音楽との出会い|私の原点〜体が止まったあの瞬間〜|能登原由美

私の原点〜体が止まったあの瞬間〜

text by 能登原由美(Yumi Notohara)

もともと音楽とは無縁の家庭だった。そんな私が幼稚園でオルガンを、小学校の入学とともにピアノを始めたのは、当時の日本の社会が影響していたためかもしれない。時は1970年代。第二次ベビーブーマー達が学童期を迎え、「女の子にはピアノかエレクトーンを」という雰囲気が巷にはあった。私の母親の周囲には同じ年頃の女の子を持つ母親たちが大勢いて、誰もが「ピアノかエレクトーンを」習わせていた。3人兄弟の中で唯一の女の子であった私も、そうやって兄弟の中で一人だけピアノを与えられ、近所でピアノを教える先生のもとに毎週通い始めたのである。先生の2人の子供も私と同世代。子供が多かったあの頃、こういう情景は珍しくなかった。

その近所の先生は、私が小学校5年生の頃に遠くへ引っ越したため長いおつきあいとはならなかったのだが、とにかく非常に厳しかったのを覚えている。練習不足を叱るのはもちろんだが、姿勢について特に口うるさかった。その結果、その後どんな楽器を演奏するときも「姿勢だけは良い」と褒められるようになったのはこの先生のお陰だ。ただ、あの頃はレッスンの日が近づくにつれ、次第に憂鬱になっていく日々であった。

それでも私は「やめたい」とは言わなかったらしい。だからと言って、ピアノが好きでたまらなかったという記憶があるわけでもない。ただ、先生によって与えられた曲の中で、弾いていると胸がザワザワするものがあることに少しずつ気づくようになった。弾くたびに胸の奥がザワザワする。ザワザワするからまたその曲に会いたくなる。今にして思えば、そのような曲との出会いが、ピアノをやめないでいたことに繋がったのかもしれない。

ただ、そのザワザワするということがどういうことなのか、かなりあとになるまでわからなかった。クラシック音楽には全く関心を持たない両親のもと、我が家では音楽といえばもっぱらテレビから聞こえてくる歌謡曲か演歌。アイドルのモノマネをし、みんなでヒット曲を口ずさむ。それが私にとっての音楽だったから、あの「ザワザワ感」は普段の生活では感じることのない異質の感覚であった。また、誰かにその感覚の芽生えを打ち明けたこともなかった。

その異質の感覚が決定的な存在となって私に迫ってきたのは、小学校4年生の時のこと。上級生になって下校時間が遅くなり、さらに放課後も居残るようになっていた。

ある時、友達と校舎の中で鬼ごっこをしていた時のことだ。建物の上の方から何かが聞こえてくる。一瞬で、駆け回っていた私の体はピタリと止まってしまった。何かが強烈に私を呼び止める。それが何なのか、その時は全くわからなかったが、以前から経験していたあのザワザワ感とも違う、けれども私の世界にはなかったような感覚が突如私を襲ってきたのである。その後も、その放送を聞く度にいつも同じ感覚に襲われた。

それは、下校を促す校内放送だった。そのアナウンスを先導するように流されていたもの、私の体を一瞬で止めてしまったもの、それは、バッハの「G線上のアリア」だった。もちろん、クラシックのレコードなど見たこともなかった私がその曲の名と作者の名前を知ったのは、随分あとになってからのことだったけれども。

当時の私はまだそのような音楽があるということなど知らず、いや、おそらく音楽というものについての意識すらあったわけでもなかっただろう。ただ、これまで私が触れたことのない別の世界がこの世にはあるのだということを、おぼろげながら感じたように覚えている。その世界が、ヨーロッパで長い年月をかけて作り上げられたものであるということを徐々に知るようになるのは、学年が上がるとともに音楽鑑賞の授業で取り上げられたレコードを通してであったが、その最初の体験がこの日の出来事だったのである。

その後、私は同じような感覚を味わうごとに音楽の世界により深く引き込まれていった。それをここで述べる必要もないだろう。けれども今、こうして音楽批評を手がけるようになった私の原点は、まさにこの瞬間だったと言えるのかもしれない。

(2018/10/15)