エリアフ・インバルーベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団|佐野旭司

トリフォニーホール・グレイト・オーケストラ・シリーズ
インバル指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団
Triphony Hall Great Orchestra Series
Eliahu Inbal conducts Berlin Konzerthaus Orchestra

2019年7月8日 すみだトリフォニーホール 大ホール
2019/7/8 Sumida Triphony Hall Main Hall
Reviewed by 佐野旭司 (Akitsugu Sano)
Photos by 三浦興一/写真提供:すみだトリフォニーホール

<演奏>        →foreign language
指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団

<曲目>
ワーグナー:楽劇《トリスタンとイゾルデ》より《前奏曲》と《愛の死》
      楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》より第1幕への前奏曲
マーラー:《交響曲第1番》

 

マーラーの演奏で名高いエリアフ・インバルがベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団を率いての来日公演。7月8日はすみだトリフォニーホールで、10日は東京芸術劇場でそれぞれ演奏したが、なかでも前者はワーグナー2曲にマーラーの交響曲という非常に濃いプログラムだった。

本公演は《トリスタンとイゾルデ》で幕を開ける。個々の動機が明瞭に現れ、形式構造がよく分かる演奏だが、それがこの曲では裏目に出てしまっているという印象も否めない。この曲では1つ1つの動機の区分がはっきりとせず、楽節感の希薄さが魅力でもあるが、本公演ではそうした特徴が弱められているのではないだろうか。また全体的に表情豊かに歌い込むことが足りず、曲の魅力を十分に出し切れていないという印象を受けた。
細かい例を挙げれば、《前奏曲》終盤に登場するバスクラリネットのソロ(冒頭旋律を吹く)はぎこちなかった。また《愛の死》で「イゾルデの愛の死の動機」と「愛の浄化の動機」が交替する部分では2つの動機の対比的性格が強調されていたが、もう少し自然な流れも大切ではないだろうか。
一方《マイスタージンガー》では個々の動機を明瞭に出すという上述の特徴が長所となって表れていたといえよう。ただし全体的にいささかまとまりにかけていた。まず金管がやや荒っぽく、特に終盤では音が強すぎて、弦楽器による32分音符の装飾声部がはっきりと聞こえてこなかった。また曲の中間で木管がメインになる箇所(Es-durに転調する部分)では、個々のパートがきちんと揃っていたとはいいがたい。
プログラム後半はマーラーの《交響曲第1番》だが、本公演ではここからインバルの本領が発揮されたといえよう。
第1楽章の序奏では性格の異なる4つの動機が並列的に現れるが、この演奏では個々の動機がその性格の違いを強調しつつ明瞭に現れており、その並列的な構造をしっかりと浮き彫りにしていた。また展開部の初めのほうではハープの低音(序奏動機と、その変形による第4楽章の第1主題の予告)がはっきりと鳴っていた。音の弱いハープの低音をオーケストラに埋もれさせずに際立たせられたのは見事である。そして楽章全体にも非常にまとまっており、《マイスタージンガー》の時に感じられた欠点も克服されたといえる。また第4楽章も同様に、全体的にまとまりがあり迫力も感じられた。
このマーラーの第1番について、本公演で特筆すべき点は第2楽章と第3楽章であろう。まず第2楽章は、第1楽章が終わってからほとんど間を置かずに、まるでアタッカのように始まった。非常に興味深い試みといえよう。まったくの余談だが、さすがに《交響曲第2番》で同じことをやってのけるツワモノはいないだろうが…
さらに特徴的なのが、楽章内部の対比のつけ方である。第2楽章は3部形式であるが、まず主部は非常によくまとまっていた。一方中間部ではテンポや強弱を意図的に不自然に変化させており、ぎこちなさを表現しているかのようであった。主部は洗練された響きにする一方で、中間部は田舎臭さを出すという意図があったのだろうか。細かい話をすれば主部ではホルンのゲシュトップによる空虚5度の和音が決してとげとげしくなく、綺麗な音色であった。そのことがインバルのこの「一風変わった」表現を端的に物語っていると思われた。
このような主題間の対比のつけ方は、第3楽章にも同様に見られる。この楽章では3つの主題がロンド的に現れるが、主題AとCはテンポが速く淡々と流れるように奏していたのに対し、主題Bは第2楽章の中間部と同様に意図的なぎごちなさが感じられた。主題Bはその性格から考えて、そのように表現するのは理解できる。しかし主題Aは葬送行進曲(有名な民謡「フレール・ジャック」を短調にしたもの)で、またCは《さすらう若者の歌》からの引用による、いわば緩徐楽章的な旋律である。この2つの主題をあえて速めのテンポで淡々と表現すれば、当然ながら本来のイメージとは異なる響きになるが(ともすれば作曲家の意図とも異なるかもしれない)、それにより意外性のある新鮮な作品像を作り上げていたといっても過言ではない。

作曲家の意図に忠実に従って演奏すること自体は悪いことではない。しかしそういうアプローチは、上手くいかなければ、「面白みのない」表現になってしまうこともある。私は最近とある日本の有名なオーケストラによるブルックナーの演奏を聴いたとき、そのような印象を受けた。楽譜の指示を厳密に守っているように聞こえる演奏であったが、しかしそこから描き出されたものは、いかにもステレオタイプな作品像・作曲家像で、まるで魅力を感じられなかった。
それに比べると、上述のインバルのアプローチは非常に興味深い。こうした意表をつく表現が、今回の演奏会の醍醐味であったといえるのではないだろうか。

(2019/8/15)

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<Performers>
Konzerthausorchester Berlin
Conductor: Eliahu INBAL

<Program>
Richard WAGNER: “Tristan und Isolde” Prelude and Liebestod
                                Prelude to Act 1 of “Die Meistersinger von Nürnberg”
Gustav MAHLER: Symphony No. 1 in D major