Menu

藤原歌劇団 メルカダンテ:《フランチェスカ・ダ・リミニ》|藤堂清

第1回 ベルカント・オペラ・フェスティバル・イン・ジャパン
藤原歌劇団/ヴァッレ・ディトリア(マルティーナ・フランカ)音楽祭 提携公演
メルカダンテ:《フランチェスカ・ダ・リミニ》(日本初演)

2019年3月27日 テアトロ・ジーリオ・ショウワ
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<スタッフ>
指揮:セスト・クワトリーニ
演出:ファビオ・チェレーザ
合唱指揮:河原哲也
衣装:ジュゼッペ・パレッラ
照明:辻井太郎
映像:フィリッポ・マルタ
振付:マッティーア・アガティエッロ
舞台監督:八木清市

<キャスト>
フランチェスカ:レオノール・ボニッジャ
パオロ:アンナ・ペンニージ
ランチョット:アレッサンドロ・ルチアーノ
グイード:小野寺 光
イザウラ:楠野麻衣
グエルフォ:有本康人
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 

サヴェリオ・メルカダンテは1795年イタリア生まれのオペラ作曲家、ロッシーニ(1792年)、ドニゼッティ(1797年)、ベッリーニ(1801年)とほぼ同年代で、ヴェルディより20年ほど早く生まれている。他の3人同様多くのオペラで成功をおさめ、また1840年からはナポリ音楽院の校長として後進の指導にもあたっている。現在では彼が若いころに書いたフルート協奏曲など器楽曲で名前を聞くことが多いが、45曲のオペラのうち《誓い Il giuramento》、《無頼漢 Il bravo》などはときおり取り上げられる。
この日上演された《フランチェスカ・ダ・リミニ》は変わった運命をたどってきた。台本は当時最高のオペラ台本作家とみなされていたフェリーチェ・ロマーニによるもの。1830年にマドリードで上演すべく準備されたが、主役歌手の不調などの理由で契約破棄。イタリアに持ち帰りスカラ座で上演の契約を結ぶが、今度はスカラ座の歌手の都合を背景とした劇場からの契約変更を拒否したため、ここでも機会を失った。そのまま185年間引き出しに眠っていたこの曲の批判校訂譜をエリザベッタ・バスクイーニが作成し、2015年に出版、翌2016年夏のマルティナ・フランカのヴァッレ・ディトリア音楽祭で世界初演された。
今回は藤原歌劇団とヴァッレ・ディトリア音楽祭の提携公演ということで、初演時の指揮者ファビオ・ルイージのアシスタントであったセスト・クワトリーニを指揮にむかえ、フランチェスカは初演時と同じレオノール・ボニッジャ、パオロ、ランチョットにもイタリアから歌手を招き、演出、衣装、映像、振付もイタリア人のチームでと、たいへん力の入った体制を組んだ。

作曲年代からも想定できるように、曲はロッシーニの影響を強く受けている。カヴァティーナ、カバレッタという様式に則り、高音での細かな動きを多用した歌は、「ロッシーニの《◯◯》のアリアだよ」といって通りそうなもの。フランチェスカ、パオロ、ランチョットの主役3人には、高度な声楽技巧が要求される。
フランチェスカのボニッジャとパオロのペンニージの二人が充実した歌を聴かせた。
ボニッジャはすでに述べたように世界初演でこの役を歌っており、作曲後200年近く経っての創唱者ということになる。スペインのセヴィリャ出身で、多くのコンクールで上位入賞を果たしている(*)。細身の声で、高音域で金属的な響きになることもあるが、音程もよくコロラトゥーラの技術もすぐれている。
ペンニージはシチリア生まれ、2013~2015年の間パリ・オペラ座のオペラ研修所に所属し、舞台経験も積んだ。ヨーロッパ、南米など各地への出演が増えてきている。こちらもピッチが正確で、転がす技術も見事。
この二人のアリアもそれぞれに聴きごたえがあったが、第1幕、第2幕の幕切れ近くの二重唱、美しく響きが重なりこれぞベルカントというべきものであった。
残念だったのはランチョットを歌ったルチアーノの不調。初めのうちは高音も出るし、まずまずと聴いていたのだが、第1幕の途中から、声が飛ばなくなってしまった。一時的な故障であればよいのだが。
日本人キャストの中では、フランチェスカの父グイードの小野寺がよくとおるバス・バリトンの声で舞台を引き締めた。
クワトリーニの指揮もまったく無駄がなく、東京フィルハーモニー交響楽団から軽やかで弾みのある音を引きだした。

セミステージ公演とうたわれていたのだが、オーケストラはピットに入り、出演者の衣装も舞台用に用意されていた、舞台は机や椅子といった限られた道具を使ったものであったが、それらを合唱団員が動かすことで、変化を作り出した。背景に場面に応じた映像を映し出すことでも、イメージを喚起する効果はあった。ポール・ギュスターヴ・ドレのエッチング、「神曲」だけではなかったかもしれないが、最後のフランチェスカとパウロの死の場面では、「パウロとフランチェスカ」を投影していた。
バレエも巧みに使われた。第一幕の最後、二人がランスロットとギネヴィアの物語を読む場面では、彼らの気持ちを表わすかのように後ろで男女2人が踊るとともに、そでに物語が書かれた衣装を着た女性4人が挑発するかのように彼らのまわりを踊る。
ヴァッレ・ディトリア音楽祭での公演とは異なる演出で、舞台を作り出していて、通常のステージ公演と変わらない水準であったと思う。

第1回ベルカント・オペラ・フェスティバル・イン・ジャパンとして行われた公演だったが、このフェスティバルでは、これ以外にも3つのイベントが行われた。
まず二つのコンサート、「メルカダンテ~知られざる歌曲~」と「ベルカント・コンサート」が行われた。これらでは3月初めから行われてきたカルメン・サントーロ女史によるマスタークラス受講生が、その成果を発表するものであり、同時に演奏される機会の少ないベルカント音楽を紹介する場ともなった。
もう一つは、ベルカント・シンポジウムという講演会。ベルカントという概念を明確に伝えようとするものである。
これらの活動により、未知のオペラの上演にとどまらず、「ベルカント」を深く知ることにつなげたいという主催の日本オペラ振興会の思いがよく分かる。
第2回の予定が発表されていることは喜ばしい。2019年11月に今回と同様ヴァッレ・ディトリア音楽祭との提携で、アレッサンドロ・スカルラッティのオペラ《貞節の勝利》が上演される。

毎年続けていくことで、ベルカントのまだ知られていない豊かな世界への導きてとなることを期待したい。

(*)プログラムに第4回A.クラウス国際声楽コンクール第3位とあるが、第6回2017年が正しい。

(2019/4/15)