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石上真由子ヴァイオリンリサイタル|能登原由美

石上真由子ヴァイオリンリサイタル 〜CONTRAST &POETRY〜

2017年10月6日 京都青山音楽記念館バロックザール
Reviwed by 能登原由美 (Yumi Notohara)
写真提供:石上真由子 (Mayuko Ishigami)

<演奏>
石上真由子(ヴァイオリン)
船橋美穂(ピアノ)

<曲目>
ベートーヴェン《ヴァイオリンソナタ第5番へ長調 作品24「春」》
ジョリヴェ《狂詩的組曲》
プーランク《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》
ショーソン《詩曲 作品25》
ヤナーチェク《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》
〜〜〜アンコール〜〜〜
  ベートーヴェン《ヴァイオリンソナタ第5番へ長調 作品24「春」》より第3楽章

 

ベートーヴェンの《春》の最初のフレーズを聴きながら、その音の美しさに一瞬息が止められたような思いがした。ただ、それは一瞬のきらめきで、手に掴もうとしてもすっと抜けていく。あのきらめきは何だったのだろう。追いかけていくうちに、今度は全く違った趣の音に呼び止められる。ああ、今度のこれは何?そんな追いかけっこをするかのように、彼女の音楽は私の中を通り過ぎていく。

こんな風に書くと、少し嘘っぽく聞こえるかもしれない。けれども、改めて思い出してみて、やはりこれは確かだと思う。彼女の魅力はなんといってもその音の美しさだ。ただし、その音はスターンやメニューインなど往年のヴァイオリニストたちが聞かせるような、「泣きの」音色ではない。細く艶やかな絹糸を紡ぎ出すかのようでいて、時に一本の糸が幾つも織り合わされたシルク生地のようにひるがえる。その瞬間、私はどうしても思わず息を止めて聴き入ってしまうのだ。

けれども単に音が美しいというだけではない。実は百面相でもある。しかも美しい音色で百面相をする。喜んだ顔、嬉しい顔で奏でる美しい音色には理屈抜きで体ごと惹きつけられる。それだけでは終わらない。憂いを帯びた顔、怒った顔や拗ねた顔、邪悪な顔もストレートに見せる。ショーソンの《詩曲》など、その元となった物語をたどるまでもなく、その表情の変化を追うだけであっという間に終わってしまった。

あるいはプーランクのソナタの第一楽章の冒頭部。取り乱し、前のめりになりながら、息をあげて迫ってくるような危うさを見せる。こういう面もあるのかと少し驚かされてしまう。ベートーヴェンの《春》で見せたように、安定感と調和が彼女のもう一つの持ち味で、正直に言えば、そこに物足りなさを感じることがこれまでにもあった。けれどもこのように理性を超えた動物本能的な直感力、衝動性のようなものも内に秘めているのだとすれば、今後がとても楽しみである。

当夜の白眉は何と言ってもジョリヴェの《狂詩的組曲》。5つの小曲から構成される無伴奏の組曲。すでに彼女にとっては得意なレパートリーの一つとなっているのだろう。迷いが全くない。強調したいのは、彼女が入念な楽曲解釈をもとに、音色やアーティキュレーション、ボーイングの巧みな工夫と変化で楽曲の面白さのみならず、ヴァイオリンという楽器の魅力を十全に聞かせてくれたことだ。特殊奏法に頼らずともまだたくさんの可能性を秘めているではないか。ヴァイオリンの魅力に改めて気付かされた。

ジョリヴェは無伴奏であったが、その他の作品でピアノ・パートを担当した船橋美穂にも大きな賛辞を送りたい。音色の美しさと安定感が魅力の石上にとっては、プーランクやヤナーチェクのような作品はともすれば無難な演奏に陥りやすい。その彼女を絶妙の間合いと呼吸で駆り立て、演奏に華やかさを与えたのは船橋であったことは間違いない。当夜の演奏で彼女に絶対の信頼を寄せていたのは、石上だけではなかったであろう。