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ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 2017年 日本公演|谷口昭弘

ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 2017年 日本公演

2017年7月9日 ミューザ川崎シンフォニーホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)

<演奏>
ミヒャエル・ザンデルリンク指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
小川典子(ピアノ)

<曲目>
ウェーバー:歌劇《オイリアンテ》序曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 Op. 73 《皇帝》
(ソロ・アンコール)
ブラームス:6つの小品 Op. 118 より第2番 間奏曲イ長調
(休憩)
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 Op. 68
(アンコール)
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番

 

筆者にとって海外オーケストラの楽しみは、アンサンブルの確かさ、日本にはあまり聴かれない解釈、それから「本場」であることなどが考えられる。今回はドレスデンから、まさに「本場」を名乗れる「ドイツもの」を並べた公演ということが吸引力となっていた。

ウェーバーの《オイリアンテ》序曲では、冒頭から豊かな木管楽器群、勇壮にとどろく弦楽器群に魅了される。すこしもためらうことなく弾き切る辺り、自信がみなぎっていた。重々しい重圧感はある一方、駆動力や勢いもある。ずしりとした低弦に支えられたオーケストラの響きを聴くと、オーケストラがそもそも弦楽合奏に管楽器の音色を加えていったのだという歴史を感じさせる。このオーケストラの特質を表すのにぴったりのショーピースであったかもしれない。また指揮者・演奏家は、それぞれ自分の見せ場・音楽の流れに熟知していることを伺わせる。後半、対位法的に展開する箇所では立体的に音楽を作るヨーロッパ音楽の醍醐味を感じた。

小川典子をソリストに迎えてのベートーヴェン《皇帝》は、ミューザ川崎の、演奏者と聴衆の距離の近さが嬉しい。芯のあるオーケストラにより始められ、小川が弾きだすピアノからは輝かしい音が溢れ出る。磨きあげられた光の彩りで、バランスにも極力配慮しつつ進め、流れる箇所としっかり歩む箇所を明確に提示していたこともあって、オーケストラの反応も少しずつ良くなっていった。
第2楽章では、賛美歌にも似たハーモニーが美しい。緊張しそうな楽章だが、身構えるような感じが全くない。ピアノの方も、三連符のアルペジオを伴奏に、一音一音に万感の心が湛えられていた。深まっていく楽想に身を委ねていくと、あっという間に楽章が終わってしまった
第3楽章がアタッカで始まることは知っていても、前楽章からのピアノの音の切り替わりに、まず驚かされる。オーケストラは、コンサート冒頭の《オイリアンテ》序曲を想起させる気持ちの良さ。第1楽章ではやや不足気味だった攻めの姿勢は終盤に顕著だった。勢いを増し、力強い結末になった。

本公演のメインである《交響曲第1番》は、冒頭から横に広がる弦楽器、縦に広がる木管楽器の響きが会場に溢れ、直感的に「お国もの」を選んだ強みを実感させられた。ソナタ主部では、せき立てるようなストレッタの絡み、自然な呼吸による木管楽器の膨らみと、有機的な合奏体としてのオーケストラの一体感がある。近年はピリオド楽器や過去の演奏習慣に遡る動きの中で、それぞれの楽器群の特徴を分離し明確にする方向が強いのだが、ドレスデン・フィルは、そうではなく、むしろ音の融合を趣向する確固とした自負がある。あるいはこれは、懐かしい響きでもあろう。
第2楽章では、弦楽器による雲海を突き抜けるオーボエのソロにため息が出た。これは見事な合奏技術があってこそ可能になった美しさだろう。甘美なヴァイオリン独奏も、互いに寄り添うようなヴァイオリンとホルンとのデュエットも、全体の融合の中に映えていた。こういうアンサンブルは、まだ国内のオーケストラで体験した記憶がない。
自然に体が揺り動かされる第3楽章に続き、どっしりとした第4楽章の序奏は、多様な楽想を慎重に提示して進める。しかし芝居がかったアルペンホルンの動機の後に登場したファゴットとトロンボーンの得も知れぬ極上のコラールに、やはりため息が出た。また、いい意味でのブラームスの荒々しさがあり、終盤の追い込みに聴く生命力へとつながった。コーダの猛烈な鳴り、一体感によって、会場全体を巻き込む喜びを奏でていた。

以上、全体的には海外のオーケストラの醍醐味を味わったともいえるのだが、筆者の気持の中には、解釈上の新鮮さが足りないと思ってしまうところもある。やはり古楽器や演奏習慣の考証に支えられた「新しい」解釈が筆者の中のブラームス像を変えてしまったということがまずあるのだろう。あるいは舞台上でじっくりと煮詰められたオーケストラの音が性に合わないと感じてしまうためなのだろうか。満場のブラボーに違和感を感じてしまったのも正直なところだ。それでも日本のオーケストラにはない精度の高いドイツ音楽を聴き、自分の音楽の肥やしにしたいという感覚も、そこには同居している。