パリ・東京雑感|黒い顔に名前を取り戻す オルセー美術館の『黒いモデル』展|松浦茂長

黒い顔に名前を取り戻す オルセー美術館の『黒いモデル』展
Recover the names of black faces   “The Black Model” at Orsay Museum

text & photos by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura) 

パリのオルセー美術館で『黒いモデル』という特別展があった。おととしパリではセザンヌの肖像画だけを集めた大展覧会が企画され、去年は風景画家コローの肖像画展と、人間の苦しみ・悲しみを凝視するピカソにしぼった『ピカソ、青の時代とバラ色の時代』展が人気だった。(2018年11月のコラム『人間の顔の復活? 3つの肖像画展から』)そして今年は<黒い顔>!この展覧会、ふだん美術館に行かない層まで引きつけ、子供たちにも人気だったというから、肖像画への関心の高まりは、美術の世界だけの現象ではない。<黒い顔>たちは、私たち見る者ひとりひとりを、その強い眼差しで捉え、「人間であるとはどういうことなのか」答えを迫っているようだった。

白人は<黒人>をどう見てきたのか?アフリカ出身の歴史学者が列挙するのは「広がった鼻の穴、厚い唇、縮れた髪、運動選手のような体、突出した性器。女性であれば、好色、カネで身を任せる、騒がしい」。最近のカリカチュアでも前政権で大臣を務めたギアナ出身の女性、トビラさんが猿に似せて描かれたし、<黒人>の容姿に対するステレオタイプは根が深い。
西欧の絵画には中世からアフリカ人が登場するが、彼らはエキゾティックな色合いを添える飾り、あるいは高価な黒人奴隷を所有する富の象徴として、描き加えられた類型であって、名前も個性もない脇役だった。

マリー=ギユミーヌ・ブノワ
『マドレーヌの肖像』1800

<黒人>ステレオタイプ化の長い歴史の中で、マリー=ギユミーヌ・ブノワの『マドレーヌの肖像』は、革命的としか言いようがない。フランス革命直後の1794年に奴隷制が廃止され、6年後にこの肖像画が描かれた。自由を得たマドレーヌの、貴婦人のような気品。しかし、その目には貴婦人には見られない深い悲しみを帯びた厳粛さが備わっている。何より打たれるのは、くつろいだ自由さ。モデルはこの女性画家に対等な友情を感じ取り、自分の魂をさらけ出しているかのようだ。
1802年、ナポレオンによって奴隷制が復活されるから、この絵はたった8年の束の間の自由の結晶。美術史家アンヌ・ラフォンは「<自由・平等・友愛>を生み出した革命ユートピア、あの束の間のユートピアに呼応する美術空間のもっとも洗練された表現」と評価している。人間は他人を見るとき、その人の赤裸の魂に目を向けるよりも、大抵は相手の仕事や国籍や宗教を見てその人を理解したように思い込むものだが、歴史のある特別の瞬間、そうした人間社会の表層が一気に剥がれ落ち、心と心が直に共鳴し合う、そんな恩寵的共感が成立する。
「民主主義の原動力は<愛>」というベルクソンの言葉は嘘ではなかった。革命ユートピアは<愛>のユートピアであり、その高揚した空気に支えられて、元奴隷・黒人女性への愛のこめられた肖像画が結晶したのである。
この絵は『黒人女の肖像』というタイトルで知られていたが、美術研究者がモデルの名前を突き止め『マドレーヌの肖像』に改められた。

ジェリコー『黒人ジョゼフ』1818

漂流する極限状況の人間を描いたジェリコーの『メデューズ号の筏』で、樽の上に立ち、遠くの船に向かって布きれを振っているのは黒人だ。瀕死の男たちの最後の希望が、彼に托されている。この絵の最初のエスキスには黒人は描かれていない。なぜ、ジェリコーは最終的に『メデューズ号の筏』の希望のシンボルに黒人を選んだのだろう?
アメリカの植民地支配を強化するため、奴隷制が復活され、異人種間の結婚禁止、植民地住民のフランス入国禁止など、黒人の自由が奪われる。革命の理想を踏みにじる人権否定が、ジェリコーを苦しめ、奴隷制廃止運動に加わる。ジェリコーとしては、植民地黒人の自由を回復しないかぎり、本国フランスの<自由・平等・友愛>も危うい、そう訴えたかったに違いない。
その『メデューズ号の筏』の黒人モデルがジョゼフ。ジョゼフの肖像は苦しみと大きな悲しみを経て、諦観に達した人のような内面の深みを感じさせる。何と強い肖像画だろう。ジョゼフはサント・ドミンゴ出身で、曲芸一座のメンバーとしてフランスに来たが、ジェリコーのお気に入りのモデルになり、彼の死後、アングルが彼を芸術アカデミー専属のモデルに採用した。

ボードレールの描いた
ジャンヌ・デュバル(1865)

ボードレールが長年同棲した<黒いビーナス>、ジャンヌ・デュヴァルは1830年にパリに来た混血の女優だ。彼女から霊感を受けた詩の一節:

暖かき秋の夕べに、両の目を閉ざし、
ほてりたる君が乳房の香を嗅げば、
ひといろの灼熱の陽のめくるめく
楽しき岸辺ひろびろと浮びくる
そはものうげなる島にして、自然は恵む、
珍らの々と風味妙なる果実とを、
『悪の華』より『異国の馨』

