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クセナキス『形式化された音楽』監訳者に聞く/メールインタビュー第3回|野々村禎彦&齋藤俊夫

クセナキス『形式化された音楽』(筑摩書房)監訳者に聞く/メールインタビュー
第3回「自分にとってクセナキスとは?そしてクセナキス・ザ・ベスト」

text by 野々村禎彦 (Yoshihiko Nonomura)& 齋藤俊夫 (Toshio Saito)

 

(齋藤)
2ヶ月間に渡って、20世紀前衛音楽が生んだ偉大な鬼っ子クセナキスについて野々村さんにお話を伺ってまいりましたが、最終回の今回ではまとめというか、書き手それぞれにとってのクセナキス像を語るような場にしたいと思います。

クセナキスとは西洋音楽史上どんな存在であるのか?一言では言い表せないと思いますが、あえて私の言葉でまとめますと、シェーンベルクが機能和声という西洋音楽の屋台骨を外し、そこでヴェーベルンからブーレーズ、シュトックハウゼンへのトータル・セリーで秩序がもたらされるはずだったのに、「それは秩序に至らない」と、しかも西洋的理論理性の賜物であるはずの数学的理論を用いて喝破し、合理的秩序を超えたカオス、しかも「音楽的に豊かな」カオスをもたらしたという、ある種のトリックスター的存在、しかし道化ではなく極めてシリアスなトリックスターこそがクセナキスではないか、と私は捉えております。シリアスな、というのは彼は決して西洋音楽史的文脈から外れたわけではなく(例えばサティ→ケージの実験音楽の系譜ではなく)、あくまで彼が西洋の「芸術」音楽史の文脈上に位置づけられる存在である、ということを含意しています。

クセナキスはどこまでも「西洋前衛音楽」であったが、しかし、「西洋前衛音楽」がその後辿り着けなかった孤高の存在、として私の中ではやはりクセナキスは特別な存在なのですが、野々村さんとしてはいかがでしょうか。

(野々村)
監訳に際して原書を細部まで読むと、クセナキスの自己認識は戦後前衛に極めて近いと感じました。セリー主義批判はイデオロギー対立の時代ならではのポジショントーク的色彩が強いのに対し、「偶然性の音楽」への批判は生理的嫌悪に近く、「即興」を軽く見る姿勢もヨーロッパ戦後前衛の主流派と共通しています。

しかし、彼と「西洋芸術音楽」の距離も決して近くはないとも感じます。西洋芸術音楽の屋台骨は、高々モンテヴェルディに始まる機能和声ではなく、ルネサンス後期には既に完成していた対位法の原理の方でしょう。セリー主義は機能和声は否定しても対位法の原理は踏まえているのに対して、クセナキスはセリー主義を「線的対位法の限界」として批判するわけです。最小単位から出発して大伽藍を築く対位法の原理を否定し、まず全体像のスケッチから出発する違いは根本的です。

私にとってのクセナキスは、20世紀後半でなければ生まれなかった偉大なアウトサイダーとしてシェルシと並ぶ存在です。彼らを特徴付けるのは専門的技術の欠如であり(彼が対位法の原理を否定したのは、ヤナーチェクのような信念ではなく現実的な戦略でしょう)、それでも一流の作曲家たり得たのは、シェルシは即興演奏を録音して素材にできたから、クセナキスはコンピュータで計算して複雑な素材を得られたから。録音とコンピュータという20世紀後半に特有の技術が彼らのヴィジョンを形にしたわけです。

(齋藤)
なるほど、クセナキスもただ彼が天才だった、だけなのではなく、あくまでコンピューターの発明という時代的必然性の中で自己を確立したのですね。

さて、全3回に渡ったこのインタビュー、お互いの「クセナキス・ザ・ベスト」作品をコメントと一緒に挙げて終わりにしたいと思います。コメントの内容は音楽史的重要度、方法論的特殊性、それとも個人的な好みなどなんでもありで、「これらを聴けばクセナキスの凄さがわかる」といったものを挙げてみましょう。

と言っても私には順位をつけるのは無理なので年代順に挙げますが、『メタスタシス』(1953-54) 、『ヘルマ』(1960-61) 、『ノモス・ガンマ』(1967-68) 、『シナファイ』(1969) 、『ペルセポリス』(1971) 、この5曲をクセナキス・ザ・ベストとして挙げたいと思います。

