東京都交響楽団 第852回 定期演奏Aシリーズ|藤原聡

東京都交響楽団 第852回 定期演奏Aシリーズ

2018年4月9日 東京文化会館
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)4/10撮影

<演奏>
指揮:大野和士
メゾソプラノ:リリ・パーシキヴィ
児童合唱:東京少年少女合唱隊
合唱指揮:長谷川久恵
女声合唱:新国立劇場合唱団
合唱指揮:三澤洋史
コンサートマスター:矢部達哉

<曲目>
マーラー:交響曲第3番 ニ短調

 

大野和士はこれまでにマーラーの交響曲第3番を実演で何度指揮したのか―正確な回数は分からないけれども、少なくとも確実に今回以前2回は指揮している。1990年代の東京フィル、2011年の京都市交響楽団。筆者はこの2回とも聴いていない。運悪くどうしても外せない所用が双方に入ってしまったのだ。特に京響との演奏は大変に優れたものだったと複数筋から聞かされたゆえ尚のこと残念な思いが積もっていたものだ。そのため、大野が都響の2018年度をこの大曲の指揮で幕開けするとの情報を得た時にはようやく積年の乾きが癒されるのか、と小躍りした位である。声楽陣もまずは最強の布陣、これを期待するなという方が無理。とは言うものの、実演で接した大野のマーラー(東京フィルとの『復活』、都響との『夜の歌』と第4)は必ずしも満足の行く出来ではなかった訳で、当夜の第3はこの指揮者向きの作品だろうと思われはするが、しかし首尾良く行くものかとの不安がなかったと言えば嘘になる。

前口上はこの位にして本題に入る。最初に演奏全体の印象を記せば、極めてガッチリとした造形と激烈な力感に溢れた「辛口」の演奏と言うべきだろうか。そして大野のそのような指向性をオケがかなりよく汲み取って健闘していたようには思う。しかし、例えば第1楽章で指揮者はオケをとにかく前へ前へと推進させるが、大柄で骨太な響きが連続し、室内楽的な箇所ではいささか繊細さに欠け、テンポの変化も余り生かされておらず、もっと柔軟性と多彩さが欲しい。響きもやや雑然としており、特にトゥッティでは音が濁りがちになることも。第2楽章も基本的にはイン・テンポ気味の演奏で甘美さは薄いが、しかしながらマーラーがスコアに書き込んだ細かい強弱の変化やニュアンスはよく表現されていてこれは見事。第3楽章は中間部のポストホルン(コルネットで代用していた)をステージ上手裏から吹かせたが、距離感が少し近く、楽章全体の演奏も含めてここでも夢幻的とまでは行かない。第4楽章ではその柔らかい発声と表現力豊かな語りかけが見事なパーシキヴィのメゾが秀逸だが、オーボエのレシタティーフに付された「ずり上げるように吹くこと」という指示がよく生かされていた点も聴き逃せない(これがあまり生かされていない演奏も多い)。いかにもオペラ劇場付と言うべき、精度優先よりも彫りの深い発声を賞賛したい新国立劇場の女声合唱が加わった第5楽章を経て、ついにあの感動的な第6楽章に到達した訳だが、ここでの深い歌い込みは今まで聴き得た大野と都響の演奏の中でも最上位に位置するものだったと思う。決して情緒的な表現に耽溺するタイプの演奏ではないが、その激しさは尋常ではない。

―以上は9日における演奏について記したものだが、お読み頂いた通り、素晴らしい箇所はあれども全体としては大絶賛している訳ではない。しかし、サントリーホールに会場を移した翌日10日のコンサートにおける演奏はむろん解釈自体は同じながら仰天するほどにレヴェルアップしていて驚く。ホールのアコースティックによる聴こえ方の違いや「生身の人間」の営為たる演奏行為はその都度異なって現出する、などを考慮してもその演奏は緊張感と響きの緊密さが格段に向上していた。それゆえ、先述したような初日には気になった箇所が演奏全体の流れの中で極めて必然性を強く伴ったものとして配置され響いて来るためにほとんど違和感がなくなっているのだが、中でも両端楽章の感銘度は9日を大きく上回る。9日の演奏だって悪いわけではない。しかしそこまでの感銘には至らなかったのは大野の解釈のためなどと高を括っていたところの10日の演奏から与えられた圧倒的な感動。今さら何を当たり前のことを、との謗りを受けるかも知れないが、個人的好悪を越えたところで優れた演奏には有無を言わさぬ説得力があるということ、ある演奏家の演奏がどこまでの高みにまで到達できるか、を知るには実際に「越えてしまった」演奏の場に居合わせることでしか体験できない、ということ。しつこいようだが、9日の演奏だって相当に優秀なものだったのだから。結果的に、この10日の演奏は実演で聴いたマーラー:第3の中でも最上位に位置すべきものにすらなった。

(2018/5/15)