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バッハとルター ~宗教改革500年を記念して~ 21世紀のバッハ 東京バロック・スコラーズ 第14回演奏会|大河内文恵

バッハとルター ~宗教改革500年を記念して~ 21世紀のバッハ 東京バロック・スコラーズ 第14回演奏会

2017年10月22日 川口総合文化センター・リリアメインホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
写真提供:東京バロック・スコラーズ

<演奏>
三澤洋史(指揮・お話)
岩本麻里(ソプラノ)
吉成文乃(アルト)
藤井雄介(テノール)
大森いちえい(バス)
管弦楽:東京バロック・スコラーズ・アンサンブル
合唱:東京バロック・スコラーズ

<曲目>
J. S. バッハ:管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066
      :カンタータ第38番《深い窮地からあなたに叫ぶ》BWV38

~休憩~

J. S. バッハ:カンタータ第14番《神がこのとき我らと共にいてくださらなかったら》BWV14
      :カンタータ第80番《われらが神は堅き砦》BWV80

 

近年、メモリアル・イアーにあたる作曲家の作品を演奏するという習慣が定着し、それに該当する作曲家の作品は、普段あまり演奏されない曲目も含めてプログラムによくのぼるようになった。2017年はモンテヴェルティの生誕450年、イザークの没後500年にあたる。それと同時に2017年はルターの宗教改革が始まった1517年から500年という記念すべき年に当たるのだが、ルターを取り上げた演奏会は日本ではさほど多くはみかけない。1週間ほど早いが、ヴィッテンベルク城教会にルターが95か条の提題を掲示した10月31日を意識しての日取りと推察される演奏会に足を運んだ。

1曲目は管弦楽メンバー(東京バロック・スコラーズ・アンサンブル)によるJ. S. バッハの管弦楽組曲第1番。始まった瞬間に自分の耳を疑った。このアンサンブルは古楽奏者が若干入っているが、大半がモダン奏者の集まりである。なのに、響いてきたのはまぎれもない正統派古楽の響きだったのである。近年はモダンの奏者であっても、古楽の奏法に関心を持ち、その技術を併せもつ奏者が実際にいる。彼らがそういう奏者だったのか、三澤の薫陶の賜物なのかは判断できないが、とにかく驚いた。この曲は1曲目こそ「序曲」だが、2曲目からは舞曲のタイトルがついており、それぞれの舞曲の性質を明確にもっている。3曲目ガヴォットの始まりの何ともいえない浮遊感、メヌエットの様式感の素晴らしさ、とくに主旋律を担っていない楽器たち(管楽器やヴィオラ、ファゴット)がいい仕事をしており、この曲にこんな隠された魅力があったのかと目を開かれる思いがした。

三澤による解説トークを挿みながら、演奏会は進んでいく。2曲目からはいよいよルターに基づくバッハのカンタータである。合唱が入ってくると、よく鍛えられているとはいえ、アマチュアの合唱なのでパートが分かれてしまうと人数の割にヴォリュームが不足するきらいはあるが、アルト、テノール、ソプラノのソロ、ソプラノ・アルト・バスの三重唱を経て、6曲目にコラールが戻ってきたら、合唱がぴたりと揃い、ここまでの音楽はすべて、このコラールに辿りつくためのものだったのだと腑に落ちた。

後半はカンタータ第14番から始まった。3曲目のテノールのレチタティーフを聴いていて、ふと「バッハはなぜオペラを作曲しなかったのか」という音楽史上の問いが頭に浮かんだ。職務上オペラを作曲する必要がなかったからというのが普通は正解とされるのだが、この演奏を聴いていて、いわゆる「オペラ」は作曲しなかったかもしれないが、オペラ的なものを実際には書いていたのであり、それが「オペラ」という形であろうとなかろうとバッハにとっては些末的なことだったのではないかと思えてきた。第14番においても、最後のコラールは見事であった。

この演奏会のクライマックスが最後の第80番であることに異論はなかろう。この曲がルターに基づくバッハのコラールの中で一番有名だというだけではない。5曲目の斉唱の雑味のなさ加減は、三澤が合唱団指揮者を務める、新国立劇場の合唱とまさに同じであったし、それに続くテノールのレチタティーフの劇的なこと、アルトとテノールの二重唱に続いて、最後のコラールにこめられた「魂だけは渡さないぞ」という力強いメッセージに胸を打たれた。衆議院議員選挙当日かつ台風が近づく中でおこなわれたコンサートではあったが、おそらく一生忘れられないコンサートの1つとなったことは間違いない。