folios critiques ⑪|メシアンの世界初演曲雑感|船山隆

folios critiques ⑪

メシアンの世界初演曲雑感

text by船山隆(Takashi Funayama)
photos by 大窪道治/写真提供:トッパンホール

ロジェ・ムラロの6月23日(金)の<メシアン(ムラロ再構成):エローに棲まうムシクイたち 世界初演>と題されたリサイタルに出かけた。トッパンホールがそのユニークな企画でサントリー音楽賞を受賞したのはまだ記憶に新しい出来事である。
ロジェ・ムラロはショパン、リスト、ラヴェル弾きのピアニストであることはそれとはなく知っていたが、そのリサイタルの前日に、メシアンの世界初演曲に関するシンポジウムが用意され、リサイタルの入場券を買った人は誰でも入れるというシステムらしい。会場には座席の半分か3分の1程度の聴衆が集まったが、メシアンの世界初演というだけでこれだけの聴衆が集まるのは注目に値する。私の教え子たちの顔もちらほら見えた。当日のシンポジウム「《エローに棲まうムシクイたち》世界初演を前に発見と再構成をめぐるプレゼンテーション」で、パネリストは、ピアニストのロジェ・ムラロを中心として、マリー=ガブリエル・ソーレ(国立図書館司書)、ミシェル・ル・ナウル(音楽評論家)、沼野雄司(ファシリテータ)、藤本優子(通訳)という面々。

1992年にこの世を去り、没後25年の20世紀音楽の巨匠メシアンの世界初演曲とは何かと誰でもが考えるだろう。当日のシンポジウムでは言葉の障害もあり、私にはあまりよく理解できなかった。しかしながら同じ6月23日付の「フィガロ」紙には、「ロジェ・ムラロ 私は考古学のようにメシアンを解読した」と題した一面ぶちぬきの記事が掲載されているらしい。そのことを会場で渡された「フィガロ」紙のコピーの一部で知ったが、配布された資料は紙面のごく一部であり、電子媒体は定期購読者にしか許されず、私は近所の早稲田大学図書館に行って読むことができた。そこでようやく問題の全体像を把握することが可能になった。

《エローに棲まうムシクイたち》というピアノ曲であるが、私たち日本人にはタイトルの意味がすぐに理解できないと思う。エローというのは南フランスのモンペリエ地方の山岳地帯の地名であり、若き日のメシアンはそこで鳥の声の採譜を行っていた。そしてそれをもとにピアノコンチェルトの構想を練っていたが、その構想を途中で放棄している。しかしかなり克明に書き込まれた楽譜、特にピアノのパートはほとんど作曲済みであったという。

28歳のメシアンは生まれ故郷のグルノーブルに近いピッティッシュに別荘を建て、ラフレイ湖をのぞむ部屋で作曲をするのが常であった。メシアンはアヴィニオンの生まれであるが、アヴィニオンをすぐに離れ、毎年の夏をすごしたこのピッティッシュを「我がふるさと」と呼んでいる。ドーシネ地方の山脈のラフレイ湖をのぞむ音楽室での写真はクロード・サミュエルの『音楽と色彩』という本(1986年)の表紙に飾られている通りである。

問題の《エローに棲まうムシクイたち》はこのピッティッシュの家の中に置かれていた様々な資料をロリオ夫人が国立図書館に寄贈したときに、担当の司書、上記のマリー=ガブリエル・ソーレによって発見され、ピアニスト、イヴォンヌ・ロリオの長年の弟子のムラロに渡された。
図書館の司書というと、本の出し入れをするだけの人と思われるかもしれない。外国、特にフランスでは司書の社会的地位は非常に高く、またそれに見合っただけの立派な業績をもっているのが常である。例えばドビュッシーの研究で名高いフランソワ・ルシュール、古い時代の音楽史から現代音楽まで幅広く研究しているカテリーヌ・マシップなどを思い出すまでもない。私はルシュールを第1回「東京の夏」音楽祭に招いて一緒にドビュッシー展を開き、またレクチャーを依頼したりしたし、カテリーヌは何かの学会のときに来日して私の代々木の家に母親といらしてくださったこともあった。ガブリエル・フォーレの研究者のジャン・ネクトーが次に続き、マリー=ガブリエル・ソーレもその系列の第1級の研究者であるように感じられた。

