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タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ) ~無伴奏の夕べ~|大河内文恵

タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ) ~無伴奏の夕べ~

2017年4月14日 王子ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
タベア・ツィンマーマン:ヴィオラ

<曲目>
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004(ヴィオラ編/ト短調)
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラ・ソナタ Op.11-5

~休憩~

B.A.ツィンマーマン:無伴奏ヴィオラ・ソナタ「天使の歌に・・・」
ストラヴィンスキー:無伴奏ヴィオラのためのエレジー
リゲティ:無伴奏ヴィオラ・ソナタ

(アンコール)
ヴュータン:カプリッチョ ハ短調 Op.55
ヒンデミット:無伴奏ヴィオラ・ソナタ Op.25-1より第4楽章

 

最初の一音を聴いただけで、コンサート全体の良し悪しが見えてしまうことがある。ツィンマーマンが弾き始めた瞬間、とてつもなく素晴らしいコンサートになると確信した。ヴィオラという楽器はヴァイオリンよりも音域が低いだけあって、音に厚みがあり豊かな響きがするものであるということを念頭に置きつつ、今までに聴いたありとあらゆるヴィオラの音を想定していてもなお、その想像をはるかに上回る豊穣な響きに衝撃を覚えた。

豊かなのは音そのものだけではない。小さな単位では1つ1つのフレージング。たとえば、フォルテからピアノに移行する際の、徐々にデクレッシェンドするでもなく、かといってスイッチを押したようにスパッと切り替えるでもなく、流れるように自然なままするりと移行するさまは手品を見ているようだった。また、極限まで弓を弦から浮かせて弾いている時の何とも言えない音の表情。速いパッセージでも音が粒だったりせず、レガートが維持されているという驚異的な状況。ヴィオラがあまり好きでなかったリゲティが、彼女のヴィオラの音に魅了され、ヴィオラ・ソナタ作曲のきっかけとなったというが、それがすとんと腑に落ちた。

弦楽器の演奏技術というと、左手の指が作りだす音程がいかに正確で素早いかというところが注目されがちだが、本当に巧い奏者は右手の弓の技術が素晴らしいのだということを実感する。

バッハの『パルティータ』を聴いているうちに、楽譜をなぞっている感じがまったくないことに気づいた。すでに存在しているバッハの曲を弾いているのではなく、今ここで曲がうまれているかのような感覚。言い換えれば、作曲家が意図した完成形に近づこうとしているのではなく、自らその完成形を創造しているのだ。

かといって、それは独り善がりな創造物ではなく、抜群の構成力に支えられた、高度に理知的なもの。なのにつまらない演奏になっていない。主観と客観とが絶妙なバランスでブレンドされていてこそ達成できる境地であろう。

後半は現代色の強い作品が並んだ。B.A.ツィンマーマンのソナタはすべての音やフレーズに必然性が感じられ、タベアの真骨頂をみた。特殊奏法がふんだんに盛り込まれたリゲティの『ソナタ』では、いくら聞いても特殊奏法が感じられない。たしかに楽譜の通りに演奏されているのだが、まったく「特殊」でなく数多の奏法のうちの1つにすぎない、ように聴こえる。

リゲティを聴きながら、「音楽的時間を生きる」とはこういうことなのかもしれないと、ふと思った。紡がれる端から流れて消えてしまう「音楽的時間」を何とか残すことはできないかと考えたとき、彼女がこれまでに約50作に及ぶCDを制作しているという事実とぴたりと符合した。

アンコールのヴュータンでは、この人はこんなに甘くせつない音も出せるのかと驚き、2曲目のヒンデミットでは、どこに隠し持っていたのか、冴えわたるテクニックと迫力にただただ圧倒された。もう降参です。