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Books|「君が代」 日本文化史から読み解く|丘山万里子

「君が代」 日本文化史から読み解く

杜こなて著
平凡社新書
2015年1月15日発行
820円

text by 丘山万里子( Mariko Okayama)

最近は3、4月の『君が代』斉唱問題がニュースになることもほとんどなくなった。ちゃんと歌っているか口元を監視など、ひところはその「強制」ぶりが騒がれたものだが、1999年の法制化から20年近くの年月が経ち、すっかり定着したようだ。
本書は2015年、杜こなて(吉田耕一+長与寿恵子の夫婦共作の作曲家)によって執筆、出版されたものだが、賛否論争が下火になった今、改めてご紹介したい。

帯には「日本文化の伝統に息づく平和の歌」とある。
『君が代』の歴史を紐解くなら、この歌(歌詞/和歌)がそもそも賀歌として『古今集』に収録されており、日本文化の伝統の中で「いつも安寧を言祝いで」歌われ続け、その「目線の先には平和がある。」それは戦時体制下の戦いの価値観とは真逆であり、「20世紀に入り、総力戦の装置に担ぎ出されるまで、戦争と『君が代』は、お互い同士、背中を合わせて別方向を向いていた。」
とは本書の最初と最後を筆者が拾ったものだが、内容はそれほど単純路線ではない。
豊富な資料と作曲家ならではの音楽的見地から掘り起こされ、広く世界・時代を俯瞰した視点の鋭さは、安易な賛否の論評をさらりとかわし、常に大局から見渡すよう注意を促す。そこに一筋縄で行かない本書の魅力があろう。

作曲家らしく「序章」は主題提示、「終章」は後奏曲、歌を狂言回しに5章立て(3つの話題で1つの章)、変奏曲の変形スタイルとのこと。
第1章)みっつの切り口
第2章)手掛かりとしての伝統文化
第3章)草の根への浸透
第4章)維新のまえ・あと
第5章)国際社会の渦へ

第2章で和歌の伝統といにしえの『君が代』への言及、漢字の「君」は指導者や王を指すが、『万葉集』では恋の歌に現れる。古来「君」が何を意味したかは状況次第、愛する異性への呼びかけにもあり、私かもしれない、貴方かもしれないと著者は言う。
では、時代はどのようにこの歌を変えたか、変えなかったか。
本書で多面多角に展開されるテーマである。

第3章には<性的暗喩と『君が代』>という項目もあり、室町・安土桃山・江戸初期の流行歌(隆達節歌謡)などでは「いわほと」が性表現の暗喩に読み解かれてきた、と。『古事記』の国生み話をひきつつ、今と昔の性に対する立ち位置の違いをも指摘する。
語り・筆写・印刷物の流布による様々な時代での『君が代』受容・変遷の様も興味深い。徳川期での「愛と宴席の場面を彩る『君が代』」もあれば、「妙薬の歌として」巷間に根付き、広まってもゆく。江戸庶民文化での「君が代」は目出度さを飾る枕詞であった。日本全国で人々は「君が代」の言葉と共に、世の安寧を願い、長寿を望み、五穀豊穣を念じ、家の繁栄や夫婦の和合を天に祈ったのである。
「東アジアを俯瞰すれば、地域一帯が同じ嗜好で包み込まれ、歌を挟んで敵対し合う仲ではない。」

第4章ではそれまでの日本の伝統文化の中で息づいてきた『君が代』が国歌へと変貌してゆく過程が語られる。明治の新時代、ヨーロッパ諸勢力への対応が急務となる中で、日本国歌への試行錯誤が始まる。
現行の国歌の出典は維新の主役である薩摩藩の薩摩琵琶曲だそうだが、今日のナショナル・アンセムとしての国歌が形成されるのは薩摩に関係を持つイギリスの軍楽隊長J・W・フェントンによる純粋西洋音楽様式の『君が代』作曲あたりから。だが、それが唯一のものではなく、雅楽人や文部官僚たちの作もあった。日本の歴史に根を下ろした言葉と数種の異なる曲調に、著者は音楽をめぐる当時の複雑で困難な状況を見ている。

第5章、世界に目を向けるなら、産業革命と「国民創生」は連関、資本主義の発達が列強による帝国支配を生み、各地におけるナショナリズムの高揚と国民意識の昂まりは「国民」を育むための文化装置としての「国歌」を要請する。
欧州的帝国を目指す日本の国歌作りはこうした動きの中でのこと。文部省による国歌創生の努力が『君が代』の詞章の意味合いに変化を起こす。1893年『祝日大祭日唱歌義解』に「我が君の、天の下知ろしめす御代を、さし奉れる詞(ことば)なり」と解説され、「皇国への歌の運命が、避けがたかった。」
と言って、こうした認識が国民一般に共有されていたわけではなく、『君が代』吹奏時の聴衆の礼の欠如が新聞紙上で指摘されたりもしていたというから、やはり決定的なのは2つの戦争であったということだ。
戦時の叙述は短いが、「明治政府樹立から敗戦に至る時間は、ほんの80年弱である。21世紀初頭の日本人の平均寿命程度に過ぎない。『君が代』の言葉の意味合いは、ある時以降、戦時の歌に向かって、急速な変化を強制されていた。」

国家総動員の装置として、全体主義国家の聖歌として機能した『君が代』が残した爪痕により、「社会を覆った時局的用法への反発が、皇国の歌への反対感情となって作用」し、「戦後の“反・君が代”感情には、根拠がある」とする著者だが、では現在、そして未来、『君が代』がどのように歌われてゆくのか、作用してゆくのか。
「立ち位置と、みる方向次第で、目に飛び込む景色は様々に変わる。大きな様相をつかみ取るには、俯瞰で眺望する以外に、手立てがなかろう。」という<最後に>の締めくくりの言葉から読み取る他ない。

なお、古代歌謡、祭祀、能、寺院芸能、中世俗謡、浄瑠璃、三味線音楽、雅楽、洋楽、レコード、ラジオ録音などにおける『君が代』への言及が全編に織り込まれているのもさすが。

『君が代』論議にお薦めの書である。その歴史を俯瞰した時、何が見えるか。
国旗国歌法案成立時に、政府は「君」は「天皇」であると言明した。「いっときの特殊使用」がまたぞろ、であるが、『君が代』の音調が実は好きな筆者は、簡単な話、万葉のころに戻って、「君」は愛するあなたであり、私ですよ、という理解がSNSででも拡散すればいいのに、と思うのであった。

ついでに。
以前、大学の講義で学生たちと世界の国歌を聞き比べたことがあったが、おしなべて似たり寄ったり。それが、列強支配下にあった諸国の植民地化の痕跡である事、その中で二つだけ際立って異彩を放ったのがイスラエルと日本の国歌であったのに学生ともども深く考えさせられたのであった。

 (2018/4/15)