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タリススコラーズ|大河内文恵

タリススコラーズ

2017年6月7日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
タリススコラーズ
ピーター・フィリップス:指揮

<曲目>
イザーク:天の女王、喜びませ
パレストリーナ:教皇マルチェルスのミサ曲

~休憩~

キャプキン:ミゼレーレ(日本初演)
マーリー:哀歌
タリス:エレミアの哀歌I
ロッティ:十字架にかけられて
モンテヴェルディ:十字架にかけられて
         キリストよ、われらは御身をあがめ
         主よ、われらを懲らしめたもうなかれ
         主に向かいて新しき歌をうたえ

(アンコール)
トレンテス:ヌンク・ドミッティス
H. イザーク:インスブルックよ、さようなら

 

最後の最後に予想だにしなかった衝撃がきた。アンコールの2曲目、イザークの『インスブルックよ、さようなら』は、本プログラム唯一の世俗(宗教音楽ではない)曲であった。それまでの透明度の高い歌声が、一瞬にして「普通の合唱団」の声に切り替わった。彼らの持ち味である麗しい声は、見えないスイッチを入れるかのように、普通の合唱の声と瞬時に切り替え可能だったのだ。元々の声質云々ではなく、神々しい声*も*出せる技術を持ち合わせた上でのあの響きだったのかと、そのレベルの途轍もなさに感嘆の思いを新たにした。

1973年にピーター・フィリップスによって創立されたタリススコラーズの16回目の来日公演。2種類のプログラムのうち、プログラムBを聴いた。録音では接していたものの、一度生で聴いてみたいという長年の念願がようやくかなった。

前半のイザークの『レジーナ・チェリ(天の女王、喜びませ』とパレストリーナの『教皇マルチェルスのミサ曲』は、高いグレードのカットが施されたダイヤモンドのような繊細かつ鮮明な美しさ。とくに「ベネディクトゥス」は格別だった。音が動いているのにすべての瞬間が美しい。いったいどんな訓練をしたら、こんなふうに歌えるんだろう?

『教皇マルチェルスのミサ曲』では、冒頭の「キリエ」は6人で開始され、その「キリエ」と同じフレーズから始まる「アニュス・デイ」は8人で演奏された。似ているはずなのに、全く違うように聴こえる「アニュス・デイ」を聴きながら、最初から「ベネティクトゥス」までもそれぞれの魅力を湛えていたけれど、ここに辿り着きたかったのだなと腑に落ちた気がした。

休憩後はさらに別次元であった。キャプキンの『ミゼレーレ』(日本初演)は、舞台後方のオルガン演奏台の前に女声3人が移動して、1節ずつ上と下とで交互に、そして最後の2節は両者によって歌われた。場所を移動したことによって、この曲のもつ天上の響きがさらに強調され、敬虔な気持ちになると同時に、それが非常に現代的な響きをも合わせもっていることにもやがて気づかされる。伝統的な宗教音楽の響きと現代音楽とが、いささかの矛盾もなく同時に存在しうることが示された。

彼らの団体名にも入っているタリスの『エレミアの哀歌』では、歌詞付の音楽であり、しっかり歌詞が聴こえるにもかかわらず、言葉が音楽の妨げにまったくなっていないことに感銘をうけた。ただ響きに歌詞を載せるというのではなく、そこには綿密に計算された言葉と音楽との絡ませかたがあるのだろう。

つづくロッティでは、バロック音楽特有のゼクエンツの心地よいこと。そして、本日のメインの1つでもあるモンテヴェルディの作品の数々では、『十字架にかけられて』の下降音型に心を動かされ、2曲目ではまるでブロッコリーのようにみっちりと詰まった豊かな音響、3曲目ではあっちこっちからメロディーが降ってきて森林浴をしているかのように心洗われる時間が流れた。モンテヴェルディ最後の「カンターテ・ドミネ」はモンテヴェルディの中でもよく歌われる曲ではあるが、これをどこまで明るく歌うのか、軽く歌うのか重く歌うのかは演奏団体によってさまざまで、それゆえにどの録音を聴いてもピンとくるものがほとんどないのだが、タリススコラーズの本日の演奏は、少し明るめで軽すぎず重すぎず、「これぞ!」というものであった。

アンコールの1曲目はスペインの作曲家トレンテスによる『ヌンク・ドミティス』。異国風の響きのする美しい聖歌で、これまた絶品であった。タリススコラーズの技術の高さ、声や響きの美しさに感嘆しきりのコンサートだったが、終わってみて一番心に残ったのは、じつはモンテヴェルディの作品の多彩さだった。演奏された4曲はどれもまったく異なる様相をもつ曲で、一口にモンテヴェルディといっても、これだけの間口と奥深さがあるのかとまざまざと見せつけられた気がした。そういった意味で、モンテヴェルディ・イヤーの今年、最も聴くべき演奏会の1つだったと言えるかもしれない。早くも次の来日が待ち遠しくなる帰り道であった。