紀尾井 午後の音楽会-明治150年 音楽の花開くⅠ-|藤堂清

開館記念ガラ・コンサート
紀尾井 午後の音楽会
-明治150年 音楽の花開くⅠ-

2018年4月2日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by  林喜代種(Kiyotane Hayashi)撮影:夜の部(宵祭)@小ホール

<出演者>
杵屋巳津也,杵屋巳之助,杵屋佐喜,杵屋巳津二朗(長唄唄方),
今藤長龍郎、今藤長龍郎、稀音家一郎、松永忠三郎、味見優(長唄三味線方)
福原百之助、福原鶴之助、福原貴三郎、福原大助、福原徹(囃子)
米川敏子、吉田敏乃(箏)
篠崎史紀(Vn)彌勒忠史(C-Ten)曽根麻矢子(Cemb)古部賢一(Ob)

<曲目、演奏者>
長唄《元禄花見踊》
  唄:杵屋巳津也、杵屋巳之助、杵屋佐喜、杵屋巳津二朗
  三味線:今藤長龍郎、今藤長龍郎、稀音家一郎、松永忠三郎、味見優
  囃子:福原百之助、福原大助(小鼓)
     福原鶴之助(太鼓)、福原貴三郎(太鼓)
  笛:福原徹
箏曲《楓の花》
  箏:米川敏子、吉田敏乃
シェドヴィル:ソナタ《忠実な羊飼い》第2番 ハ長調 Op. 13-2
  オーボエ:古部賢一
  チェンバロ:曽根麻矢子
ヘンデル:オンブラ・マイ・フ
ヘンデル:私を泣かせてください
  カウンターテナー:彌勒忠史
  チェンバロ:曽根麻矢子
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 作品1-13
  ヴァイオリン:篠崎史紀
  チェンバロ:曽根麻矢子
———————–(休憩)————————-
ラモー:6つの変奏つきガヴォット
ラモー:めんどり
  チェンバロ:曽根麻矢子
箏曲《乱れ》
  三弦:米川敏子
  オーボエ:古部賢一
奥田祐:熊本民謡〈ヨヘホ節〉〈五木の子守唄〉によるラプソディー
  三味線:今藤長龍郎
  ヴァイオリン:篠崎史紀
セルミジ:花咲く日々に
  カウンターテナー:彌勒忠史
  箏:米川敏子
ダウランド:あふれよ わが涙
武満徹:小さな空
  唄:杵屋巳津也
  カウンターテナー:彌勒忠史
  チェンバロ:曽根麻矢子
山田耕筰:来るか来るか
  唄:杵屋巳津也
  カウンターテナー:彌勒忠史
  チェンバロ:曽根麻矢子
  三味線:今藤長龍郎

 

紀尾井ホールには西洋音楽のためのコンサートホールと日本音楽を演奏する紀尾井小ホールがある。この日は大きい方のコンサートホールでの演奏。前半は、長唄、筝曲といった日本音楽と、西洋音楽からシェドヴィル、ヘンデルといったバロック音楽がとりあげられた。後半では、西洋の楽器や記譜法が入ってきてから行われるようになった、筝曲を三弦とオーボエで、セルミジの歌をカウンターテナーと箏でといったように、日本音楽と西洋音楽の奏者がそれぞれの境界を越え、共同で音楽をつむぐ試みが披露された。