「フィガロ」紙の記事によればソーレから、メシアンの自筆譜を受けとったムラロは2年半かけて楽譜を丹念に読み、オーケストラのパートには一切ふれずに、しかしピアノのパートには「Sans ajouter une note qui ne soit pas de Messiaen  一音符たりとも加えずに」今回の作品を再構築した。

「エローに棲まうニワムシクイ」という小鳥はメシアンのもっとも好んでいた鳥の一種である。彼の《鳥のカタログ——ニワムシクイ》の解説書にはニワムシクイに関する説明とその小鳥の絵と楽譜が掲載されているので、以下に引用しておきたい(グラモフォン POCG-1751/3)。
メシアンと小鳥たちの関係については、すばらしいLPレコードが録音されている。「ピアノと鳥とメシアンと《メシアンの“ピアノとオーケストラ作品”のすべて》異国の鳥たち/鳥たちのめざめ/七つの俳諧/天国の色彩、ピアノ・ソロ:木村かをり、東京コンサーツ/指揮:岩城宏之」。このLPの解説書に星野嘉助(日本野鳥の会軽井沢支部長)の「メシアン先生との出会い」という文章があるが、この星野の文章は1962年の初来日のときのメシアンの軽井沢での鳥の採譜の様子を克明に語っているので、特にここに記しておきたい。
なお「ニワムシクイ」という鳥名であるが、日本語では「庭の鶯」とか、「庭のほおじろ」とかいい加減な和語が使われていた。はじめて鳥の名前を明確に調査して作品と関連づけたのは、エラートから1977年に発売されたメシアンの《峡谷から星たちへ・・・》のレコード解説書である。その解説書には、ジャケットサイズのリストが付けられ、仏語名、英語名、学名日本語名、分類などが明記されている(エラート、ERX-4012/3)。

ムラロの世界初演の演奏を聴いて、たしかにメシアンの鳥の音楽だと確信することができたし、ムラロが非常にテクニックの優れたピアニストであることもわかった。
しかしこの再構築が理にかなったものであるのかどうかに関しては、やはり楽譜を丹念に見ることによってしか判断することはできないと思う。
というのは、私はドビュッシーが残した未完のオペラ作品《アッシャー家の崩壊》にかなり長い間拘泥し、ドビュッシーの台本は『ユリイカ』誌に全文を訳すなど色々な試みをしたし、同じような問題意識をもつファン・アジェンデ・ブリンの編曲した楽譜なども検討した。ここでその詳細を論じている余裕はないが、興味のあるかたは「ドビュッシーの《アッシャー館の崩壊》 : 未完の音楽劇の意味論的考察」『音楽と音楽学 : 服部幸三先生還暦記念論文集』(音楽之友社、1986年)をお読みになっていただきたい。

未完に残された作品を補作するというのは、夢を接ぎ木することでもある。ただしその夢を正確に理解しているかどうかいつも問題が残る。モーツァルトの《レクイエム》、マーラーの《交響曲第10番》、プッチーニの《トゥーランドット》などなど。
その一方で音楽作品あるいは芸術作品はもともと未完成という性格をもっているのではないだろうか。拙著『音楽における完成と未完成』(2009年、東京藝術大学)を参照していただければ幸いである。
私は加齢現象とともに、ますます音楽、芸術、人間には完成というものがないような気がしてきている。

追記)日本とメシアンについて私は、読売日本交響楽団の月刊オーケストラ7月号の『アッシジへの道』という特集のインタビュー記事で詳しく話した。

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船山隆(Takashi Funayama)
福島県郡山生まれ。東京藝大卒、パリ第8大学博士コース中退。1984年より東京藝大教授、2009年同名誉教授。2014年より郡山フロンティア大使。1985年『ストラヴィンスキー』でサントリー学芸賞受賞。1986年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1988年仏の芸術文化勲章シュヴァリエ受賞。1991年有馬賞受賞。東京の夏音楽祭、津山国際総合音楽祭、武満徹パリ響きの海音楽祭などの音楽監督をつとめる。日本フィルハーモニー交響楽団理事、サントリー音楽財団理事、京都賞選考委員、高松宮妃殿下世界文化賞選考委員を歴任。