クラウス=ディーター・ブラント チェロリサイタル|大河内文恵

クラウス=ディーター・ブラント チェロリサイタル
Klaus-Dieter Brandt Violoncello Recital

2019年7月23日 東京オペラシティ 近江楽堂
2019/7/23 Oumi Gakudo
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 外 美恵子

<演奏>        →foreign language
クラウス=ディーター・ブラント(チェロ)

<曲目>
ジャン・ルイス・デュポール:Adagio cantabile – Arpeggio
J. S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調
ガスパ-ル・カサド:無伴奏チェロ組曲

~休憩~
ルイス・アビアーテ:チェロのための前奏曲とフーガ
エゴン・ヴェレス:無伴奏チェロソナタ Op.31
エルネスト・ブロッホ:無伴奏チェロ組曲第1番

~アンコール~
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調より サラバンド

 

チラシを見て、「ピリオド奏法のエキスパート 日本再来日!」の言葉に目が留まった。再来日?!前はいつだったの?インターネットで検索すると、2018年8月に来日し、大阪や兵庫、鳴門などで演奏会があったようだが、東京ではおこなわれなかった模様。では、東京では初ということか?と俄然興味を持った。

会場の掲示で、チラシに記載された冒頭の曲、ドメニコ・ガブリエッリのリチェルカーレ2曲はデュポールの2曲に差し替えられたことを知る。デュポールにはチェロのための21曲の練習曲集があり、Adagio cantabileはその第8番にあたる。デュポールの練習曲は音楽大学の入学試験の課題曲などになることもあり、チェロを専門にする人にとってはお馴染みの曲であろうが、一般には耳にする機会は少ない。第8番はまるで2本のチェロで弾いているかのように異なる2つの旋律が同時進行する技巧的に難しい曲なのだが、そんなことはまったく感じさせない演奏だった。つづくArpeggioはこの練習曲集のもうひとつの無伴奏曲である第7番。哀愁を帯びつつ駆け抜けるパッセージに圧倒されている間に終わってしまった。

つづいてバッハの無伴奏チェロ組曲の第4番。音色は間違いなくチェロなのだが、なぜかヴィオラ・ダ・ガンバを聞いているような感覚にとらわれる。これはバロック・チェロの演奏会だったか?とよくよく見るも、エンドピンはあるし、弓の持ち方もバロック特有の下からの持ち方ではなく、普通のチェロ同様、上からの持ち方。

そのうち、チェロの音がまるで教会の中にいるかのような響きかたをしていることに気づいた。近江楽堂というホールは小さいながらも天井が高く、響きがよい。けれど、それだけでこのような音にはならないことはここでいくつかの演奏会を聴いていればわかる。ブラントの手元を見ていて、ふと弓の動きが少ないことに気づいた。1フレーズを1ボウで弾いていて、細かい音符でアップダウンしないため、音楽が忙しなくならないのだ。

サラバンドでは弓の擦れる音がして、まるでヴィオラ・ダ・ガンバで弾いているかのように聴こえ、ブーレではステップが見えるかのようなダンス感。バッハの無伴奏チェロ組曲というと1~3番がよく演奏され、4番は地味なイメージがあったが、こんなに魅力的な曲だったのかと認識を新たにした。

バッハが終わったあと、ブラントがドイツ語で話し始めた。おそらく主催者と思われるかたの通訳で、バッハは偉大すぎる作品なのでそれと組み合わせる曲に苦労したと語る。その苦労が報われたのが次のカサドの演奏だった。

同じ無伴奏チェロ組曲なのに、さきほどのバッハとはまったく音が違う。もう教会の中ではない。ここへきて、それまでがピリオド奏法による演奏だったことに気づく。楽器が違うならともかく、同じ楽器でこんなに瞬時に切り替えられるものなのか?

カサドの曲はバッハとは別の意味で偉大な曲なのだと実感する。なにより、チェロという楽器を知り尽くした人が作ったということがよくわかる。第1楽章も第2楽章も、作曲者・演奏者両者のチェロへの愛情があふれている。圧巻だったのは第3楽章。冒頭からスペインの情景が見えるよう。チェロを弾いているのに、ギターを聞いているのかと錯覚するほどである。カサドはやはりチェロ奏者としての名声のほうが勝っていて、作曲家として取り上げられることは多くはない。しかし、これだけいい演奏で聴くと、カサドの作曲家としての天分も認めざるを得ない。作品の良し悪しは質のよい演奏があるかどうかにかかっているという、至極当然のことを再確認した。

後半は19世紀以降の作品が続く。アビアーテも作曲家としては無名に近い。今回演奏された『前奏曲とフーガ』は、タイトルからもわかるようにその時代にしては古い様式をもった作品で、音遣いは違うのだが、バロック時代に戻ったような気分になった。続くヴェレスのソナタでは、「わかりやすい現代音楽」という風情で、無調的でありつつも1つ1つのフレーズは決して聴きにくいものではない。東欧的な響きがするのは、ヴィーン生まれであっても両親がハンガリー系であるということと、音楽学者としてビザンチン音楽を研究していたからなのであろう。

チェロという楽器は楽器の大きさに比例して大きな音量が出るがために、必要以上に大きな音を出そうとしてしまう奏者もいるが、ブラントは無理矢理鳴らそうとは決してしない。力みがなく、ごく自然に弾いているようにしかみえない。そういう意味でも、最後のブロッホの演奏は本日のハイライトだった。カサド同様、ブロッホの曲がここまでいい曲であることに気づかせてもらえて幸せだった。

チェロの音色は人間の声に一番近いとよく言われるが、ブラントの場合、彼の声そのものなのではないかと思うくらいチェロの音と彼自身が一体化している。これだけ自在に楽器で語れる演奏家がいったいどのくらいいるだろう。今回、小さな近江楽堂が空席だらけになるほどしか観客が入らなかったのは、東京ではまだ知られていない演奏家だったからであろう。たしかに誰もが知っているコンクールの優勝者とか有名なオーケストラとの共演歴があるといったわかりやすい名声はないかもしれない。だが、有名な演奏家だけがいい演奏家なのか?たくさん宣伝されている演奏会がいい演奏会なのか?いい演奏とは?いい演奏会とは?その判断基準をどこに置くのか、もう一度考えてみる必要があるのではないかと考えさせられた演奏会だった。

(2019/8/15)

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<Performer>
Violloncello: Klaus-Dieter Brandt

<Programm>
Jean-Louis Duport: Adagio cantabile – Arpeggio
Johann Sebastian Bach: Violoncello Suite No.4 Es-Dur
Prélude – Allemande –Courante – Sarabande – Bourrée – Gigue
Gaspar Cassadó: Suite für Violoncello
Ⅰ.Preludio-Fantasia
Ⅱ.Sardana(Danza)
Ⅲ.Intermezzo e danza finale
– Pause –
Luigi (Louis) Abbiate: Préludes et Fugues für Violoncello solo
Prelude-Allegro maestoso-Fugue-Moderato-Vivo
Egon Joseph Wellesz: Solosonate Op. 31 (1920)
Lento-Allegretto grazioso-Allegro energico-Largo-Allegro-
Allegro oderato-Allegro-Largo-Allegretto grazioso-Lento-Largo
Ernest Bloch: Suite Nr.1
Prelude  Allegro  Canzona  Allegro
– Encore –
Johann Sebastian Bach: Violoncello Suite Nr. 3 C-Dur Sarabande