まず全ての始まりの『メタスタシス』は外せません。これを独りで作曲していたという伝記的事実は「アウトサイダー」としてのクセナキスの人生を象徴していると思います。またこの作品によるヘルマン・シェルヘンとの出会いのエピソードも味わい深いです。
『ヘルマ』は「音楽的に豊かな論理的カオス」を1台のピアノで実現してしまった恐るべき作品です。本書にある(楽譜にもある)ベン図を見て構造を把握しても聴いてみるとやはりスゴイ。
『ノモス・ガンマ』『シナファイ』は「傑作の森」時代の作品中でも最高のものだと思います。そして、「音楽」という普通の通念を持っている人でもこれらの曲は「スゴイぞ面白いぞ」となる作品でしょう。「クセナキスは面白い」と思わせたいならこれらから入らせるのがベストでは。
そして『ペルセポリス』、友人にこれを聴かせたら数分で「プレーヤー壊れてないか?」と言われましたが、クセナキス・ノイズの最高峰はこれしかないでしょう。45分以上ひたすらに続くノイズにうっとりします。いつか大きな場所での多チャンネルで聴いてみたいものです。

いかがでしょうか。野々村さんの「クセナキス・ザ・ベスト」をお聞かせください。

(野々村)
『形式化された音楽』の著者紹介で挙げた通り、私は彼の代表作は『テレテクトール』(1965-66) 、『ペルセポリス』(1971) 、『テトラス』(1983)  だと思っており、『ペルセポリス』と前後するミュジック・コンクレート2曲、『ボホール』(1962)  と『エルの伝説』(1977)  も外せません。

齋藤さんの5曲と唯一重なっているのが『ペルセポリス』ですが、これは別格ですね。「ノイズ」というと、金属振動のフィードバック音と歪んだ発振音を重ねた、90年代以降のメルツバウの「ハーシュ」な音響をまず想起しますが、これは金属打楽器や民俗楽器の録音のループを加工する正統派のミュジック・コンクレートで、『抜刀隊』『緊縛のための音楽』など、80年代後半のメルツバウの代表作にも直接的な影響が聴き取れます。イランの古代遺跡で光と火のスペクタクルを伴う形で上演された、人類の過去と未来を背負ったスケールで1時間近く続く、激しくも優しい音楽です。

このジャンルの他2曲も素材自体はあまり違いませんが、制作年代によるまとめ方の違いが聴きどころです。『ボホール』は独自のスタイルを確立した直後の曲で、20分強を素材間のバランス変化と音圧だけで押し通した潔さが元祖ノイズ音楽。初演では、電子音楽には慣れているはずの聴衆ですら耐えられずに殆ど退散したとか… 『エルの伝説』は、IRCAM創設を記念した特設会場用の音楽。独自理論によるコンピュータ合成音響と熟達のミュジック・コンクレートの融合で、音楽的には彼と水と油のブーレーズでも、電子音響・音楽研究所のオープニングには彼を指名したわけです。

『テレテクトール』は『ノモス・ガンマ』に先立つ、大オーケストラを客席にばら撒いた最初の曲。この曲が満場の喝采を浴び、彼がついに国際的評価を確立した瞬間を指揮台から見届けてシェルヘンは世を去っており、彼の人生で大きな意味を持つ曲です。「傑作の森」の入り口にあたり、その後の精緻な作品群にはない初期衝動の良さがあります。『テトラス』は彼の第二のピークを代表する弦楽四重奏曲で、バルトーク3番の魔改造というか… どちらもギリシャやビザンチンの伝統音楽が彼のルーツだと伝える土臭さを持ち、私の方が彼のこのような側面に惹かれているということです。

ただしこの5曲だけだと特定の傾向に偏りすぎているので、あと5曲追加します。まず『ポラ・タ・ディナ』(1962)  と『アクラタ』(1964-65) 。最初の5曲はみなダイナミックでドラマティックですが、天体の運行のようなスタティックで非人間的な音楽にも別な魅力があり、この2曲はその代表。いずれも1拍子の同音反復と単純なグリッサンドの組み合わせですが、人間の生理に反した無機質な運動を、児童合唱と管楽合奏という特に「生々しい」はずの編成で実現しているところに痺れます。『モルシマ-アモルシマ』(1962)  などにも共通する。「傑作の森」以前に特有の味わいです。

