膝の上にうつ伏せに(弦を下面に)置いてそれを叩いての演奏。このギターがなかなかに立派な打楽器、ちょうどカホンのような音がする。ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』をテクストとした、つまりほとんど言葉としての意味はわからない松平の歌声も悠然として美しい。古楽、民俗音楽のような素朴な美しさにひたれた。

ケージの次は木下正道のぐっと厳しい『夏は夜III』。発声法はバリトンだが、謡のような力強い抑揚と陰影をつけて、か細いとも野太いとも言える歌声が響き渡る。ギターの音はまるで自然音、虫や風の音のよう。「なつは」「なつは」「なつは」……「よる」「よる」「よる」……と詞が反復されるのは確かに歌曲なのだが、呪言のような恐ろしい、しかし謹聴せざるを得ないエネルギーに満ちていた。

音響派の祖・シェルシの『WO MA』は4曲からなる、歌詞のない純粋な〈発声のみ〉の歌なのだが、松平の口腔、下、唇、等々の使い方が豊かすぎる!歌詞などなくても、立派な歌曲として成立している。第1曲は大迫力に、第2曲は優美に、第3曲はゆっくりと、やや悲壮感を漂わせ、第4曲は慌ただしく飛び跳ねるように。人声とはそれだけでもこれほどまでに美の可能性に満ちたものであったか。

高橋悠治『ジョン・ダウランド帰る』はダウランドがイギリス国教会から追放された故事の、擬古文調のテキストを松平が朗読し、山田が張力を非常に緩くした特殊な調弦で〈不幸な〉音楽を付き添わせる。最後に奏者2人がステージを去るまで、深く重い空気が会場を包んだ。

高橋の作品の故事の年である1600年に作曲されたダウランド『流れよ、我が涙』はヒューマニティ溢れる悲しくも温かい歌とリュート。時代と国境を越えた音楽を味わう一時となった。

休憩を挟んでシェルシ『KO-THA I,II』は山田がギターを膝の上に仰向けに琴のように置いて打楽器のように演奏する。弦も弾く(駒の下を引っ掻いて「キャーン」という音を出したりする)のだが、激しく、またゆったりと、あるいは静かに、打楽器奏者顔負けに手を動かしてギターを〈叩き鳴らす〉のに驚かされた。

高橋悠治『Gitarra』はセサル・ヴァジェホという詩人のシュルレアリスム的な詩をテキストとしており、まず松平がその日本語訳を朗読してから歌曲が始められた。シュルレアリスムゆえか、奇妙に歪み、「美しい」と言うのがどこかためらわれる音楽。特にギターに音楽から逸脱した音が挟み込まれるのが耳に刺さる。奇妙なままに、途切れるように終わった。

細川俊夫『恋歌I』、極度に切り詰められた音が響く。その音により奏者との距離がずっと遠くに離れたかと思うと、クレシェンドからフォルテシモでグッと近づいてくる。一声に宿るニュアンスの豊かさ、ギターの弱音に宿る魂の重さ。静寂と語り合う充実した時間の流れを感じ、何もかもが止まって終曲。

尹伊桑『Gagok』は相対的な音高のみが書かれた特殊な記譜法による作品。本来は声楽とギターに打楽器が加わるのだが、今回の編曲版ではギターが打楽器パートも兼ねる。それゆえまたしても山田はギターを色々と叩いたりこすったりと忙しい。松平が韓国風の歌を歌えば、山田は「イーッ!」「クァッ!」「チィ!パァ!」「ハァ!タァ!」等々、筆者の知識の内では、韓国の民間信仰のシャーマンによる「巫楽」を思わせる激しい声のやり取りが2人に交わされる。不思議なライヴの最後を飾るにふさわしい不思議な音楽が現出した。

アンコールはダウランド『カム・アゲイン』、会場全体が友人同士のような歓びに満ちて終演した。

人生の、音楽の歓びとは華やかな大ホールにのみ宿るものではない。このような小さなハウスでこその歓び、幸せ、そういったものを味わう充実したライヴであった。

(2019/11/15)


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<players>
Baritone, Voice: Takashi Matsudaira
Guitar,Lute(*): Gaku Yamada

<pieces>
John Cage: The Wonderful Widow of Eighteen Springs (text by James Joyce)
Masamichi Kinoshita: Natsuwayoru III (text by Seishōnagon)
Giacinto Scelsi: WO MA (Bass solo)
Yuji Takahashi: John Dowland Returns
John Dowland: Flow My Tears(*)
Giacinto Scelsi: KO-THA I,II (Guitar solo)
Yuji Takahashi: Guitarra (text by Cesar Vallejo)
Toshio Hoshokawa: Renka I
 1. Like the morning mist, Clouding the autumn fields, Where will it stop, My helpless wandering love?–Iwanohime-no-Ookisaki
 2. O to gather up and fold, To burn with heavenly fire, That road, You must travel away from me.–Sano-no-Otogami-no-Otome
 3. Its oars lost, Hopelessly adrift, On Yura Bay, The boatman’s craft, Is like my love which, Knows no path to follow.–Sone-no-Yoshitada
Isang Yun(arr. By siegfried Behrend): Gagok
(encore)John Dowland: Come again.(*)