五線紙のパンセ|酔っぱらいと綱渡り芸人(I)|伊左治 直

酔っぱらいと綱渡り芸人(I)

text by 伊左治 直(Sunao Isaji)

2000年前後というと今から20年近く前のことになるが、その当時、H君という友人がいた。彼は10代の頃から勅使河原三郎のアシスタントをしたり、片道切符を手に単身インドネシアに渡りガムラングループの村に住み着いたりと、“不思議な遍歴”を経ていた人だった。音楽を含めた多岐にわたる芸術の知識が豊富で、その趣味というか傾向が私には新鮮だった。一人暮らしの彼の家に頻繁に泊まりに行っては多くのCDを聴かせてもらい、徹夜で芸術談義を重ねたものだった。そういえばマース・カニングハムとデヴィット・チュードアの公演に感涙し(本当に泣いた)、興奮冷めやらぬままサインをねだりに押し掛けた時の相棒も彼だった。そういったかなり特別な友人であったのだが、やがて、ある時期から連絡が取れなくってしまった。
これに似たような思い出は、わたしに限らず多かれ少なかれあるだろうが、(おそらく)誰にとっても“知らない世界”を運んできて、その後消えるように会えなくなった友人の存在は、何か非現実的で特別なものに感じられる。

わたしは普通の意味での記憶力は怪しいのだが、ある印象的な一瞬は克明に覚えている。H君と知り合った最初の頃に「伊左治くん、これからはブラジル音楽だぜ。」といって悪戯っぽく笑った姿が、その部屋の情景も含めて今も鮮明に記憶されている。それがわたしにとって何かしらの、そして幾度目かのトリガーだった。そう、これからはブラジル音楽——。
この言葉はわたしに、単なる音楽ジャンルの意味を越えてサウダージを醸し出してくる。

というわけで、ブラジル音楽の話である。一概にブラジル音楽といっても幅広いが、最初の出発点はポピュラー音楽であるMPB=(Musica Popular Brasileira)だった。やがてそこからボサノヴァ、そしてショーロ、あるいはニャタリやミヨーといったクラシック系、さらにはカンドンブレなどの伝統芸能と、それらを遡行するように知っていった。
比率的にはMPBやボサノヴァを聴くことが多かったが、それらの作品は音楽とともに詩のレベルも高いことに、すぐに気付いた。詩の方向性そのものは多様だが、表面的でない。この音楽と詩の関係性、音楽と等しい強度の詩の存在。これらの(わたしの作品への)影響は、たとえばヴォクスマーナのアンコール・ピースの数々に明らかに意識されている。

もっとも、その前史というか、それ以前はまったくブラジル音楽に興味がなかったかといえば、そういうわけでもない。ジャズ系のブラジル音楽(という言い回しが正しいか、わからないが)は、折りに触れ聴いてはいた。
わたしは元々ジャズには関心はあったし、(何の根拠もないが)自分は“南方系”という妙な思い込みがあった。その二つが重なるのだから「いいに違いない」と。ジャズ雑誌などで「今度の新譜はブラジルがテーマ」などといった惹句を読んだ時の期待はいつも大きく、いそいそと聴いたものだった。だが残念ながら、その殆どが失敗。こういったレコード時代特有の失敗譚は懐かしくもあるのだが、それはさておき失敗の理由は、今は漠然とわかる。それを具体的に説明することには、まだ躊躇いもあるが……。たとえばジョアン・ジルベルトとスタン・ゲッツが人間的にも音楽的にも“合わなかった”という、有名な「イパネマの娘」を巡るエピソードなどを思うと、わたしが何を求めてブラジル音楽に行き着いたのか、わたしがブラジル音楽に何を志向していたのか、何かが少し垣間みられる気がする。

いささか導入部を長く書きすぎてしまったが、これだけ本題に入れず話題が脇道に逸れるのも、ブラジル音楽がわたしにとって重要なキーワードだからだ——ということが改めてわかったことにして先に進もう。ここで、わたしの節目となるときに必ず思い出されてくる曲を紹介しよう。本題の「酔っぱらいと綱渡り芸人」を。
この曲はエリス・レジーナが歌い、アルヂール・ブランキの作詩、ジョアン・ボスコ の作曲により1979年に発表された。詩の冒頭から明確に情景がイメージできるものの、どこか幻想的な妖しさがあり奇妙な距離感のある出だしである。

落日は 黄昏に高架橋を浮かばせ
喪服を着た酔っぱらいは 私にチャップリンを思い起こさせた

曲はEdurで3拍子のイントロからDdurで2拍子の本編へと、異様な移行ですり替わっていく。尚、そのイントロはチャップリンの「スマイル」のオマージュとも言われている。そして、この先に続く物語は想像外の方向に進むのだが、この冒頭を予告に次回へ続けたいと思う。興味お持ちの方は、今や様々な手段で簡単に聴くことが出来るので探してみて下さい。みなさまどうぞ良いお年を。

(2017年12月15日)

★CD情報 作品集「熱風サウダージ劇場」 フォンテック FOCD-2565

★演奏会情報
12月12日 於:ミューザ川崎 MUZAナイトコンサート 開演19:00
出演:ヴォクスマーナ
曲目:「人生のモットー」「カリビアン・ジョーク」「或る日の手紙」
(開演12:10のランチコンサートは「カリビアン・ジョーク」のみ)
https://www.kawasaki-sym-hall.jp/calendar/detail.php?id=1974&y=2017&m=12

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伊左治 直( Sunao Isaji)
現代音楽系の作曲や即興演奏から、ブラジル音楽や昭和歌謡曲などのライブなど、様々な活動を展開している。サッカーや映画、日本史、時代劇、民俗学の愛好家でもあり、それらの興味は作曲へ強く影響を与えている。
作品集CDに《熱風サウダージ劇場》(FOCD2565)がある他、主な活動として、ラジオオペラ「密室音響劇《血の婚礼》」(NHK・FM)、「音楽の前衛Ⅰ~ジョン・ケージ上陸」アート・ディレクター、「ジャック・タチ・フィルム・フェスティバル」オープニングライブ、「原口統三没後五十年祭—伊左治直個展」「南蛮夜会—伊左治直個展」、雅楽作品《紫御殿物語》、声明・謡・民謡・ポップスの共演と映像による《ユメノ湯巡リ声ノ道行》、鼓童とオーケストラのための《浮島神楽》などがある。2005年、及び2012年にサントリー芸術財団による個展を開催(大阪いずみホール)。
これまで日本音楽コンクール第1位、日本現代音楽協会作曲新人賞、芥川作曲賞、出光音楽賞などを受賞。

なお、頻繁に間違えられるが「伊佐治」や「伊左地」ではなく「伊左治」が正確な表記である。