Menu

五線紙のパンセ|ピアノと私|森山智宏   

ピアノと私 

text by 森山智宏(Tomohiro Moriyama) 

「文章を書く」、という依頼を初めて受けた。もちろん、今まで「自作の解説文」や「教育の場」での文章は書いてきたが、このような「連載」という形で、まとまった文章を発表するというのは行ったことがない。
この初めての経験に、何を書こうかとあれこれ考えは膨らんだが、やはり背伸びをせず、私の音楽活動の主軸を書いていきたいと思う。 

第1回は、「ピアノと私」。
このテーマを初回に選んだのは、現在の私が、ピアノ曲の創作と教育に多くの時間を費やしているからである。作曲活動を細々と始めた頃、ピアノ曲を数多く書く現在の姿を想像したことはなかった。 
なぜなら、私は今までに二度、ピアノから離れたことがあるからだ。 
音楽高校時代、作曲ではなくピアノ科に在籍していた私は、多くの生徒がそうだったように、一日の殆どをピアノの練習に充てていた。しかし、図書館で偶然手にしたピュイグ=ロジェ先生の『ピアノ教本』音楽之友社)が、大きく人生を変えてしまう。 
序文の冒頭に、こうある。 

日本滞在中に私は次のことに気づきました。それは日本におけるヨーロッパ音楽の教育、中でもピア ノの教育はヨーロッパで起きた重要な進展に従っていない、ということです。 

この衝撃は今でも忘れられない。「今まで何も疑いなくやってきたクラシック音楽とは、一体何だったのだろうか…。日本人がクラシック音楽をやる理由は…?」16歳の少年に突きつけられた、余りにも大きな「問い」。この出会いがきっかけで、ピアノから作曲に転科しようと決断した。演奏家としてではなく作曲家として、この問いに向き合ってみようと考えたからだ。(ここで一つのコラムが書けるだろうが、今回はカット) 

ピアノから離れた一度目が、この「転科」である。 
しかし、専攻を替えただけで、ピアノは私のそばから離れることはなかった。作曲の(受験)勉強をやる上で必須の「和声」や「対位法 」、「楽曲分析」…、当たり前のようにピアノを使い、音を確かめ、思考する。今までピアノで学んだ土台があったおかげか、エクリチュールの訓練はなかなか楽しく、短期決戦ではあったが、桐朋学園の作曲科にめでたく合格した。 

そして、ピアノから離れる二度目のきっかけが訪れる。 
大学3年の時、ふと疑問がわき上がった。「今書いているのは、クラリネットの曲。しかし、僕はピアノを使って作曲している。これは、ピアノの指の記憶で作曲しているのであって、自分は作曲という行為に対し、何か楽をしているのではないか…。」 
ここから、ピアノを使わず作曲できるだろうか、そこから新しい語法が生まれないだろうか、と模索する日々が始まる。(この視点でも一つのコラムが書けるだろう が、 今回はカット) 

まず、今まで殆ど接点がなかった(興味はあったが)邦楽器に取り組む。幸い、その作品は「日本音楽コンクール」に入選し、デビュー作となった(1999年)。その後、数年ブランクがあり、「奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門」で、「日本語でラップは可能か?」という問いに取り組んだエキセントリックな歌曲『<毛>のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス(詩:那珂太郎)』で入賞する(2006年)。 
コンクールで世に出た二作品の共通点は、「打楽器の使用」及び「打楽器的発想」である。ピアノを使わない、と自分に課した作曲法は、自ずと打楽器的になり、リズムが全面に出される曲となる。 

ここでピアノに戻るきっかけが訪れる。 
盟友の「瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ」から、ピアノ連弾の委嘱を受けたのだ(2006年、歌曲コンクール優勝直後である)。 
嬉しかったが、「2台ピアノ」ではなく「連弾」というジャンルに頭を痛めた。しかも、(習作を除けば)私にとって初めてのピアノ作品でもある。作曲は難航したが、「連弾が昔は男女の出会いの場だった」ということがふと頭をかすめ、だったら二人の腕が激しく交差する作品を書いてみよう、と思い立った(論理の飛躍は、創作の現場ではよくあること)。 
それで、「とうとう」、というか「いよいよ」というか、推敲の段階でピアノに向かった。数年来のピアノとの再会は、一言で言うと、とても楽しかった 。それがそのまま、『Let’s play a duet!』というタイトルになる。 
この作品は、二人の「マレイ・ドラノフ国際2台ピアノコンクール」第1位受賞を記念したコンサート「Dranoff Gold!」で初演された。幸いこの作品は、アメリカの「Zofo duet」やギリシャの「pincetic-sakellaridis piano duo」が取り上げ、再演に恵まれている。 

この作品が呼び水となったのか、「調性を背景に、瑞々しいピアノ伴奏付きの歌曲を書いてみたい!」と激しい欲求が生まれ、同年、やはり那珂太郎の詩による歌曲集『恋の主題による三つのデッサン』を発表する。 

作曲中、私はまさに「弾き歌い」のスタイルで筆を進めた。スケッチには、メロディとコードネームがびっしり書かれてあり、歌謡曲のような譜面に多少の罪悪感を持ちつつも、自分の中のリビドーを信じ、極めて短期間で仕上げた(その罪悪感から逃れるためか、編成にはヴァイオリンが入っている)。初演時は、ピアノを私自身が弾いているので、当時はピアノとの再会が嬉しかったのだろう。 
「アジア音楽祭2014」でこの作品が再演された際、解説に以下のように書いている。 