マネの『オランピア』には黒人の使用人が描かれている。異国への憧れをそそるオリエンタリズムの画家であれば、半裸の黒人下女にエキゾティックな彩りの小布片を纏わせるだろうが、この絵の黒人はたっぷりしたヨーロッパ服を着ている。娼館に勤務する賃金労働者とでもよびたくなるリアリズム。伝統的異国趣味の絵の黒人召使いは、白い肌を引き立てる添え物であり、ご主人に従順な笑顔を向けるのがお決まりのポーズだが、『オランピア』の使用人は、娼婦を睨みつけているようだ。

マネ『オランピア』1863

当時の通念に従えば、黒人の使用人を持てるのは、植民地貴族の特権であり、低い階級出身の娼婦が黒人を雇うのは身分不相応の贅沢。異国趣味のフィクション場面なら黒人下女も許されるが、リアルな娼館のシーンに、帝国的豪奢と権力のシンボルが描き込まれたのは、破廉恥に映ったらしい。
黒人の美術研究者ドニーズ・マレルは、オリエンタリズム的フィクションを破壊する上で大きな貢献をしたこの黒人召使いが何者なのか、どうしても知りたくなった。そして、マネの手帳に「ロール、非常に美しいニグロ女」という一言を見つけ出した。
それにしても、マドレーヌやジョゼフの清冽な精神性にくらべ、『オランピア』からは上流ブルジョア社会の退廃・非倫理性が腐臭のようにただよってくる。黒人を<友>として見て描くことの出来た恩寵の時はとうに過ぎ去った。

うっかりすると忘れがちなのが、レイシズム(人種主義)は比較的近年の現象だということだ。17-18世紀のヨーロッパには、腐ったヨーロッパ社会にくらべ、異文化や未開社会にこそ、より自然で自由な生き方があると説いた作家・哲学者が少なくなかった。
ラモーのオペラ『優雅なインド人』の最初の物語はトルコが舞台で、パシャが自分の白人女奴隷に恋するが、いくら口説いても冷たく拒まれる。或る日宮殿に彼女の許婚者が流れ着くと、パシャはいさぎよく2人を自由にし、沢山のお土産をつけて帰してやるという度量の広いハッピーエンド。4番目の物語は、アメリカインディアンの娘をめぐる現地青年・フランス軍人・スペイン軍人の恋のさや当て。娘はヨーロッパの技巧的な恋にくらべ、自然のままで、落ち着きのある恋を選ぶ。未開人の方が<優雅>なのだ。
モーツァルトの『後宮よりの誘拐』は『優雅なインド人』の第1話そっくりだが、宮殿に現れた許嫁の若者の父親は、かつてパシャを破り、財産を奪った仇敵だったというおまけがつく。そのパシャが、自分を辱めた敵の息子に、最愛の女奴隷を返して、帰国させるという超寛大な結末だ。
19世紀後半、帝国主義を競い合う時代に入ると、異文化・未開に学ぶ謙虚さは失われる。<進歩した>白人対<遅れた>黒人。ダーウィンの進化論を、社会の進歩にこじつけたえせ科学がはやり、薄っぺらな人種主義全盛の時代を迎える。

ドガ『フェルナンド・サーカスの
ミス・ララ』1879

ドガの『フェルナンド・サーカスのミス・ララ』という絵をよく見ると、ララの手も足も綱に触れていない。綱の先を口にくわえて天井まで上がったのだ。ドガが描いたとき、ララは21歳。「アフリカの女王」とあだ名された。
アフリカ人には身が軽く強い筋肉の持ち主が多いらしく、去年パリのアパートの5階で4歳の子がベランダから落ちそうになり、かろうじて手すりにぶら下がっているのを、若いアフリカ人がサーカスさながらによじ登って、救出したことがあった。通りからベランダに飛び移り、軽々と上へ上へとよじ登る一部始終がテレビで放映され、スパイダーマンとあだ名されたこの青年、マクロン大統領から、ご褒美にフランス国籍と消防署員の仕事が与えられた。(スパイダーマンは不法滞在だった)。
人種主義が強まった20世紀初め、黒人たちは、アクロバット、ダンス、喜劇役者、歌手など白人の真似できない才能によって自分たちの存在を認めさせた。古典彫刻のような体躯の男性ダンサー、フェラル・ベンガはコクトーを魅了し、彼の映画『詩人の血』の中で、妖艶・神秘な天使の役を演じていた。ベンガのほか、1920年代には、黒人として初めて古典劇で認められたハビブ・ベングリア、女性美の規範を覆したジョセフィン・ベイカーらがスターの座を占める。彼らは、画家たちに新しい課題を与えた。
「黒人アーティストをモデルにして描くとは、黒人の魂に到達しようとする意志である。その動き、様式、閃光、エネルギーをキャッチしようとする意志である。アーティスト、クリエイターとしての黒人に向き合うとき、画家にとってモデルは自分と等しい高さの存在であり、画家は彼らの創造の力に接し、それを自らのうちに取り込みたいとさえ願う。」(ソルボンヌ・ヌヴェル大学シルビー・シャレイユ教授)

強烈な展覧会だった。黒人の顔が、こちらを捉えて離さない。無名の画家の習作の前でも、たびたび立ち止まって見入ってしまった。それはきっと、画家たちが目の前の<黒い顔>の悲しみに対し、負い目あるいは罪責感を抱き、モデルの魂に共鳴するまで必死で描こうとしたから。私たちも、画家の真剣さに巻き込まれるのだ。

(2019年7月30日)