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高橋アキ/ピアノリサイタル2017 |齋藤俊夫

高橋アキ/ピアノリサイタル2017

2017年10月17日 豊洲シビックセンターホール
Reviewed by 齋藤俊夫 (Toshio Saito )
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi )

<演奏>
ピアノ:高橋アキ

<曲目>
フランツ・シューベルト:『12のドイツ舞曲』D.790
フランツ・シューベルト:『3つのピアノ曲』D.946
モートン・フェルドマン:『ピアノ』
尹伊桑(ユン・イサン):『インタールディウムA』
(アンコール)
湯浅譲二:歌曲『おやすみなさい』よりピアノパート
ビートルズ作曲、武満徹編曲『ゴールデンスランバー』
エリック・サティ『ジュ・トゥ・ヴ』

 

高橋アキのシューベルトは特別である。泣きながら笑い、笑いながら泣く。悲しみならざる悲しみ。喜びならざる喜び。この形容し難い感情ならざる感情は、いささか俗な言葉かもしれないが、「切ない」としか言えないのではないか。
『12のドイツ舞曲』の単純素朴な第1曲の時点で筆者はこの「切なさ」に打たれてしまった。なんのことはない長調のワルツなのだが、さりげなくそっと差し出されたその響きがたまらなく心の琴線に触れる。明るさの中に影があるが、しかし透明な、郷愁にも似た感情が呼び起こされた。第6曲など、短調で低音域を弾く部分もあるのだが、その音楽が重くなることがなく、あくまで儚い。
そして『3つのピアノ曲』、プログラムには「追い立てられるような不安が主導」と表現されている第1番の冒頭短調部分(曲のA-B-A-C-A構成の内のA部分)も、悲しみ(いや、悲しみならざる悲しみ?)こそ感じられたが、しかしその感情に、今、ここにいる自分から遠く離れた、別の自分の感情のような「距離」があるのだ。それゆえ、長調のB、C部分で、涙とともに微笑む。昔の記憶をたどっているように。A部分の悲しみは繰り返すが、それはもう遠い思い出。
第2曲は第1曲とは逆にA-B-A-C-A構成のA部分が長調でB、C部分が短調であり、繰り返されるA部分で笑い、B、C部分で悲しむ。
第3曲は喜びのアレグロで始まるが、部分的に短調が交じるが優しいアダージョに移り、そしてまた喜びのアレグロに戻って終わる。
あえて小林秀雄に倣うならば、シューベルトの(そして高橋の)喜びは輪舞し、常に涙とともにある。笑顔の裡に玩弄するには悲しすぎる。全ての喜びは悲しみと合わさり過ぎ去ってしまった。もう、ここには思い出だけしかない。そんな、切ない音楽を聴けたことを心から喜びたい。

後半のフェルドマンは、ただ静寂の中に心地よくたゆたうという、彼の多くの作品とは異質の音楽であった。音が1つ鳴り、そしてまた1つ鳴る、その1つ1つの音ごとの響きと、それらが連続体をなしたその間隔、リズムが緊張感に満ちている。後半には不協和音の最強打も続き、約35分間、霧の中で雷の閃きを見るような、不可思議な、ある種怖いとも言える、しかし贅沢な音楽体験をさせてもらった。

プログラム最後のユン・イサン作品は高橋に献呈された作品であるが、筆者はこれまで高橋以外のピアニストの録音しか聴いたことがなかった。その経験では、非常に激情的な部分と、錯乱したかのような部分が交錯する奇怪な音楽という印象を持っていた。
だが、その印象は今回の実演によって見事に覆された。
こんなにも煌めきに満ちた作品だったとは!強音での密集した和音や高速のパッセージが現れても、それらが濁ることが全くない。弱音に耳をそばだてると、そこに澄みきった音響世界が広がる。不協和音、可変リズム、急激な音量や速度の転換があっても、高橋の音の秩序は全く乱れることがなく、結晶のような美しい音楽が構築される。最高音域でのキラキラとしたトリルを、最低音域の穏やかな打鍵で鎮めて終曲するまで、その輝きに圧倒された。ユンの作曲意図を完全に理解した高橋の演奏で、初めて本作の真の姿を知ることができた。

優しくまた切ないアンコール3曲を聴きつつ、なんと豊かな、そして若々しい音楽と出会えたことかと感動と喜びを噛み締めていた。老成など無縁、いつまでも「現代のピアニスト」であり続ける高橋アキをずっと追い続けたい。