飯森範親 指揮 『山形交響楽団特別演奏会』 さくらんぼコンサート2018 東京公演|平岡拓也

飯森範親 指揮 『山形交響楽団特別演奏会』
さくらんぼコンサート2018 東京公演

2018年6月21日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
管弦楽:山形交響楽団
コンサートマスター:髙橋和貴
ピアノ:金子三勇士
指揮:飯森範親

<曲目>
モーツァルト:交響曲 イ短調『オーデンセ』K.Anh.220/16a
ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲 第1番 ハ短調 作品35
  トランペット:井上直樹
ドヴォルザーク:交響曲 第8番 ト長調 作品88

 

毎年恒例となっている山形交響楽団のさくらんぼコンサート。

さくらんぼがたわわに実る時期にやってくる彼らは、山形の使者という役割も担っている。筆者がこのコンサートに赴くのは今回が初めてなのだが、なんとまあオペラシティのロビーが山形大物産展の様相を呈しており、黒山の人だかりだ。佐藤錦をはじめ各種取り揃えられた農産物を買い求める客への対応も万全で、終演時まで臨時のクロークで購入品を預かってくれるという親切さである。なるほどこれは人気が出るわけだ。プログラムに当たりのシールが貼ってあるとさくらんぼのプレゼントもある。聴覚も味覚も充たされる、実に美味しい演奏会なのだ。

可愛らしいさくらんぼのペンダントを舞台衣装に付けた演奏者がステージに揃い、モーツァルト(作曲の真贋は疑われている)『オーデンセ』交響曲が始まる。様式如何の厳密な研究は音楽学分野に措くとして、流麗ではあるが確かにモーツァルトの作ではないのだろう。ただ、演奏を聴いているうちにそのような考えは消え去っていった。モーツァルトの交響曲全集録音を達成した山形響の自信に満ちた快活な響きが、とにかく心地よいからだ。バルブ無しのピリオド楽器を用いたホルンも快い。開演前、西濱秀樹(事務局長)・飯森範親(音楽監督)両氏によるプレトークでは「こうした(真贋の疑わしい)作品も含めて体系的に録音していきたい」と語られていたが、是非継続して欲しいと筆者も願う。

続いてはショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第1番』。弦楽とトランペット独奏、ピアノ独奏という特異な編成のこの作品だが、それぞれの楽器およびセクションが硬質にぶつかり合う痛快さは堪らない。歌謡的要素を極力排してリズムの面白さでひた押しに押すわけだが―当夜の三者はどれも大変強力だ。山形響の弦は重心低くかつ鋭く、トランペットの井上直樹もみっちりと果肉の詰まった音(在京オケの奏者にはなかなか聴かれない個性だ)を奏でる。そこに金子三勇士の独奏が縦横無尽に交わるわけだ。短時間に次々と表情を変えてゆく作品に相応しい俊敏さであり、特に終楽章の痛快さは十分に表現されていた。三者の良さが合致することで1+1=2以上のものになるという、良い協奏曲演奏の典型のようなひと時だった。

前半で山形響の美質をある程度実感したが、後半のドヴォルザーク『交響曲第8番』ではまた違った表情を垣間見た。『オーデンセ』交響曲で聴かせた爽やかな表情から一転、弦は筋肉質に邁進する。それに付随するのか、前半ではさほど気にならなかった弦5部の音程が気になってしまう。なぜこんなに力を入れて弾くのだろう?と思って聴いていたが、おそらくはスコアの指定どおり揃えられた金管群に掻き消されないよう対抗しているのではなかろうか。金管が肉厚な音色で鳴り渡るのは痛快だが、2階席正面で聴く限りは流石に終始鳴らし過ぎ、バランスを欠くように思われた。山形響の弦はマッスのパワーというよりも、テクスチュアの明晰さで個性を確立しているのではあるまいか。ドヴォルザークでは、その個性が十全に発揮されなかったように感じる。もっとも彼らの本拠地(山形テルサ)とオペラシティの特性の違いも大きいだろうから、最善の策は本拠地で聴いて最終的に判断することであろう。

後半では曲運びと音響バランスに若干の疑問を感じたが、山形響の良さを感じられた演奏会であった。そして何より、山形の魅力を多面的に伝えてくれる好企画である。筆者は常々、演奏会においては「音楽の仕上がりが第一」と考える。しかし、その音楽を演奏するのも演奏者という人間、彼らを支えるのは事務局であり不特定多数の聴衆だ。演奏会という場が多くの人間の係わりによって成立する場なのだ、ということ(当然といえば当然なのだが)を思い出させてくれた、温かい一夜だった。

(2018/7/15)