NHK交響楽団 第1873回定期公演 & 第1875回定期公演|藤原聡

デュトワ指揮NHK交響楽団©林喜代種

NHK交響楽団 第1873回定期公演 & 第1875回定期公演

Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)

♪NHK交響楽団 第1873回定期公演 Aプログラム〈ラヴェル没後80年〉
2017年12月3日 NHKホール
写真提供: NHK交響楽団/12/2撮影

<演奏>
シャルル・デュトワ指揮/ NHK交響楽団
ピアノ:ピエール・ロラン・エマール

<曲目>
ラヴェル
  古風なメヌエット
  組曲『クープランの墓』
  左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
  道化師の朝の歌
  スペイン狂詩曲
  ボレロ

♪同 第1875回定期公演 Bプログラム
2017年12月13日 サントリーホール
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
シャルル・デュトワ指揮/ NHK交響楽団
ソプラノ:アンナ・プロハスカ

<曲目>
ハイドン:交響曲第85番 変ロ長調 Hob.Ⅰ-85『女王』
細川俊夫:ソプラノとオーケストラのための『嘆き』―ゲオルク・トラークルの詩による
メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 作品56『スコットランド』

 

毎年12月恒例のデュトワN響登場。この月の登場は2008年からだというが、われわれオーケストラ音楽ファンにしてみればもはやこれがないと年が明けない、というほどの年末の一大イヴェントとなっていると言っても過言ではない。但し、たいていはオペラ(演奏会形式)や大規模な声楽曲を取り上げることが多いデュトワが今回はそれらの曲をプログラムに入れていないのはいささか残念ではある。ここ何年かの演奏、2016年の『カルメン』、2015年の『サロメ』、そして2014年の『ペレアスとメリザンド』は非常に完成度の高い名演奏でデュトワの実力をまざまざと見せつけられたものだ。
とは言え、A定期のオール・ラヴェル・プログラムは、ほとんどが再演だろうが(全て?)デュトワの「伝家の宝刀」を再度たっぷりと味わえるし、それはC定期の『火の鳥』も同様。 B定期はデュトワの通念的イメージからはやや違う3曲がプログラミングされているが、逆にどういう演奏となるか興味は尽きない。ここではその3プログラムからA定期とB定期を取り上げる。

そのA定期のオール・ラヴェルだが、最初に結論を書けば、どの曲もさすがに「餅は餅屋」とでも言うべき演奏を聴かせてくれ、中でも『クープランの墓』と『スペイン狂詩曲』の出来栄えが抜きん出る。前者で特筆すべきは、例えば第2曲『フォルラーヌ』や第3曲『メヌエット』の中間部で現れる精妙な弱音部分のニュアンスの多彩な変化と、そしてそれに伴う儚さと寂寥感の表出。音楽の流れは決して停滞せず淀みないにも関わらず音楽は徐々に高度を下げつつ悲痛さが増すのだが、デュトワはこういった情感を実にさりげなく表す。モントリオール響の録音も良かったが、この演奏の方が明らかに優れているだろう。実演と録音の違いによる聴こえ方の差異、という点を考慮してもデュトワの手腕はさらなる進化を遂げているのは明確だ。ラヴェルの擬古典的な意匠の中に潜む透明な悲しみ、これをこの指揮者は完全に音化した。
そして『スペイン狂詩曲』ではその音色のパレットはさらに多彩に、合奏はさらに緻密になる。リズムの揺らぎも名人芸であり、これは指揮者とオケの密な意思疎通の賜物でもある。他の曲ではわざとらしいスペイン色などどこ吹く風、デュトワらしくあくまで洗練された表情で聴かせた『道化師の朝の歌』とエマールの重量感と切れ味を兼備した『左手のための協奏曲』が秀逸(先年大野和士&都響と同じ曲を演奏したが、それより明確に良い)。ここでデュトワのラヴェルを総括すれば、最後の『ボレロ』でも明らかなように、全体としてオケを開放する箇所は開放しつつ、その音楽は以前よりも落ち着きと静けさ、奥深さを加えている。単にきらびやかなだけはない「何か」がより現れているように聴いたのだが、どうだろうか。