次は『アナクトリア』(1969)  と『サンドレ』(1973) 。最初の5曲以上に、ダイナミックな表出性に振り切った2曲。ピアノ独奏曲『エヴリアリ』(1973)  など、彼の器楽曲は小編成になるほど、演奏家に極度の負荷をかけて超越体験を引き出す傾向が顕著ですが、『アナクトリア』は9奏者のための曲なのに最強レベルにサディスティックなのが凄い。『サンドレ』は『エヴリアリ』と並ぶ、樹形図による直感的な作曲の最初の例ですが、混声合唱とオーケストラが生々しくうねる一筆描きのシンプルさが快感。ただしこの時期も直感一筋ではなく、方法論的にも音響的にも『エルの伝説』の器楽版にあたる『ネシマ』(1975)  も趣があり、この方向に進んでいても十分面白かったと思います。

最後に『コンボイ』(1981) 。彼はケージと並ぶ打楽器曲の大家で、『ペルセファサ』(1969)  などのアンサンブル曲も素晴らしいですが、この曲は打楽器と増幅したモダンチェンバロのデュオが歌って踊って爆発し、とにかく楽しい。彼の音楽は実は「体の芯に来るわかりやすい音楽」だと実感するには、この曲が一番です。あと5曲と言っておきながら既に9曲挙げましたが、最晩年の境地を伝えるバスクラリネット協奏曲『交換』(1989)  も聴けば、作曲歴を一通り押さえたことになります。

(齋藤)
私は「私の中のクセナキス」の視界内でクセナキス・ザ・ベストを選んだのですが、野々村さんのクセナキス・ザ・ベストで改めて彼の生涯を俯瞰すると「私の中のクセナキス」観が狭かったことに気付かされます。私は世界的な「前衛の時代」の音楽観・感性でベストを選んでしまって、クセナキスが「前衛のアウトサイダー」または「ギリシアからの亡命者」として開拓した領域を軽視しているかもしれません。

3ヶ月間に渡って拙い問いかけに誠実にお応えいただきありがとうございました。この『形式化された音楽』邦訳書とこのインタビューでクセナキス理解、あるいはせめて「クセナキスはすごい」ということが広まることを期待してインタビューを終わりにさせていただきます。

 

 

 

 

 

(付録)「クセナキス・ザ・ベスト」に登場した作品の録音のCDとMP3音源

XENAKIS/ ORCHESTRAL WORKS (mode records) CD
『メタスタシス』『テレテクトール』『ノモス・ガンマ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B076KWSLJV/

Iannis Xenakis (edition RZ) CD
『テレテクトール』『ノモス・ガンマ』『ペルセポリス』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B0007P35SW/

Xenakis: Orchestral Works & Chamber Music (EMG Classical) MP3
『メタスタシス』『ネシマ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B0048VWUDW/

Xenakis: Synaphai / Aroura / Antikhthon / Keqrops (DECCA) CD
『シナファイ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B00CLUCQVS/

Xenakis, I.: Orchestral Works, Vol. 3 – Synaphai / Horos / Eridanos / Kyania (Timpani) MP3
『シナファイ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B00BUZIOAW/

Xenakis: Works for Piano (mode records) CD
『ヘルマ』『エヴリアリ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B00001W094/

Iannis Xenakis: Atrées, Morsima-Amorsima, Nomos Alpha, ST 4, Achorripsis (Warner Classics) MP3
『ヘルマ』『ポラ・タ・ディナ』『アクラタ』『モルシマ-アモルシマ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B0058DK35G/

Iannis Xenakis: Chamber Music 1955 – 1990 (naive classique) MP3
『テトラス』『ヘルマ』『エヴリアリ』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B06XXHV16M/

Complete String Quartets (mode records) CD
『テトラス』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B001WKHZT6/

Legende D’eer for Multichannel Tape (mode records) DVD
『エルの伝説』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B0007RFGU0/

Milano Musica Festival Live, Vol. 2 (stradivarius) MP3
『アナクトリア』収録
https://www.amazon.co.jp/dp/B01LXJCBUZ/

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                                        (2018/4/15)

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野々村禎彦(Yoshihiko Nonomura)
1966年東京生。第1回柴田南雄音楽評論賞奨励賞を受賞し、Breeze紙やExMusica誌を皮切りに音楽批評活動を続ける。川崎弘二編著『日本の電子音楽 増補改訂版』(愛育社)、ユリイカ誌『特集:大友良英』(青土社)などに寄稿。