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音楽との出会い|羅針盤を持たない歌 – クルト・ヴァイルを歌う|大田美佐子

羅針盤を持たない歌 – クルト・ヴァイルを歌う

text & photos by 大田美佐子(Misako Ohta)

今回特別企画として示された「音楽との出会い」「忘れがたいコンサート」「好きな演奏・作曲家との出会い」というテーマは、私とクルト・ヴァイルの音楽との出会いのなかでゆるく繋がっている。メルキュール・デザールに参加させて頂いてからも、ヴァイルの作品としては《三文オペラ》《マハゴニー市の興亡》のレビューを書かせて頂いたが、今年は《三文オペラ》初演から90年の記念の年。日本でもKAAT神奈川芸術劇場、メディキット宮崎県立芸術劇場など新しいプロダクションが次々と立ち、10月後半には東京でもジョルジオ・バルベリオの演出、大岡淳の新訳で《野外劇 三文オペラ》が上演される。

楽譜のある音楽の醍醐味は、奏者の解釈によって作品を再発見できるところだ。数多の個性的な歌手に挑まれてきたヴァイルの歌にあってはなお更だ。しかも、彼は亡命によって、ドイツ語以外のフランス語や英語でも、その言語のアイデンティティを深く読み取る名歌を多く世に出していて、私は学生時代から「旅するヴァイルの歌」の魅力に強く惹かれてきた。そのヴァイルの歌に関して、忘れられない人の忘れられない言葉がある。

そのひとりは当時東京芸術大学で音楽史を教えておられた故服部幸三先生。バロック音楽の大家である。それまであまり、きちんとお話させて頂いたこともなかったのだが、卒業演奏会で私が歌った独仏英語のヴァイルのソングを聴いてくださり、演奏後実家に電話で、「研究と演奏の両方を続けた方がいい」と母に伝言してくださった。携帯電話のない時代である。将来が決められず、留年を決めた不肖の娘への突然の電話にあわてふためいたという両親。後日、恐縮しつつ挨拶に伺い、先生に「どなたについて習えばよろしいでしょうか」と伺うと、「金魚売りには金魚売りの声がありますね」と満面の微笑みで答えてくださった。

もうひとつは研究を通してお世話になったアンナ・クレプスさんの言葉である。アンナさんはヴァイルのインスピレーションの女神となり続けた彼の伴侶ロッテ・レーニャの親友であった。彼女はヴァイルを歌う歌手について「レーニャを真似することはできないわ。それはとても危険」と言った。ロッテ・レーニャの若き頃の無垢で小悪魔的な声と、壮年の彼女のノスタルジーが混ざったハスキーボイス。どちらも、再現不可能な唯一無二の楽器よ、と言われているように思えた。レーニャ自身は楽譜が読めず、ヴァイルも彼女の天性の音楽的才能をこよなく愛していたという。

歌唱法も歌のイメージも、ヴァイルの歌は歌い手の生き方そのものを反映するのかもしれない。ヴァイルの歌に羅針盤は必要ない。各々の歌手が自分の「歌」との向き合い方で勝負している。

クラシック音楽からのアプローチとしては、古くはオペラ歌手のテレサ・ストラータス、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(最近ではロイヤル・オペラの《マハゴニー市の興亡》のベッグピック役は秀逸だった)が果敢に挑んだ。2014年に来日したサロメ・カマーは「声という楽器」の実験としてヴァイルを取り上げた。

ブレヒト・ソングの歌い手からは、「言葉に向き合う時のアグレッシブさ」が伝わってくる。東独のブレヒト女優の大御所、ギーゼラ・マイ、イタリア語訛りのドイツ語で堂々と歌うミルバ、そして哀愁と強い意志の入り混じったダグマール・クラウゼの歌声。ダンサー出身で、20年代のキャバレーの雰囲気を残したコーラ・フロストのカヴァレット《助けて、聖なるロッテ》は挑発的で問題作となり、ミュンヘン滞在中に通ってその魅力に夢中になった。

ブロードウェイ・ミュージカル《キャッツ》のドイツ語版でキャリアを築いたウテ・レンパーは、独仏英のソングのニュアンスを鮮やかに器用に歌い分け、一世を風靡し来日も果たした。亡命を余儀なくされたヴァイルの創作の変遷とその一生を描くには、うってつけのタレントであった。

日本でも、演劇界から瀬間千恵、元黒テントのマドンナ、新井純、稲葉良子、元こんにゃく座のマドンナ竹田恵子。それぞれに魅力的なヴァイルの歌である。加藤登紀子は坂本龍一のピアノでヴァイルとブレヒトを録音している。フランス歌曲や日本現代歌曲の奈良ゆみの切ないヴァイル・シャンソンもいい。紙面が足りないが、ポップス界にもブレヒト・ソングの歌い手の系譜は続く。1995年、彼の生誕地デッサウのバウハウス講堂でヴァイル・フェストが開催された。そこで客演したトランク・シアターの森都のりとピアニストの黒田京子の演奏も忘れがたい。森都のりのコケティッシュでありつつ凛とした歌声と、ヴァイルから自由な精神を紡ぐ黒田京子のピアノは、東洋のブレヒト・ソング解釈として、「糖衣を纏った辛辣なブレヒト」と地元紙で話題になった。

舞台で、録音で、映画で、ヴァイルの歌に出会うたび、服部先生とアンナさんの言葉を思い出す。羅針盤のないヴァイルの不思議な歌のことを。そして、その歌をどう言葉にすればいいのか、と自問するのである。

 (2018/10/15)