日は変わってサントリーホールでのB定期、デュトワには珍しいハイドン、と書きそうになるけれども、この指揮者はモントリオール響とパリ・セットを録音しており、当然その中には『女王』も収録されている。これがもう美演の極みであり、徹頭徹尾デュトワ的に音彩を磨き上げている。単一の気分に支配されてはいまいか、という批判は当っているが、しかしこれがデュトワであって、ここまでやれるのも凄いことだ。
当夜の演奏もそれと同様に流麗で柔らかいが、しかしここではここぞという箇所でのアクセントがより効果的に活きており、なだらか一本槍ではない演奏を聴かせた。メヌエットでの羽のごとく重力から開放されたかのようなヴァイオリンの軽やかさが忘れ難い。デュトワらしい好演。

2曲目の細川作品は2013年8月に当夜と全く同じ顔ぶれによってザルツブルク音楽祭で初演された曲であり、つまりこれは再演ということになる。尚、2017年7月に藤村実穂子、ジョナサン・ノットと東京交響楽団がこの曲を演奏しているのだが、こちらのレビューも筆者が担当したので併せてお目通し頂ければ幸いである。
藤村&ノットはメゾソプラノによる改訂版(2015年の藤村&京都市交響楽団によるヨーロッパ公演に際し音域を低くして作られた)での演奏であったが、今回の「初演ソプラノ版」は音域が違い、そして歌手の声質とその歌唱の質のせいだろう、印象はかなり異なる。メゾ版はくすんだ響きによる沈滞した暗さと重々しさが前面に出ており、藤村の言葉の意味を徹底して掘り下げたディクションのために起伏に富んで聴こえ、当夜のプロハスカによるソプラノ版では、極めてシャープな発声とより明晰な旋律線のためもあってその音楽はノット&藤村よりもクリアな輪郭をもって聴こえて来る。しかし、プロハスカの超絶的な歌唱技術は、それがある種の非現実性というか明晰ゆえの狂気とでも言いたくなるような凄まじい世界を現出させており、乱暴に言えば藤村&ノットのディオニュソス的な演奏に対し、プロハスカ&デュトワはアポロ的とでも形容できるものとなっていた(当然ソプラノ版にせよメゾ版にせよ、他の歌手が歌ったのであればそのイメージはまた違ったものとなっただろう。オケの演奏もデュトワはノットに比して明確に柔らかくカラフルに聴こえ、これも印象の違いを左右していただろう)。
しかし、この曲は傑作と呼んでも差し支えなく、聴き手の心情を揺さぶるエモーションに満ち満ちているが、それは決して通俗的なやり方では表されていない。

ハイドン~細川俊夫からのメンデルスゾーン、という流れも少し不思議ではあるが、ともあれ『スコットランド』。第1楽章の序奏がたっぷりとしたテンポとぬくもりある音で奏されてからの主部も、やや遅めに運びながら表情はなかなかに激しい。反対にスケルツォでは限界まで速めたテンポが聴き手に生理的快感を呼び起こすが、アダージョではラヴェルと同様その弱音がこよなく美しい。デュトワの唸り声で決然と開始された終楽章も、軽快に飛ばしながらも弦楽5部の彫りの深い掛け合いは見事で、全体にデュトワらしい流れの良さと各部分の掘り下げが上手く両立している感。流麗一本槍ではない(デュトワをそう思っている方もいるような気がするのだが…)。
正直に書くならば、そこまで大きな期待をしていなかったデュトワの『スコットランド』、これは名演であった。

齢81にして、デュトワの手腕は衰えるどころかますます冴え渡る、の巻。

(2018/1/15)