川島素晴 works vol.1 by 菊地秀夫|丘山万里子

川島素晴 works vol.1 by 菊地秀夫

2017年8月9日 杉並公会堂小ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 藤本健太郎

<曲目・演奏>
Manic-DepressiveⅠ(1997)
 cl : 菊地秀夫
自分の影との対話(2006)
 cl : 和田翔太、cl&bass cl : 菊地秀夫
無伴奏  Kla-vier ソナタ(2007)
 cl : 菊地秀夫、pf:川島素晴
〜〜〜
篠田桃紅の絵と言葉による8つのエスキス『時のかたち』(2005/東京初演)
 1、「音」  fl、cl、pf
 2、「桃紅のひとりごと〜1 」 sop、pf
 3、「緑」 fl
 4、「風雪」 sop、cl
 5、「結」 pf
 6、「桃紅のひとりごと〜2」 sop
 7、「溌」 bass cl
 8、「熱望」 sop、fl、cl、pf
 sop:太田真紀、fl:安田恭子、cl&bass cl:菊地秀夫、pf:川島素晴
Cla–Cla–(2017/新作初演)
 E♭cl:菊地秀夫、claves:川島素晴

 

プログラムより『緑』

開演前、ステージの両脇に置かれた104歳、篠田桃紅の墨象3点(『音』『緑』『熱望』)に近寄り、とっくりと眺める。美しい。特に、金地の中にチラと緑が覗く『緑』の色彩のインパクトと全体のバランスの見事なこと。
これら桃紅の展示作品にさらに3点(6点すべてプログラムに掲載)と彼女のエッセイ2編からの抜粋を歌にした8つのエスキスには、いわゆる川島的な「笑い・演じる」は無い。
墨象からのイメージの音化。それに尽きる。ナイーブ、と言ってもいいほどだ。
『音』は白地に走る描線をそのままなぞるようで、3つの楽器がそれぞれ円い天体となって中空を浮遊する、画布の筆の勢いと「かすれ」から音がすっと抜け出して。
『桃紅のひとりごと』2編は、声、語り、歌いの間から言葉が浮き沈みする。ソプラノ・ソロ『〜2』の終わりは、まさにひとりごと、そっとつぶやいて終わる。
トリルの音を緑色にたとえて聴くように、との説明(プログラム)の『緑』はつい画に目が行き(冒頭で述べた)、フルート鳴っているな、くらいで通り過ぎていったのは、それで良いのではないか。
『風雪』『結』『溌』も桃紅作品からのインスパイア、そのまま。
川島が白タオルをひっつかみザザッと鍵盤を下から上へと鳴らし続け、そこに他の楽器や声が被る『熱望』は、画布をよぎる大胆な赤の躍動を写したまで。
どれも、内部奏法(pf)、各種楽器の特殊奏法、特殊音(息や叫びとかも含め)などあっても、余計な作為なし。
桃紅との問わず語り、と筆者は好感した。

前半3作は以下だが、川島による「演じる音楽の3つの構造視点」「笑いの構造」を先にプログラムより抜粋、紹介しておく。
A)線的構造と同期和音 B)音色/リズム構造とポリフォニー C)演奏行為とヘテロフォニー
以上3つの視点のいずれか一つ、或いはこれらが融和したものとして「演奏行為」をとらえ、その配列はしばしば「笑いの構造」に依拠して行われる。

『Manic-DepressiveⅠ』(躁鬱病):全3楽章、視点A)、C) 、A)&C)の交互提示と融合(プログラムより)。楽器を分解、多種の音を鳴らす、吹く、2本同時にくわえて(視点の融合)、など特殊奏法に加え、取っ替え引っ替えの奏者の奮戦。
『自分の影との対話』:まず奏者一人登場、やがて黒衣(くろこ)が現れ、音、所作を同期、反復、相反、相互干渉、ダンスなどなど、奏し、動いた末、暗転、再度一人で出てきたところに黒衣の音が被り「あれ?」でおしまい。
『無伴奏Kla-vier ソナタ』:視点A)、C)、A)&C)。クラリネットとピアノの一心同体とのことだが、ステージの入りでの二人の所作のシンクロぶりから、展開(融合と差異)は察しがつく。ピアニストが背後からクラの朝顔(音が出る部分)に手のひらを出し、音を変化させるのは妙にエロティックである。

最後の初演新作『Cla–Cla–』は菊地、ドナトーニ、川島の名を織り込むなどした7つの楽想に連動したクラ奏者の動きとともに、4種のクラヴェスによる7通りの「スイッチ」で進行。川島のクラヴェスがなかなかの迫力で、ヨーッ、ソレッといった掛け声も小気味良く、ぐんぐんヴォルテージを上げ、動きまくり、もちろん最後は二人ともクラクラ、仰向けにぶっ倒れる(先に菊地)。
要するにエスキス以外、「笑いの構造」は全てに仕組まれているのだが、さて、笑いをとりに行くパターンが聴き手にほぼ予想される時、それでもニヤリと笑えるか、「見えてるから」としらけるか。「慣れたらつまらなくなるんだろうか?」「いや、完璧なツボには常にハマる」。
そもそも笑いとは、とベルクソン『笑い』などひもときしばし黙考。
笑い:反復・逆転・複数系列の相互干渉(ベルクソン)、瞬時の驚愕の閃き・予想と予想外(アラン『プロポ』)、持続と異化・知性の結実・人類文化の根幹(川島)。
慣れることと飽きないこと、期待(予期)され続けることと裏切り続けること・・・。
川島を聴く(観る)とは——裏切りへの期待を裏切り続けることへの期待——?
人生すべからく予想と予想外の連なりであり(音楽もまた)、それを存在の痙攣たる笑いに転化し得るのは人間の純粋知性のみ、であろうが。

33年にわたる盟友、菊地との掛け合いは、学校の放課後じゃれ合う男の子二人みたいで、その稚気もまた「慣れることと飽きないこと」を筆者に考えさせた。

——————————————
参照:本誌「五線紙のパンセ|その1)「演じる音楽」という「前衛」|川島素晴