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フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル 《春の祭典》|平岡拓也

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル 《春の祭典》

2018年6月12日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 大窪道治/写真提供:東京オペラシティ文化財団

<演奏>
管弦楽:レ・シエクル
指揮:フランソワ=グザヴィエ・ロト

<曲目>
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
ドビュッシー:バレエ音楽《遊戯》
ラヴェル:ラ・ヴァルス

ストラヴィンスキー:バレエ音楽《春の祭典》
~アンコール~
ビゼー:劇付随音楽《アルルの女》第1組曲より アダージェット

 

一時期の過密ぶりは脱したとはいえ、我が国、とくに首都東京には実にたくさんのオーケストラが様々な国からやってくる。ためしに都内のある有名ホールの6月のスケジュールを見ただけでも、実に6団体がひしめき合い、しかもそれらの中には複数公演や大型企画を携えているものもある。我々聴衆は、幸か不幸かいわば常に音楽祭のような状態にあるわけだが―それらの来日オーケストラの中でも、ひときわ異彩を放ち、多くの人々の注目を集めたのがレ・シエクルの来日公演ではなかろうか。

初来日ではない。2003年の創立の後、2007年、2008年にはラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンに鮮烈なプログラムで登場して話題を呼んでいる。バロックから現代まで幅広いジャンルの楽曲の演奏・録音に取り組んできた彼らだが、やはり爆発的な驚嘆をもって受け止められたのはストラヴィンスキー《春の祭典》の録音(2013年5月)であろう。今回、彼らのアジアツアーはその《春の祭典》をメインに据え、振付師ニジンスキー&ニジンスカヤ讃とでも言うべき20世紀初頭音楽で構成されている。いまや各国で引っ張りだこの存在となった指揮者ロトとその手兵レ・シエクルが紡ぐ舞踊音楽とはいかに。

まず、客席から眺めるステージが壮観だ。ビュッフェ・クランポンのバソン等々ずらりと並ぶピリオド楽器(作品が初演された年代に製作された楽器、の意で使用)に見惚れる。そしてそれらが実際に音を奏で始めると、いよいよ本公演の非日常性が露わとなるのだ。細管の小型トロンボーン、C管サクソルン・バス(フレンチ・テューバ)、F管クルークを装着したシングルホルン、これらが織り成す響きのなんと独特なことか。アタックはより鋭く、和音はより軽やかで明快になり、モダン・オケによる分厚く豪奢な演奏(否定的な意味では一切ない)では感じきれなかった作品の先鋭性が明らかになる。
特に彼らの音色の恩恵に預かったのは、ドビュッシー《遊戯》ではなかったか。楽曲解説やバレエの筋書きなどから知っていた「つもりだった」この作品の特異性が、まさに眼前で立体的な楽音の交錯として立ち現れる様は衝撃そのものだ。構造美と流麗の中に潜む猥雑をもが浮かび上がる。なんたる作品であろう!

前半を締めくくる《ラ・ヴァルス》後半の攻めっぷりにも圧倒されたが(これほどまで崩壊へ雪崩れ込むワルツに戦慄したことはなかった)、もう一曲挙げるとするとやはり《春の祭典》だろうか。これは、先述した《遊戯》を「音色による革新」とするならば、「音色および復元版初演譜への拘り+αによる革新」であった。
もう冒頭のフランス式バソンによる高音の呻きから、客席は異世界へと飲み込まれる。奏者にとって吹き辛い高音域で、とストラヴィンスキーが書いた(であろう)このソロは、いまや腕利きのファゴット奏者が思う存分に歌って聴かせる。巧いことは素晴らしい。しかし、そのことにより抜け落ちた異常性があるのかもしれない。その欠落箇所を、レ・シエクルのバソン奏者は見事に補完していた。ほんの僅かに瑕があったが、それすら必然として聴こえるのだから。その他にも容赦なく闖入する細管のホルン群など音色の驚きは挙げだすとキリがない。
次に復元版初演譜への拘りだが、第2部終曲での弦楽器の処理や強弱変化は、後年の稿に親しんだ身からすると大変新鮮だ。加えて、視覚的にも発見が多い。最も顕著なのは打楽器で、2セットが並ぶ姿で見慣れたティンパニは1セットしかない。複数の奏者で叩く必要がある場面では、ベルリオーズ《幻想交響曲》さながらの場面が繰り広げられる。またブラシで演奏されるバスドラムも独特だ。こういった要素は見なければ分からない。
最後の「+α」部分はロトとレ・シエクルの個性である。散々書いてきた時代考証への強い拘りと同等かそれ以上に鮮烈なのが、21世紀を生きる音楽家集団としての彼らの姿なのである。鋭く音楽を変化させてゆくロトの指揮(ブーレーズの影も見え隠れする)は扇情的で、それに俊敏に応じるオケの巧みなこと!アジアツアーの千穐楽という高揚もあったのだろうが、崩壊を恐れず攻め入る姿勢が実に痛快なのだ。こんなことを言うのは野暮だが、《春の祭典》の初演が当夜のような磨き抜かれた演奏であれば、客席はさぞかし沸いたのではなかろうか。ピリオドを究めつつその核心ではモダンを突き進む―その際どいバランスの上に成り立つ彼らの音楽を、大いに堪能した。

(2018/7/15)