音楽との出会い|振り返ればそこに音楽があった|大河内文恵

振り返ればそこに音楽があった

text by 大河内文恵(Fumie Okouchi)

自分はいつ音楽に出会ったのだろう?と考えてみると、最初の出会いの記憶はない。ピアノ教師をしていた母のもとに生まれた私にとって、音楽は出会うものではなく、既にそこにあるものだったからである。家族の証言では、小さい頃、母が練習しているグランド・ピアノの下にもぐって、大音響の中で1人遊びをしていたそうである。

こうした環境だったからか、長い間私にとって「音楽=ピアノ」だった。もちろん、他の音楽の存在は知っていたし、TV番組「オーケストラがやってきた」など画面を通じて見てはいたのだが、昨今と違い、地方都市で育った私には生で聴けるのは発表会やコンクールくらいだった。

その反動で、東京に来てからはあらゆるものを聴きまくった。劇場でのオペラを初めて観たのもその頃で、ベルリン・ドイツ・オペラの「ニーベルングの指輪」を観に行ったのだが、残念ながらどの演目だったか記憶にない。なにしろ初めてなので、あらすじくらいは下調べして行ったものの、あんなに時間がかかるなんて思いもしない。本場の歌手の声量ってすごいな~と思ったのが、今から思えばルネ・コロだったという豚に真珠もいいところ。ニーベルングの指輪が日本で4夜すべて上演されるのは初めてだというくらいの知識はあったが、長時間のために疲れてしまってトラウマになり、それからしばらくオペラから遠ざかってしまうくらいだった。

ちょうどバブル、メセナ絶頂の時代で「現代音楽」の演奏会は多くおこなわれており、山梨で古楽国際コンクールが始まるなど、日本での古楽ブームのはしりの時期でもあった。現代音楽といえば、今はなき銀座セゾン劇場で、「MUSIC TODAY 今日の音楽 ’87」というイベントがあった。当時のパンフレットが手元にないので、インターネットで検索したところ、1987年6月3日(水)~7日(日)と5日間にわたっておこなわれたものだそうだ。何日か通った記憶があるので3つくらいは行ったのだろうか。その中で強烈に覚えているのは、ナッセンの回である。それまで現代音楽は独特の緊張感や刺激を愉しむものだと思っていたのだが、ナッセンの音楽はまったく違った。いわゆる「現代音楽」であることは間違いないのだが、「いい音楽」だったのだ。現代音楽にも巧いかそうでないかがあることは既にわかっていたが、「いいかどうか」という価値観をここに持ち込めるとは考えたこともなかったので衝撃を受けたのを覚えている。

最後に、これは演奏会ではないのだが、私の音楽観を揺るがした出来事について書いてみたい。学生時代、ある張り紙が目に留まった。学内で公開レッスンがおこなわれるといういかにもありふれた張り紙だったが、講師名を見て目を疑った。「プラシド・ドミンゴ」。え?あのドミンゴ?と友人たちと何度も確認し合った。公開レッスンの時間は4限だったか5限だったか、とにかく普通の授業時間帯で、本来出るべき授業があったはずだが「授業なんか出てる場合じゃない!」とエスケープして会場に行った。案の定、ものすごい数の人が集まっていた。1曲くらい歌ってくれるんじゃないかという淡い期待は見事に打ち砕かれたが、それ以上にインパクトがあったのは、レッスン内容だった。レッスン生は大学院の優秀な人で、このために練習してきたであろう完璧な歌唱だったが、そこに「何が足りない」のか的確に指摘していくのだ。そして手本としてドミンゴが1フレーズ歌った時に漏れた溜め息の大きさたるや。声量とか声の艶やかさが桁違いなのはもちろんだが、そのフレーズで「何を」表現するのか、たとえ歌詞がわからなくても「何を」歌っているのかがストレートに伝わってくるその表現力の大きさに、世界のトップレベルとはこういうものかと思い知った人は多かったと思う。

こうやって振り返ってみると、1つ1つの体験はその時点でのインパクトもさることながら、後から考えると改めてその大きさがわかる。演奏会は行ってみないとその価値はわからないのが常だが、わかったつもりのその価値も、もっと後になってみなければ本当のところはわからないのかもしれない。さて次はどのコンサートに行こうか?

(2018/10/15)