日本の伝統・能とスペインをつなぐ新しい音楽創造に挑む 「果てから果てへ」|平岡拓也

<日本スペイン外交関係樹立150周年記念プロジェクト>
日本の伝統・能とスペインをつなぐ新しい音楽創造に挑む 「果てから果てへ」

2018年11月3日 Hakuju Hall
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka) 
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi) 

<演奏>
能アーティスト:青木涼子
ヴァイオリン:リナ・トゥール・ボネ
チェロ:アルド・マタ
ピアノ:チー・シェン

<曲目>
武満徹:ビトゥイーン・タイズ(Vn, Vc, Pf)
カサド:無伴奏チェロ組曲(Vc)
サンチェス=ヴェルドゥ:謡とヴァイオリンによる3場『彼方なる水』(世界初演)(謡, Vn)
細川俊夫:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲(Vn, Vc)

グラナドス:ヴァイオリン・ソナタ(Vc, Pf)
グラナドス(クライスラー編):アンダルシア(Vc, Pf)
ファリャ(クライスラー編):歌劇『はかなき人生』より スペイン舞曲(Vc, Pf)
ドッツァ:謡とチェロのための新作『エウリディーチェ』(世界初演)(謡, Vc)
トゥリーナ:円 op.91(三重奏曲)(Vn, Vc, Pf)

 

今年2018年は、日本とスペインの外交関係樹立150年のアニヴァーサリーなのだという。筆者は「いやいや、日本史で習った遣欧使節は?南蛮貿易は?」と突っ込みたくなってしまったのだが、それは外交ではなく「交流」。150年の節目は、1868年の日西修好通商航海条約締結に端を発する。

今回の記念コンサートの聴きものは、スペイン大使館が委嘱した二人の現代作曲家による初演作である。委嘱の指定は、能の謡(うたい)と弦楽という編成をとること。スペイン出身のホセ・マリア・サンチェス=ヴェルドゥ、イタリア出身のブルーノ・ドッツァがこの範疇でどういった創作をするかを聴く。開演前には作曲家2人によるプレトークも催された。

前半のサンチェス=ヴェルドゥ作品は、古今和歌集に収められた3首の和歌を題材としている。

「ほのぼのと あかしの浦の あさぎりに しまかくれゆく 舟をしぞ思ふ」(柿本人麻呂)
「ふたつなき ものと思ひしを 水底に 山の端ならで 出づる月影」(紀貫之)
「あはれてふ 言の葉ごとに 置く露は 昔を恋ふる 涙なりけり」(よみ人知らず)

明石の浦、水底、露、涙—これらは三首に共通する「水」という要素の変容である。流体の水はある時は雄大に、またある時は一雫として、3場からなる歌世界を彩る。ヴァイオリンの通常奏法はほとんど使われず、掠り・擦る音(作曲家はプレトークで非西洋地域におけるヴァイオリンの用法についても言及していた)が謡と連動して空間性を形成していく。場ごとに2人の演者は舞台上を移動。筆者はホールに伸展する静謐な空気を感じ、能における舞の役割をヴァイオリンに与えたのでは、という発想に至った。音楽と舞踊の合致である能を、謡と同じく楽音を奏でる側たるヴァイオリンに擬えるのは些か強引かもしれぬ。しかしながらきわめて禁欲的な楽器の用法と、その空間性の表現に、両者の近似を感じたのは事実なのである。

後半のドッツァ作品。『エウリディーチェ』という題からまず想像されるのはモンテヴェルディやグルックのオペラであろう。プレトーク、ならびに当日プログラム冊子とは別紙で配布された解説でも、やはりイタリア・オペラと本作品の関係が語られている。ルネッサンス後期のレチタール・カンタンド様式から着想し、能とイタリア・オペラの接点を見出そうという試みなのだという。そうして生まれた楽曲はオペラ的、あるいは歌曲的な要素を内包している。能楽のソリストも音高チェロとある程度一致している。
謡はリルケ『新詩集』よりオルフェウスとエウリディーチェの場面を日本語訳詩で演奏し、その言葉にチェロが随走する。2部構成で、第1部が黄泉の国とオルフェウス、第2部がエウリディーチェを描く。鉱山、岩といったごつごつとした語が並び、苛立つオルフェウスが描写される第1部に対し、第2部ではエウリディーチェの女性らしいたおやかさが描写され、処女性の神秘、ほのかな花の香りをほのめかす語が選ばれている。聴き手はその味わいの違いを青木の語りから感じ取ると共に、語りに反応するチェロの音色や奏法の違いからも聴取のヒントを得ることが出来よう。

上述した二つの初演作を軸としつつ、プログラム全体を俯瞰すると、日本とスペイン、もしくは更に拡げて西欧の音楽による対話が組まれていた。優しく、人肌を感じさせる武満作品に始まり、筋骨隆々に揺れ動くカサド作品が返答する。続いて音楽による能の3場を創ろうとしたサンチェス=ヴェルドゥ作品に返答したのは、その静謐感を引き裂く細川作品である。彫琢をきわめた不協和音や弦の鋭いボウイングはやはり細川特有の音楽だ。筆者は奇しくも、この日の午前中にも細川作品を実演で聴いていたが、その作品にもはっきりと彼の名が刻印されていた。作風の一貫性という点で、同時代音楽において細川俊夫は傑出した存在だと感じる。

休憩後は日本側の作品が消え、「スペイン名曲集」的なオムニバスになってしまったのが筆者としてはやや物足りなかった。もっとこういった機会に聴かれるべき邦人作品はあるようにも思うが―。グラナドス、ファリャによる2つの舞曲は、スペイン情緒濃厚な原曲にクライスラーの編曲というプラス要素が加わり、洗練された味わいに変貌した。最後のトゥリーナも3者の美しい歌を堪能。
日本とスペインの音楽創造を相互に刺激し、文化を対照する試み。文明の恩恵により、ますます世界が小さくなると言われる昨今、お互いの文化を敬意と深い思索をもって知ろうとする試みは、ますます重要になるものと思われる。音楽創造において、今回のような国際的な交流が一層活発になることを強く願う。

(2018/12/15)