ウィーン・ムジークフェスト 2017 ルドルフ・ブッフビンダー|能登原由美

ウィーン・ムジークフェスト 2017 ルドルフ・ブッフビンダー
Vol. 1 ピアノ・リサイタル
Vol. 2 ピアノ・トリオ

2017年9月18, 20日 いずみホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by樋川智昭/写真提供:いずみホール

♪Vol. 1 ピアノ・リサイタル

<演奏>
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)

<曲目>
モーツァルト《「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲きらきら星変奏曲K. 265》
ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調Op. 57「熱情」》
シューベルト《ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960》
〜〜〜アンコール〜〜〜
  シューベルト《即興曲変ホ長調D899-2》
  A. グリュンフェルト編《ウィーンの夜会》

 

♪Vol. 2 ピアノ・トリオ

<演奏>
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)
アルベナ・ダナイローヴァ(ヴァイオリン)
タマーシュ・ヴァルガ(チェロ)

<曲目>
ベートーヴェン《ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調Op. 97「大公」》
メンデルスゾーン《ピアノ三重奏曲第1番ニ短調Op. 49》
〜〜〜アンコール〜〜〜
  ハイドン《ピアノ三重奏曲第25番ト長調Hob. XV:25「ジプシー・ロンド」》より第3楽章

 

ウィーンは旅行で一度訪れた程度の私にこういうことが言えるわけはないのだが、あえて言いたい。ウィーン気質とはこういうものか!と思わずにはいられなかったと。いや、ウィーン気質が何なのかも言えるわけではないのだけれど、奏者たちの体から迸り出る音楽は、アングロサクソンやラテンの奏者にはない魅力がある。品のある音や身振りに加え、表情豊かに熱く語りかけてきながらも決して心の裡までは見せないといった奥ゆかしさ、謎めいた魅力、あるいは狡さのようなものが感じられる。そういう独特の香りをじっくりと堪能する機会に恵まれた。

いずみホールとウィーン楽友協会の提携企画、ウィーン・ムジークフェスト2017。ウィーン出身で、ベートーヴェンなどウィーン古典派やロマン派に高い評価をもつピアニスト、ルドルフ・ブッフビンダーを招聘して3回にわたる演奏会が行われた。すなわち、ソロ・リサイタル、ピアノ・トリオ、最後に「コンチェルト」と題してのいずみシンフォニエッタとの共演。私はこのうち最初の2つの公演に出かけた。

あらかじめ断っておくと、2つの公演の全てに満足したわけではない。特に、初日のピアノ・ソロについては首を傾げる瞬間も多々あった。一方、2日目のトリオ、こちらは文句なしに素晴らしかった。よって、順序は逆になるが、まずはトリオの演奏について述べたい。

共演するのは、いずれもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者。かたやコンサート・マスター、かたや首席チェロ奏者を務めるアルベナ・ダナイローヴァとタマーシュ・ヴァルガ。同じオーケストラで肩を並べているためか、二人は音の色や質が非常に似通っている上に、息遣いもぴったりだ。その彼らに付かず離れず寄り添うブッフビンダーのピアノの立ち位置が絶妙。つまり、彼は決して自分のペースに引きずり込むことなく、張り合うこともしない。かといって、完全に同化してしまうわけではなく、全体のテンポ感やダイナミズムなど音楽の生成の部分では主導権を握っている。その手堅さゆえにメンデルスゾーンのトリオなど、ダナイローヴァやヴァルガは音の流れに身を任せ自由自在に飛翔している。ブッフビンダーのそのスタンスは、ピアノが全体の顔ともいえるベートーヴェン『大公』でさえ同じ。全体の構成を根底でしっかり形作っているとはいえ、主役の場に躍り出ることは決してない。ソリストとして輝かしい経歴や高い評価を得ながらも、世界中の一流奏者から共演のラブ・コールがかかると言われる所以がよくわかる。

一方、初日に行われたピアノ・リサイタルについての印象は異なる。台風の接近により一日順延となった影響があったとは思いたくないが、この日のブッフビンダーはやや安定感に欠けていた。いく種類もの版に当たるなど入念な楽譜研究からくる堅実な楽曲解釈で知られるように、ブッフビンダーは楽譜に書かれていないような余分な解釈や奏者個人の情感を盛り込むことはしない。そこが「心の裡を見せない」と思わせる部分であろう。けれども、時に音楽の高まりとともに溢れ出てくる彼自身のパトスがそれを完遂させず、逆にぎこちなさを残してしまうのだ。

プログラム最初のモーツァルトの『きらきら星変奏曲』こそ、中声部を際立たせるなど緻密な解釈で定評のある彼の持ち味が出ていた。が、ベートーヴェンの『熱情』やシューベルトの『第21番ソナタ』となるとどうだろう。前者の激動性や後者の叙情性など、奏者の体に染み込んだ感性が一層要求される音楽では「心の裡を見せない」とはいかないのだ。冷静な楽譜分析からくる客観と彼自身が有する情動という主観との拮抗は、時に音楽に至極の緊張感を与える反面、ともすれば音楽に不自然な歪みを与えてしまう。当夜のリサイタルでは、この歪みの方が耳についた。

リサイタルのみでは消化不良に終わったことであろう。だがトリオの会が一挙に挽回してくれた。最終日のコンチェルトはどうだったのだろう。2日間聞いた限りでは、一人の奏者の異なるスタイルを堪能できた点でも良い企画だったと感じた。