私にとって2006年は、思い出深い年である。ロック的語法を取り入れた歌曲<毛>のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス』、連弾の新しい地平を追求した『Let’s play a duet!』、そして、調性を背景に持つ瑞々しい音楽を目指した『恋の主題による三つのデッサン』。全く違うスタイルで、この年は三作品を生み出した。『恋の主題は私の全作品の中で、かなり異色な曲であると思う。その後、このようなスタイルでは一作も書いていないが、今回久しぶりにこの作品を聴き、自分の音楽的本質は、結局「調性(歌謡曲作家?)」なのではないか、と改めて認識した。 

この作品後から、私の中で、「調性」というキーワードが出てくる。 
大学時代、いわゆる「現代音楽」に足を踏み入れた際、調性から遠ざかって行ったが、ピアノとの再会は、調性との再会でもあった。少しずつ、調性の魅力を再認識していく中、偶然にもカワイ出版より、子どものためのピアノ曲を委嘱される(2009年)。 
これは決定的であった。当然、子どものための作品の多くは、調性を軸に作曲しなくてはならない。 
ただし、この話しの続きは次回にしたい(次回のテーマは、「子どもの音楽教育と私」)。 

一番の近作は、「プリムローズ・マジック(石岡久乃さんと安宅薫さんのデュオ)」の委嘱による、『Let’s enjoy a duet!Ⅱ(2台ピアノ)』である(2018年)。 
この「30周年記念コンサート」では、私の作品の他に、ブラームス、ミヨー、ラフマニノフ、バーンスタインの名作がズラリと並ぶ。これは現代の作曲家にとって、大きな試練でもある。巨匠の名作群と並び、それに遜色のない新作を書く…、こんなプレッシャーはない。 
お二人からは、図らずも「調性音楽を書いて欲しい」とお願いされた。出来上がった作品は、かなり拡大解釈された調性音楽ではあったが、私なりに「現代の聴衆にアピールする現代の音楽」を求める際、「調性」をキーワードにしたことは確かである。初演は、まさに「マジック」のような、心躍る鮮やかな演奏だった。 

昨年(2018年)刊行した、『やさしい2台ピアノ曲集』音楽之友社)の作品解説に、以下のように書いている。 

私は作曲する際、どのようなジャンルであっても、「歌」と「リズム」を重視しています。それは、音楽をする喜びの根幹をなすものだと思うからです。」 

これは現在の私の、率直な音楽観である。二十~三十代の「リズミカル」な作風は、現在、それに「歌謡性」を加えたものに、少しずつ変化している。それは、ピアノ、そして調性と再会したことが大きい。 
時代が移り、どんなに音楽を取り巻く状況が変わっても、人間は声を出して歌い、楽器を操る楽しさを捨てないだろう。そこにあるのは、「歌」と「リズム」への、人間の激しいリビドーだと思う。紆余曲折はあったが、 その当たり前のことを、「ピアノ」が私に教えてくれた。 

次回は前述の通り、「子どもの音楽教育と私」。最終回は「ソルフェージュ教育と私」。現在の音楽教育について、色々と雑考してみたいと思う。 

★作品 
【ピアノ曲一覧】 
PTNA HP   

【you tube】 
毛のモチイフによる或る展覧会のためのエスキス  
Let’s play a duet!   
恋の主題による三つのデッサン  

【出版】 
やさしい2台ピアノ曲集  

 ★コンサート 
PTNA全国セミナー 「やさしい2台ピアノ曲集」とコンペ2台課題曲から
 (講師:瀬尾久仁&加藤真一郎ピアノデュオ)  
松下功 追悼演奏会    

  (2019/1/15) 

—————————– 
森山智宏(Tomohiro Moriyama) 
1977年福岡県生まれ。桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科を経て、同大学研究科作曲専攻修了。作曲を北爪道夫、飯沼信義、鈴木輝昭、ピアノ・作曲を間宮芳生、ピアノを志村安英の各氏に師事。  
第68回日本音楽コンクール作曲部門入選。第17回奏楽堂日本歌曲コンクール(一般の部)第1位。 
フルーティスト間部令子氏、ピアノデュオ瀬尾久仁&加藤真一郎、東京混声合唱団、日本演奏連盟、指揮者山田和樹氏、サクサコール(サックス四重奏団)、プリムローズ・マジック(ピアノデュオ)、カワイ出版、音楽之友社等より委嘱を受け、国内外で作品を発表。CDはFONTEC、オクタヴィアレコード、TOMATONE LABELより発売されている。 
2007年より、作曲家鈴木輝昭氏と、邦人作曲家の作品によるコンサート「Point de Vue」を共同プロデュースし、現在まで毎年、公演を開催している。また、子供のためのピアノ作品が、ピティナピアノコンペティションやカワイ音楽コンクール等で課題曲に選ばれる。 
現在、桐朋学園音楽部門の専任教員(高校教諭)として勤務し、高校・大学でソルフェージュ、音楽理論の授業を担当しつつ、同大学附属子どものための音楽教室「仙川教室」ソルフェージュ主任も務める。また、日本作曲家協議会理事(「こどもたちへ」実行委員長)、全日本ピアノ指導者協会 正会員としても活動している。