山崎伸子 チェロ・リサイタル with 小菅優|丘山万里子

山崎伸子 チェロ・リサイタル with 小菅優
〜チェロ・ソナタ・シリーズ最終回

2017年5月25日 紀尾井ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)

<演奏>
山崎伸子vc
小菅優 pf

<曲目>
バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調 BWV1012
マルティヌー:チェロとピアノのためのソナタ第1番 H.277
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ラフマニノフ:ピアノとチェロのためのソナタ ト短調op.19
〜アンコール〜
ラフマニノフ:プレリュード、ヴォカリーズ

 

アンコール、ラフマニノフの『ヴォカリーズ』を終え、山崎に歩み寄った小菅が思わず腕を回し、二人抱擁しあう姿に、手渡されてゆくもの、贈り合うもの、通じ合うもの、音楽の尊さとか人の尊さみたいなものがにじみでて、ちょっとジンとした。
2007年から開始した山崎のチェロ・ソナタ・シリーズの締めくくり。ヨーロッパ在住で日本では知られることの少なかった名ピアニスト長岡純子(2011年死去)との2回のステージから、今回が3回目となる小菅優までの10回(共演者7人)、10年。

マルティヌーが抜群だった。
小菅のキャラクターがこの曲に一番はまっていたのが大きい。いや、小菅を得てこその、この快演、だろう。
ポコ・アレグロの冒頭のピアノの入りから、ただならぬ気配がたちのぼる。前に弾かれたバッハ無伴奏とは、当たり前だがまるきり違う世界。
その、森の中の小さな沼の底を覗き込むようなピアノの不安げな音色と足取りを、チェロがさらにかきたてるように追いかけると、眼前にはある種、索漠とした風景が広がる。チェロのテーマの芯のある語調が錯綜する光と影を描く。さらにピアノの激しい打ち込みとともにしぶきを上げる音の流れの、えぐるような焦燥の表情。こういう場面でも、小菅のピアノの推進力がぐいぐいとチェロをのせてゆく。マルティヌーらしい和声の複雑な変化が、両者の鋭いフレーズの呼びかわしの中で揺れ動いてゆくさま。
第2楽章レント、どこをとってもニュアンスの塊みたいなピアノ・ソロ。響、というものの彩色法、ここのこの音の色はこう、というそのこまやかな筆使いには舌をまく。そのソロの終尾から忍び上がるチェロは、これを受けて深く仄暗い色調(山崎のアマティがぴったり)。陰りを帯びたチェロのモノローグを縫いとるように鳴らされるピアノ。終句は二人してつぶやくように。
終楽章のアレグロ・コン・ブリオはピアノの一撃にチェロが飛びつくように開始、無窮動で駆け巡る。その迫力たるや、野を疾走する小動物の俊敏に加え、激しい身振りにパッションが溢れ出て(小菅のジャジーな感覚が躍動!)、でもそれが、この作品3楽章全編の底に流れる、どこか不穏な、あるいは追い立てられるような強迫感に裏打ちされており、だから、山崎が最後の一弓をすうっと空を振り仰ぐように弾きあげ、そこにわずかな光を見い出そうとでもいった面差しに、胸を突かれた。
この作品には、マルティヌーの母国へのナチス侵攻の暗雲が大きく影を落としているが、その時代の抱えた呻吟が今日の世界をふたたび覆いつつあるように、いや、山崎と小菅がそういう今日をも描き出しているように思えたのだ。

バッハは清廉、誠実。
後半のラフマニノフは大きな抒情の波とスケールで聴かせたし、アンコール2曲もラフマニノフであったから、シリーズを終えるにあたっての山崎の思い入れはそこにあったのだろう。が、私はマルティヌーをこそ白眉としたい。
マルティヌーを初演したフルニエ、フルニエを師とした山崎、山崎にデュオの喜びを伝えた長岡、そして若手の最前線でソロに室内楽に幅広く活躍する小菅・・・そんな音楽の一筋の細流を見た気がする味わい深い最終回だった。