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山根一仁&上野通明&北村朋幹  Vol.1|丘山万里子

山根一仁&上野通明&北村朋幹  Vol.1

2018年7月24日 トッパンホール
Reviewed by 丘山万里子( Mariko Okayama )
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi )

<演奏>
山根一仁vn、上野通明vc、北村朋幹pf

<曲目>
ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 Op.8
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1
〜〜〜〜
ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番 ロ長調 Op.8(1854年初稿版)

(アンコール)
ショスタコーヴィチ(北村朋幹編曲):ジャズ組曲第1番より「ワルツ」

 

トッパンホールの若手3人衆、ピアノ・トリオのデビューである。昨春の王子ホールのステラ・トリオ(小林壱成、伊東裕、入江一雄)の初陣はランチタイム、モーツァルトとチャイコフスキーの2曲だったが、こちらはベートーヴェンを軸にプログラミング、シリーズ化とのこと。いずれも20代前半の弦にやや年長のピアノという編成であるのも興味深い。昨今の彼らの活躍ぶりは本誌でsearchいただけばその一端が知れよう。

第1回のプログラムは全曲、第1番を揃えた。ベートーヴェン(24歳頃)、ショスタコーヴィチ(17歳)、ブラームス(21歳)、青春真っ只中の筆である。
ショスタコーヴィチがダントツとなろうことは予想でき、その通りだったところに、彼らの今後の道筋を望見する。毎回ベートーヴェンを据えることの意味、意志。この作曲家と対峙し続けることがどれほどの実り(演奏が本来、全人的な行為であれば)をもたらすか。

そのベートーヴェン、好みから言えばあとひと刷毛軽みがあったら。北村、スタッカートで駆け上がる冒頭跳躍音形やその納め方、和する山根に微かな笑みが浮かぶ、上野は柔和な自然体。ゆえにピアノ、も少し打鍵をまろやかに、などと思うわけだ。ころころまろぶ音階走句とか装飾形にはやはりモーツァルトの透明な残像を見たい。第2楽章の3者の交唱はうつくしく、特にチェロのほんのり切ない調べが全体をしっとり染め上げる。それぞれの顔つきと動きで3匹の野うさぎが跳ね回るスケルツォは、いかにも、で楽しめ、終楽章、弦の刻みに躍動するピアノ、推進力もばっちりだ。
なのだが、ある意味、音の運動そのもの(それが何であるか、論議のあるところだが)に専心、さらりと仕上げたほうが音楽が生きるのでは(ここも難しい)、と思った。
この作曲家の路程を見やる遠大シリーズであればなおさら。

ショスタコーヴィチはやはり北村の才気あふれる牽引力が素晴らしい。昨秋「ショスタコーヴィチプロジェクト」で古豪モルゴーア SQをほとんど引きずり回す感のシュニトケ五重奏ピアノ激演に目を見張ったのだが、音色・タッチがこの曲にぴったり。17歳の恋心を訴えるようなチェロの咽びに寄り添う打鍵・響きのたとえようなき優しさ。とろける。から一転、あちこち飛翔を始めるヴァイオリンの周りを低く、高くパーカッシブに攻めるその鮮烈。チェロのいくぶん野性的語調へも的確に応答。緩から急へくるくる変わる単一楽章の変幻自在を常にリード、弦2人の個性(山根はとかく強靭鋭利を言われるが、筆者は彼の弱奏世界にやはり刮目する。上野は出るところは出て、引っ込むところは引っ込む、若いのにアンサンブルセンスある奏者)を存分に活かす。甘ったるい感傷とリストばり華やかさに突如アイロニカルな断片をぶち込むこの若き作曲家の、時に胸絞り、時にはっちゃけるお天気模様を3人見事に演じきった。

後半ブラームスは未整理の初稿版ゆえ、くどいところも、シューベルト、ベートーヴェン歌曲の借用にも、つい微笑んでしまう。それに丁寧に付き合う彼らに共感ありあり。チェロの活躍もブラームスらしく、ここでは上野がその魅力を解き放ち、全員「これが青春だ!」的オーラを発散させての好演であった。

大喝采ののち、彼らならではのお洒落なアンコールに客席はさらに沸く。
突っ込みどころは色々あるが、音楽の未来を彼らに託せるのは幸福、と聴衆の皆が思ったのではないか。
ぜひ王子のステラ(無論キャラは異なる)にもお出かけになり、それを確信していただきたい。

最後に。昨今の音楽を聴いて思うこと。
まずは、すべてをピアニシモで弾いてみる、とか、和音は響きの柔らかさを作曲家が求めているんだからそのように、とか、音階上下行のカーブの形は違うとか、そういう初歩文法を一つ一つ丁寧に推敲しているだろうか。
音楽の近代も現代もそれらを踏まえて現出したものだろう。
若い人たちには、弱奏世界での探求をこそして欲しいのだけれど。

(2018/8/15)

関連レビュー:ステラ・トリオ