ペルゴレージ 歌劇 オリンピーアデ|大河内文恵

ペルゴレージ 歌劇 オリンピーアデ

2017年11月3日 紀尾井ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by ヒダキトモコ/写真提供:紀尾井ホール

<演奏>
河原忠之(指揮・チェンバロ)
クリステーネ:吉田浩之(テノール)
アリステーア:幸田浩子(ソプラノ)
アルジェーネ:林美智子(メッゾ・ソプラノ)
リーチダ:澤畑恵美(ソプラノ)
メガークレ:向野由美子(メッゾ・ソプラノ)
アミンタ:望月哲也(テノール)
アルカンドロ:彌勒忠史(カウンターテナー)
紀尾井ホール室内管弦楽団
演出:粟國淳

 

2015年に日本初演されたペルゴレージ作曲『オリンピーアデ』再演の初日を聴いた。指揮、演出、キャストはすべて前回と同じで、2015年には特別編成だったアンサンブルのみ、今回はホール付きの室内管弦楽団のメンバーに変更された。舞台セットと衣装は前回をそのまま踏襲している。

前回と比べて、歌手陣は格段によくなっていた。本来カストラートが歌った役を演じたリーチダ役の澤畑、メガークレ役の向野は、2015年のときには、何を目指しているかは伝わるものの今ひとつそこに到達しきれていないもどかしさがあったが、今回は技術が向上してアジリタが安定したことと、歌手本人の力量と役で求められることとの落としどころをうまく見つけた安心感があった。

アリステーア役の幸田とアルジェーネ役の林も、本来はカストラートの役ながら(上記の2人のように男性役ではなく)女性役ということもあり、安定した歌唱を聴かせていたし、第1幕では声があまり出ていなかったアミンタ役の望月も第2幕以降、調子を上げ見事だった。クリステーネ役の吉田は、彼のところだけプロンプターの声がよく聞こえるというご愛嬌はあったものの、とくに第3幕において役柄のもつ堂々とした雰囲気を演技でも歌唱でも示し、オペラ全体の格を向上させることに貢献していた。

特筆すべきは、唯一のカウンター・テナー、アルカンドロ役の彌勒であろう。第2幕でアルカンドロが登場すると、それに引っ張られるようにしてオーケストラが生き生きとし始めたことからも、彼のこの公演における役割の大きさが推しはかられる。

しかしながら、聴いていて随所に違和感が残ったのも事実である。まず、アンサンブルにファゴット奏者がいなかったのはなぜなのか。前回は非常に小規模のアンサンブルだったため目立たなかったが、この編成でファゴットが欠けているのは通奏低音軽視と思われてもしかたないであろう。

その傾向はレチタティーヴォにもみられ、ほとんどチェンバロのみで伴奏されたレチタティーヴォは、数字付き低音のリアライゼーションがワンパターンになりがちなため陳腐に聞こえてしまう。近年のバロック・オペラの上演では、アリアで名人芸を聴かせることはもちろんのこと、通奏低音を充実させることによって、レチタティーヴォを単なるつなぎとしてではなく、生き生きと物語を進行させる原動力としてつかっていることが多い。そういう意味では、かなり時代がかった上演だったように思える。

ブックレットの対談の中に「企画段階の最初に、オールスター歌手を揃えてその技術を競う上演にしたい」という河原の発言があり、それはよく伝わってきた。だが、そのスター歌手を活かすような音楽づくりができていたかと問われれば、考え込まざるを得ない。

2015年のブックレットに冠されていた「バロック・オペラ」という文言が今回のもので削除されていたことは、バロック・オペラとして上演することを放棄したという意味なのか、それともバロック・オペラと敢えて書かなくても理解してもらえるということなのか。

近年、世界的な傾向として、古楽団体ではない劇場などがバロック・オペラを上演する機会が増えている。日本ではまだまだバロック・オペラは古楽団体がやるものという意識が強い中で、こうした団体がバロック・オペラを取り上げること、さらには1回きりではなく再演をおこなうことには、並々ならぬ意欲と企画遂行力が投入されたことと思われる。その企画力には敬意を表したい。しかしだからこそ、普段バロック・オペラに接することのほとんどない聴衆にも、バロック・オペラの魅力を正しく伝えるべく、勘所を外さない上演が求められるのではないだろうか。

衣装をはじめとして、よいプロダクションであることは間違いない。これをパッケージとして、バロック・オペラの様式で上演されたものをもう一度見てみたいと思う。