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ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2018|藤原聡

ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン2018

2018年11月23日 サントリーホール
2018年11月24日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)11/23撮影

♪11月23日
<演奏>
フランツ・ウェルザー=メスト指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

<曲目>
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WAB105(ノヴァーク版)

♪11月24日
<演奏>
フランツ・ウェルザー=メスト指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァイオリン:フォルクハルト・シュトイデ(ウィーン・フィル・コンサートマスター/ブラームス)
チェロ:ペーテル・ソモダリ(ウィーン・フィル主席チェロ奏者/ブラームス)

<曲目>
ドヴォルジャーク:序曲『謝肉祭』 作品92
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102
(ソリストのアンコール)
ハルヴォルセン:ヘンデルの主題によるパッサカリア
ワーグナー(ウェルザー=メスト編曲):舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』(第3夜) 楽劇『神々の黄昏』より抜粋
(オーケストラのアンコール)
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ『シトロンの花咲くところ』 作品364
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ『浮気心』 作品319

 

実に34回目となる今年のウィーン・フィル来日公演は2010年以来のウェルザー=メスト指揮により敢行された。この指揮者は6月にもクリーヴランド管弦楽団と来日、ベートーヴェンの交響曲ツィクルスを行ったことは記憶に新しい。このような短期間に同一指揮者が別のオケを率いてツアーを行うこともなかなか珍しいのではなかろうか。このウィーン・フィル公演、プログラムは全て独墺作品によって固められ―ドヴォルジャークについてもボヘミア地方は当時ハプスブルク帝国の一部だったということでウィーンと歴史的に縁が深いのは言うまでもない―、いわばウィーン・フィルの十八番を惜しげもなく並べた格好(ちなみにウェルザー=メストもリンツ生まれのオーストリア人である)。近年の同オケ来日公演は必ずしも彼らの本領が発揮されているとは言い難い場合もあり、それだけに今回は大いに期待したいところだ。サントリーホールの2公演を聴く。

23日はブルックナーの交響曲『第5番』。ここでウィーン・フィルの実力は大いに発揮されたが、しかし同オケから聴くことのできる音楽のイメージからはやや違った印象を持つ。
まず単純に音量が極めて大きい。ウィーン・フィルの来日公演は何度も聴いているが、これほどの大音量がホールに鳴り響いた記憶はない(ショルティですら)。金管群にはかなりの力奏をさせており、それでも音色の美感が保たれているのはさすがにウィーン・フィルではあるが、とは言え弦楽器も含めて全体にこのオケらしからぬ固さと刺激的な音色が耳を突く。
第1楽章の序奏部では緩やかなテンポを保ちつつ弱音主体で幽玄かつ深みある表情をオケから引き出すウェルザー=メストだが、主部では手綱を引き締めてオケをタイトかつシャープに牽引し始め、この傾向は最後まで持続する。それゆえ、第2楽章では音楽が小さくまとまって性急なものとなってしまっており、またスケルツォではそのテンポのあまりの速さのために表現が上滑りしがちになる。終楽章では指揮者の構成力が功を奏してその音楽の構造が立体的に立ち上がる様が圧巻、展開部で現れるあの複雑な二重フーガの明晰さは実演で聴き得た演奏中でも最高峰のものではあったが、指揮者の目指す音楽の方向性とオケ本来の持ち味に乖離がある気がするのだ。
ただ、これも別の見方をするのであれば明晰なれど味わいに乏しいウェルザー=メストのブルックナーがウィーン・フィルの懐の深さで「中和」されたとも言えるし(敢えて書いてしまうが、この指揮者とクリーヴランド管の実演で接したブルックナーの交響曲『第7番』は無味乾燥の極みたる演奏で閉口した記憶あり…)、ともすると緩い演奏をしないわけでもないウィーン・フィルが指揮者の力で引き締まった合奏を展開するに至ったとも捉えられる。1つの視点から決め付けるのではなく複数の視点から捉えるような文章をしたためはしたが、とは言え結論めいたことを述べれば、「ウィーン・フィルは上手かった、指揮者も良くまとめた、しかし深みと豊潤さに乏しい」と書くしかない。自分の気持ちに素直に書けば結局はこれだ。当初の期待値の高さのためだろうが、どことなく煮え切らない思いでホールを後にする。

翌24日。結論から書くならば前日より格段に素晴らしかった。オケの力みは取れ、そのためか響きはまろやかにブレンドされ余裕をもってホールの空間に解き放たれる。前日の立派ではあるが固かった響きとはまるで違う。こうなるとまるでベームがウィーン・フィルを振ったかのごとく(勿論実演で聴いたことはないが)、指揮者とオケの特質が互いを打ち消すことなく別の次元の演奏へと昇華される。
賑やかで朴訥な味わいがあり、それでいてしっかりと統制の保たれた『謝肉祭』、響きの重量感とウィーン・フィル的なぬくもりある柔らかさが一体化した素晴らしいサポートの元、いわゆる「ソリスティック」な演奏とは違うものの、音色の美しさと旋律の陰影をくまなく掬い取るかのような洞察深い歌い回しが秀逸なシュトイデとソモダリのソロによるブラームス。そしてワーグナーはまさに圧巻。ウェルザー=メスト編曲の『神々の黄昏』とあるが、その内実は「ジークフリートのラインへの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」、「ブリュンヒルデよ、聖なる花嫁よ」、「ブリュンヒルデの自己犠牲」。マゼール版編曲のようにもっと様々な曲を演奏するのかと思いきや意外に短くて拍子抜けではあったが、演奏の良さでその不満も吹き飛ぶ。全体を通してのえも言われぬ音の厚み、「自己犠牲」での痛切極まりないヴァイオリン群の響き、「葬送行進曲」での誠に懐の深い金管群の表現力(どれだけ音量が増大してもしっとりとした美感が常に維持される)。ここではウィーン・フィルがウィーン・フィルたる美質が最良に近い形で次々と開陳される。ブルックナーで気になった指揮者のドライヴし過ぎがなく、それゆえオケ本来の良さが前面に出てきたのだろう。
とは言え、ウェルザー=メストが適度に引き締めなければこのような音楽が達成されていないのは明白で、素人ながらこのオケと指揮者の関係は何とも微妙なバランスの上に成り立っているのだろうと推察する。もっとも、指揮者の表現自体は比較的淡白であり、しかし筆者が十分満足したのはつまるところウィーン・フィルのコケットリーが発揮されるか否かに掛かっているということなのだろうか。いやはや、やはりウィーン・フィルは依然特別な「何か」を持っている。

アンコールはお約束、ヨハン・シュトラウスの2曲。何か言う必要もないでしょう。Wien bleibt Wien!

(2018/12/15)