Books | ハリウッド映画と聖書 | 大河内文恵   

ハリウッド映画と聖書 

アデル・ラインハルツ 著
栗原詩子 訳
みすず書房
20182月出版
4800円(税別)
text by 大河内文恵 (Fumie Okouchi) 

昨年(2017)はモンテヴェルディの生誕450周年で、それを記念する演奏会やイベントがさまざまなところでおこなわれた。モンテヴェルディの現存している3作のオペラのうち、最終作『ポッペーアの戴冠』は、それまでオペラの題材が神話からとられてきたのに対し、実在する歴史上の人物(ローマ皇帝)を題材とした初めてのオペラであることで知られている。ローマ皇帝を題材にしたバロック・オペラについて、12人の研究者で手分けして昨年調査した筆者にとって、この本を手にした時の衝撃は大きかった。 

著者・ラインハルツは最初の章で、「聖書と映画」についてはすでに多数の論文が出され、大学などでも関連する授業がおこなわれてきたにもかかわらず、「『聖書と映画』現象についての包括的な見通しが欠けて」いたと述べている。まず、この言葉が意外だった。日本ではアメリカやカナダほど聖書が身近でないために、このような研究をみかけないだけで、本場ではとっくにそういうものが出ているものと思い込んでいたからだ。 

包括的な見通しを欠く大きな要因として、「聖書と映画」の研究をすることの難しさを著者は挙げている。「関連する可能性のあるすべての映画を鑑賞し、まして分析することなど不可能で、これが大きな障害となる」というのだ。この箇所に思わず膝を打った。同じだ。ツィッター風に言えば「わかりみしかない」。映画は専門ではないし、聖書についての深い知識も全くないが、一気にこの本を身近に感じた。ここで語られていることは、まさに自分の問題でもある。 

すべての映画を対象とすることは不可能なので、著者は範囲を「ハリウッド」映画に限定した。理由は2つある。1つめは聖書映画というジャンルがアメリカ的なものであること、2つめはハリウッド映画のグローバル性である。なるほど。 

全体は大きく2部に分かれている。第1部は、「映画のかたちをとった聖書」つまり平たく言えば、聖書を映画化したものについて4つのジャンルに分けて書かれ、第2部は、一見聖書とは関係ないようにみえる映画の中に見いだすことのできる「聖書」について5つのテーマを設定している。 

話は変わるが、近年、書店でタイトルに惹かれて読み始めた本が期待から大きく外れていることが多くなったような気がするのは私だけであろうか?キャッチーなタイトルと内容とは全く呼応していなかったり、「わかりやすさ」を強調するあまり内容が薄いものだったり。忙しい現代人には、このくらいしないと本を読んでもらえないのか。 

もちろん、そうでない本もあるのだが、本書はその対極をいく。序章の問題提起から始まり、各章末に「結び」が置かれてはいるものの、そこだけ読んでも意味がない。章ごとに問題設定がなされ、それに対して具体例を挙げながら例証していくのだが、その手並みの鮮やかなこと。表面的なわかりやすい例から入って、どんどん深度を増していく。その間にはドキッとするような鋭い指摘が随所にさらりと盛り込まれていて、読み飛ばせるところがどこにもないのだ。 

たとえば、第6章「現代的な見かけの旧約聖書」で、なぜ聖書が用いられるのか?と問いかけをし、「映画の作り手が用いる多くのテキストの1つにすぎない」とばっさり。自説を強化するためにいくらでも理由は挙げられるはずなのに、それをしない潔さ。研究者としての矜持が感じられるのは他にも、第7章「キリスト的人物像の映画」で、西部劇・ボクシング映画・「サイコ」映画・SF映画や終末世界的映画・スパイ映画・マフィア映画・スーパーヒーロー映画・ラブ・コメディ映画・アニメーション映画と、「全部じゃん」と言いたくなるほどのジャンルを挙げた上で、「キリスト的人物像」の基準を3つに規定して話を進めていくところなど、枚挙に暇がない。 

手法だけでなく、たとえば、旧約聖書と新約聖書における捻じれ構造を指摘し、それが映画にどう影響を与えているかとか、映画製作者は聖書が広く知られていることを前提としているのではなく、限られた数の聖書物語を繰り返し使用しているにすぎないと指摘するところなど、目から鱗が落ちる箇所、これまた枚挙に暇がない。 

どの章も具体的な映画を挙げて、その内容解説および分析とともに進んでいくので、もちろん、知らない映画もたくさん出てくる。それでも理解できるように書かれているので問題はないのだが、やはり確かめたくなるのは人の性か。むしろそれは、見たことのある映画のほうが強いかもしれない。映画を見返しながら、またこの本を再読したら、もっと多くの発見があるだろう。さらっと1回読んで終わりではなく(そもそもさらりとは読めない)、映画と行ったり来たりしながら、何度も読み返したくなる本である。そんな重たい本を読む時間も気力もないという向きには、1章ずつゆっくり読むことをお勧めする。なんなら、映画1本分ずつでもよいかもしれない。 

最後に翻訳について少し。「訳者あとがき」において、訳者・栗原が1年間、著者の大学に訪問研究員として滞在し、著者と緊密に連絡をとりながら作業をすすめていったことが明かされている。本書は映画・聖書両者の専門語彙を多分に含んでおり、さらには日本では馴染みのない事柄も多く記載されているにもかかわらず、引っかかるところなく読めるのは訳者の力量のなせる業であろう。この本を日本語で読めるようにしてくださった労に心から感謝する。 

(2018/6/15)