前半は日本音楽と西洋音楽をそれぞれの楽器や声で演奏した。
最初の二曲の日本音楽、長唄《元禄花見踊》、箏曲《楓の花》はともに明治時代の作品。前者は近代的な劇場の開場にあたって披露されたものとのこと。長唄や筝曲の分野における創作活動が現在どのような状況なのか筆者には知見がなく、これらの曲が単独で演奏されることが多いのかどうかもわからない。ただ言えることは、三味線や唄の音律自体は(西洋かぶれ?した)筆者の耳にも抵抗なく聴けたということ。唄における声の使い方は裏声による部分が多く、笛によるいろどりは西洋の音階から外れることも頻繁にあった。西欧の「中世の音楽」などの復元楽器による演奏を聞くと、現代の西洋音楽の確立以前にはヨーロッパ各地にも多様な音楽があったことに気付かされる。同じようにアジアにもさまざまなものがあり、それらがシルクロードなどを経由し東へ西へ影響しあっていたことがわかる。この日聴けたものは、行き着いた先の日本ではぐくまれてきた音そのものではなく、明治になり西洋の音を受容し変化したものなのだろうか?
その後、18世紀に作曲された西洋音楽を西洋音楽の演奏者が演奏。シェドヴィルのソナタ《忠実な羊飼い》第2番はミュゼット(バグパイプの一種)のために書かれたものであるが、同族のオーボエで演奏された。通奏低音はチェンバロのみ。正直なところ、この前の二曲よりこちらの音の方が筆者の体に自然に入ってくる。
ヘンデルのアリア二曲を歌った彌勒忠史の安定した声、篠崎史紀(マロさん)のヴァイオリンのつややかさ、そしてチェンバロの曽根麻矢子の多彩な音色、安心して聴けるものであった。

後半では、互いの枠を越えた編成で演奏が行われた。
筝曲《乱れ》は17世紀から使われ、箏から三弦に移された時期もかなり古いとのこと。明治時代に箏や三弦と合わせるためにヴァイオリン・パートが作られており、この日はそれをオーボエで演奏した。三弦では、弦を撥いたあとの音の持続時間が限られるし、チェンバロのような小回りもきかない。一人で演奏しているときはよいのだが、二人で演奏するときになると、オーボエの持続する音の方に耳を奪われてしまう。それでも全体としては互いの良さを尊重しながらの合奏、楽しく聴いた。
《熊本民謡〈ヨヘホ節〉〈五木の子守唄〉によるラプソディー》は奥田祐が作曲したもの。もともと三味線とヴァイオリンのために書かれたためということもあるのだろうが、二人の演奏者の寄り添い具合もよい。ヴァイオリンの細かい動きに三味線の早いバチさばきがからみ、さらにそれぞれのソロで技巧的な冴えを聴かせながら追い込み、最後は三味線が余韻を残して終わる。さすがマロさん、合わせものはうまい。
その後はカウンターテナーの彌勒の歌が入る。
最初のセルミジは16世紀フランス・ルネサンス期の作曲家。それを箏の米川敏子と共演し、最初にフランス語で、その後日本語の訳詞で歌った。面白いもので、前半は歌が中心となりハープを伴っているように聞こえたのが、後半は逆に箏が主役となり、日本的な歌に響く。声が入るものの方が二つの音楽の融合はうまくいくのかもしれない。
続くダウラントと武満は、チェンバロに伴われて歌われた。ここでは彌勒だけでなく、杵屋巳津也の唄が入る。交互に歌うのを聴いていて興味深かったのは、カウンターテナーは裏声を体全体を共鳴体として使うが、杵屋の唄も地声から頭声まで幅広い音域をつかうこと。響かせ方や声の質は違うが声域という点では近いものがある。
最後の山田耕筰の作品ではこの三人に三味線が加わり、和洋合作の演奏で、コンサートを終えた。

このような西洋音楽と日本音楽を融合したコンサート、両者を日常的に上演している紀尾井ホールだからできること。実際、紀尾井小ホールでは、日本と西洋の奏者が同時に舞台に立つこともまれではないようだ。
5月の連休中に行われていたラ・フォル・ジュルネという音楽祭の中で、地中海音楽の楽団カンティクム・ノーヴムに、尺八、箏、津軽三味線が加わり、「シルクロード」というコンサートが行われ、評判となった。
この二つの取り組みのような地域も時代も超えた相互交流、新たな音楽の地平を生み出すきっかけとなることを期待したい。

(2018/5/15)