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日本フィルハーモニー交響楽団 第693回 東京定期演奏会|谷口昭弘

日本フィルハーモニー交響楽団 第693回 東京定期演奏会

2017年9月9日 サントリーホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:山田和樹
雅楽:東京楽所

<曲目>
ブラッハー:パガニーニの主題による変奏曲
石井眞木:遭遇Ⅱ番――雅楽とオーケストラのための
(休憩)
イベール:交響組曲《寄港地》
ドビュッシー:交響詩《海》

 

一つひとつの作品が強い個性を持ち、それでいて全体がひとまとまりに感じられる、不思議な感覚を、この演奏会に覚えた。もちろん全体を貫通するコンセプトというものが、より明確に決められるコンサートもあるだろう。しかし今回はそのような「テーマ」よりも、それぞれの作品にある仕掛けを楽しみ、管弦楽という媒体が持つ可能性について大いに啓蒙されることになった。

好奇心を刺激するコンサートの1曲目はドイツの作曲家ボリス・ブラッハーの《パガニーニの主題による変奏曲》。有名な《24のカプリース》第24番をテーマとした変奏は、まずオーケストラを鳴らす手法の引き出しの多さに感心させられる。ブラッハーがベルリンで聴いたというジャズを感ずる箇所は必ずしも多くはないものの、歯切れ良いリズムによる山田のタクトによって、ある時は大胆に、ある時は親密にオーケストラが変幻自在に曲を進めていく。ブラッハーの発想の柔軟さが随所に感じられた。変奏といっても旋律の輪郭が常に明確ではないのだが、緩みや隙のないアンサンブル、無駄のない音楽の運び方により、変奏曲という枠組みはしっかりと固められていた。

筆者が今回一番楽しみにしていたのが石井眞木の《遭遇Ⅱ番》である。雅楽だけで演奏可能な《紫響》とオケだけで演奏可能な《ディポール》を指揮者の裁量によって文字通り「遭遇」させたり別個に聴かせることができるという即興的要素も含んだ作品だ。指揮をした山田氏のプレトークによると、前日8日では最初にオーケストラから始め、その後に雅楽を演奏させる順番だったそうだが、9日の演奏は雅楽から始められた。この「雅楽からオーケストラ」という順序は筆者にとって嬉しいものだった。というのも筆者の知る古来の雅楽よりも不協和度が高い雅楽合奏の後にオーケストラが入ると、オーケストラのクラスターや倍音の軋み合いが、雅楽の流れからすんなり受け入れられたからである。また音量的にも雅楽の方が小さく(伶人とオーケストラの人数差から、それは明らかなのかもしれないが)、最初にじっくりと雅楽の響きに浸ることもできた。
この東西二つの「管弦楽」が調和してオーバーラップする箇所は意外に少なく、オケの打楽器パートが叩きまくり金管楽器が吠えれば雅楽は脆くもかき消されてしまう。西洋の大オーケストラ用であるホールの音響も、雅楽には不利なのだろう。それでもオケ側が静まってくると、篳篥や楽太鼓の音が届くこともあり、特に音量の大きい篳篥は西洋オケに対抗する力も持っていた。一方で雅楽の二絃、楽箏や琵琶は撥弦楽器でか細いし、笙とオケの共演も案外難しいのかもしれない。結局この作品は、東西の管弦楽の出会いの可能性を探求し続ける実験場であり、二者の親和性と特異性を浮き彫りにするものであった。オケの《ディポール》が室内オケの作品だったら、もっと対等な関係が見えてきたのだろう。

休憩を挟んで後半はフランスの作曲家が並ぶ。イベールの《寄港地》第1曲<ローマ−パレルム>では聴き手を作品の世界に誘う山田の手法が見事で、ローマから旅立つ背後にある好奇心、そしてその好奇心を満たす新天地パレルモに近づく時の高ぶる気持ちが伝わってきた。懐古的な異国情緒を醸し出す第2曲<チュニス−ナフタ>に続き、第3曲<バレンシア>でも、旅する一人称の感覚が自然に湧き出てくる。しかし香り高きスペインに出会って忘我的に突っ走るのではなく、洗練された作品を型崩れさせずに興奮度を最高潮にするというほどよいバランス感覚で作品を終わらせた。

ドビュッシーの《海》は、落ち着きを保ちつつも重くない冒頭。バランス良く柔らかに整った音の重なりが続いていく。以前のサントリーホールよりも、各楽器の音像がはっきりと分かるようになったのだろうか。朝の到来の時のインパクトが、前半の落ち着きと対比されて圧巻だった。第2楽章<波の戯れ>では、様々な楽想が入りかわり立ちかわり現われ、それぞれ意味の異なった音型をふくよかな響きの上に表面化させていく。そして流れ行くナラティブの中に共時的に組み合わされた音色の層が刻々とグラデーションを作っていく。<風と海との対話>と題された第3楽章では、スコアに読み取れる音響現象を描かれる海の様相といかに符合させていくかということよりも、それが聴き手にとって、どんな胸騒ぎや感動を与えてくれるかということに重点を置いたアプローチで、自然と人間との対話を、管弦楽を通して味わうことができた。