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東京交響楽団 第656回定期演奏会|齋藤俊夫

東京交響楽団 第656回定期演奏会

2017年12月2日 サントリーホール
Reviewed by 齋藤俊夫 (Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏・曲目>
指揮:ジョナサン・ノット
東京交響楽団

ジェルジ・リゲティ:『ハンブルク協奏曲』~ホルンと室内アンサンブルのための
ソロ・ホルン:クリストフ・エス、ナチュラル・ホルン:大野雄太、勝俣泰、金子典樹、藤田麻理絵

ロベルト・シューマン:『4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック』
ホルン:ジャーマン・ホルンサウンド(クリストフ・エス、シュテファン・ショットシュテット、ゼバスティアン・ショル、ティモ・シュタイニンガー)
(アンコール)アントン・ブルックナー(M・ヒェルツル編)4本のホルンのための『3つのコラール』から「アンダンテ」

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第3番『英雄』

 

音楽監督ジョナサン・ノットが今回フィーチャーした楽器はホルン。前半2曲は2002年のリゲティ、1849年のシューマンのホルン協奏曲、そしてメインにベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』。こんなプログラムを思いつき実行するのがまさにノットがノットたる所以というものであろう。

さて、そのリゲティ『ハンブルク協奏曲』は、リゲティの『アトモスフェール』や『ルクス・エテルナ』を思わせる、虚空を漂うような密集和音のうつろいを聴いたり(微分音が使われていたのかもしれない)、5人のホルン奏者が力強く合奏する、ソリストがはろばろと吹き鳴らす、と思わせておいて何故か小オーケストラが邪魔をする、小オーケストラがミニマル・ミュージックを歪ませて模倣したような合奏をする、ホルン5人と小オーケストラが丁々発止のやりとりをする、と思わせておいて何か噛み合わないで消え行く、ナチュラル・ホルンの自然倍音が上昇していって全曲終わり、という、なんともリゲティらしいアイロニーに満ちた、ホルンを自在に操りつつそれを異化した音楽であった。
しかし、確かに面白い作品であり、演奏も良かったと思うが、ホールに対して音が小さすぎたきらいは否めない。この作品には小ホール程度が丁度良いのではないだろうか。だが、20人以上の奏者と10種以上の打楽器を含めた小オーケストラを使うための予算などを考えると、それもまた難しいのかもしれない。

シューマン『コンツェルトシュテュック』、第1楽章はソリスト4人がしなやかかつスピード感にあふれ、しかし力むことなく、自由自在に演奏=play=遊ぶ。反復進行が実に愉快。第2楽章はソリスト2人で悲しげに始まり、中間部ではソリスト4人で優しく、温かいレガートで会場を包む。トランペットのシグナルの後、第3楽章は言わば英雄たるソリスト4人の凱旋曲といった風情で、軽やかに、誇らしく音楽の喜びを歌い上げる。最後はアッチェレランドして高らかに終曲。
筆者は80年台ハリウッドのジョン・ウィリアムズの映画音楽を想起したが、それよりはるかにエクリチュールが巧みであり、そしてなによりジャーマン・ホルンサウンド4人のplayが童心に帰ったかのように愉快であった。

そしてメインのベートーヴェン交響曲第3番『英雄』もホルンが大活躍であった。第1楽章提示部の主題からホルンが活躍するとは憶えていたものの、改めて聞くとまるでホルンが主役のような作品ではないか!プログラムノートで小宮正安氏も指摘している第1楽章終結部や、第3楽章トリオでのホルン三重奏から、最終楽章終結部までホルンが前面に出されていた。各楽章で主題を吹く際のホルンが実にのびのびとしていて気持ちが良い。もちろん、それはノットの意図ゆえでもあるのだが。帰宅して総譜と照らし合わせると、ノットは譜面通りに再現しつつ自分の音楽を作り上げていたことがわかって、また感服してしまった。
また、今回の演奏において、第2楽章のフーガ、第4楽章のフーガとパッサカリアといった、ベートーヴェンが用いたバロック的対位法が実に荘厳な力に満ちて現れていたこと、第4楽章序盤では弦楽合奏を弦楽四重奏に換えて、その後に管楽器も加わる部分が、バロック音楽の合奏協奏曲のような典雅な調べを奏でていたことも特記しておきたい。前古典期から古典期で失われていたバロック音楽の要素が、ベートーヴェンの本作によって生まれ変わったことがはっきりとわかる解釈だったと言えよう。そして、この複雑な書法(しかし難解に聴こえないところがノットである)の中からホルンによる主題が堂々と現れるのが、また感無量。ベートーヴェンとは、音楽とはかくも喜びに満ちたものであったか!

ホルンを軸に曲目、そして音楽を組立てるという実に明快なコンセプトでこんなにも豊かな演奏会になるとは、またもジョナサン・ノットにしてやられた気分であるが、いっそ痛快である。次は彼のどんな音楽と出会えるのか、俄然期待は高まるばかりである。

(2018/1/15)