ロンドン交響楽団|平岡拓也

ロンドン交響楽団

2018年9月25日 サントリーホール 大ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
管弦楽:ロンドン交響楽団
指揮:サー・サイモン・ラトル

<曲目>
グライム:織り成された空間(2017/日本初演)
マーラー:交響曲第9番 ニ長調

 

今年6月にベルリン・フィルのポストを退任したサイモン・ラトルが、新たなパートナーであるロンドン交響楽団と初来日を果たした。ラトルは2017/18シーズンから既にロンドン響との活動を開始しているので、今回の来日は2シーズン目の冒頭というタイミングであった。
母国随一の名門との初来日にあたり、ラトルが我々に用意したプログラムはどれも意欲的で、重量級(幸い全3演目とも聴くことができたが、どの回も2時間を超えた)である。ラトルはベルリン・フィルとの来日でも保守的なプログラムを決して組まなかったが、その姿勢は今後も引き継がれていくことだろう。今回はヘレン・グライムとマーラーを組み合わせた演奏会について記す。

25日の演奏会の前半に演奏された「織り成された空間」は、英国の女性作曲家ヘレン・グライム(1981-)の作品。今年4月にラトルとロンドン響によって初演されたばかりで、サントリーホールでの演奏が4回目の演奏となる。下手側中心に多数の打楽器が並び、咆哮するが、音響の見通しはよい。緻密なコンポジションに思われた。管弦楽の各部に現れる細かな音型が精妙に組み合わせられ、繁茂し、全体像としての音響を形作る。全3楽章の楽曲は時系列的に展開していくというよりは、ある巨大な音響物として最初の時点で屹立している。それをゆっくりと時間をかけて違った角度から眺めてゆくような感覚をもった。「ファンファーレ」と題された第1楽章を筆頭に動的な部分は決して少なくないのだが、聴後感はきわめてスタティックなのだ。これはどうしたことか―と気になり、休憩時にプログラムを読んで合点がいった。第2楽章および全曲の題である「織り成された空間」は、英国の現代造形美術家ローラ・エレン・ベーコンによる同名の野外インスタレーション作品から取られているのだという。ヤナギの細枝を巧みに編み合わせて自然の様々な形態を表現するベーコンの創作を、グライムは音楽に移し替えたというわけだ。どっしりとした静物感、充分に鳴りつつ調和した音響などは、曲線的なベーコン作品(こちらから見ることができる)の印象と一致する。

グライム作品は膨大な音素材を滑らかに繋ぎ合わせて仕上げてゆくスタイルであった。所謂同時代音楽としての「鮮烈さ」を求めると、やや裏切られたかもしれない。寧ろ後半に演奏されたマーラー作品の方が、今から100年以上前に書かれたにも拘わらず刺激的な書法を有している。そして、ラトルも曲の棘の数々を見逃しはしない。
第1楽章開始後しばらくの管弦の緻密な呼吸、繊細な弱奏にはふんわりとした味わいが漂ったが、次第にエネルギーが蠢き始める。死への恐怖ではなく生の横溢という色彩で音色は満たされ、テンポも含めて強靭に前進してゆく。楽章終結近くのフルート・ソロなど相当の音量で吹かれ、なんと表現主義的で鋭角的なマーラーかと驚いた。(同時に、難所のソロが決まる度に仲間を労う奏者たちを見て、フレキシブルな合奏の理由をも垣間見た)第2・3楽章ではいよいよラトルとオーケストラの引き出しの多さがものを言い、合奏の精度も上がる。ディヴェルティメント的な愉悦すら漂わせた第2楽章に続き、第3楽章では再び声部を烈しくぶつけ合う音の饗宴がやってくるのだ。トリオでは陽光のような穏やかさを振りまきつつ、曖昧な雰囲気に任せることを是としない(例えばハープのグリッサンドは音の着地点をかっちりと弾き分けさせる)。硬軟取り混ぜた仕掛けの数々に続く第4楽章は一転、一気に柔に転じた。ロンドン響の弦がたっぷりと奏で、自然な流れのうちに音響的な頂点へ達し、長い弧を描いて減衰してゆくのだが―ここでも死の影はほとんど姿を見せない。楽曲を閉じるヴィオラの上行による4音は意味ありげに強調され、生の意志を漲らせたまま演奏が締め括られた。その先には、明らかに第10番冒頭のヴィオラが聴こえてくる。

大曲を振り終え、楽員を労うラトルの目元を見ると、明らかに赤くなっていたように思えた。終演後のツイートでの彼の言葉(生涯トップ10に入る、忘れ難いコンサートだったとの旨)は嘘ではないだろう。ベルリン・フィルとの様々な試行錯誤を経て、指揮者サイモン・ラトルの更なる深化がロンドンで始まる。今回の特筆すべき充実度のツアーにおいて、ロンドン響とラトルがこれから刻む新たな歴史の「前兆」をいち早く体験できたこと—これこそが、筆者にとって存外の喜びである。

関連評:サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 |能登原由美
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(2018/10/15)