五線紙のパンセ|その1)「なぜ私はこんなに良い曲を書くのか」|木下正道

その1)「なぜ私はこんなに良い曲を書くのか」

text by 木下正道(KINOSHITA Masamichi)

幾分刺激的なタイトルをご覧になり、おそらくは憤りと不安とわずかな期待を持ってこのページを開いてくださった皆様、ありがとうございます。はじめまして、作曲家の木下正道です。

まずはタイトルをみて「この大言壮語の大馬鹿ものが!!」と怒り心頭に思われた方は幸いである。とりあえず一呼吸置いて続きを読んでほしい。また「これはニーチェの『この人を見よ』所収の「なぜ私はこんなに良い本を書くのか」のパロディを書くつもりなのか?」と感じた人は聡明である。
ご名答! 実際私は『この人を見よ』は愛読しているのだし、本心を言えばパロディを書こうと思っていろいろ構想し筆を執ったのはまぎれも無い事実であるのだが、しかし手塚富雄氏による見事な翻訳を読みながら、果たしてこの文体にどれだけ肉薄しつつパロディとして面白おかしいものが書けるのかと自問するうちに (ちなみに私は音楽の才能があると言われた事はこれまでの人生でたった一回だけだが、文才があると言われたのは枚挙に暇が無いほどである) それはやや無謀な試みである事が分かって来た。

ニーチェ/手塚の文章が巨大な岩山のように立ちはだかる。楽しみつつただ読んでいた時には思いもよらない事であった。手塚氏はこの本のあとがきにも触れられているようなニーチェの上機嫌な文体を実に上手く翻訳していると思いつつ、だがそのような上機嫌ぶりに乗っかってまんまとパロディを拵えてしまえるほどには、さすがにニーチェは甘くないのだ。
似ている物を挙げてみよう。聴いているとそんなに難しいとは思えないのに、いざ楽譜を取り寄せて弾いてみようとすると全く歯が立たない曲などが好例であろうか。私にとってそのような曲の筆頭は、ショパンの『幻想ポロネーズ』である。勿論ピアノ晩学の私にはショパンはすべて難しいが、序奏はなんとかごまかせる、しかし主部に入るともういけない。まずどうやって指を動かしたら良いのか皆目見当がつかず、途方に暮れてしまう。全然テンポが掴めない。それで3小節くらいで諦めてしまう。同じくショパンの『舟歌』も同様である。この二曲、私は本当に大好きなのだ。ちなみに『幻想ポロネーズ』はアラウ、「舟歌」はキーシンで愛聴している。

そういえば『幻想ポロネーズ』も『舟歌』も、ショパン最晩年の作品で、『この人を見よ』もニーチェの正常な精神活動の中で最後期の著作である。晩年の作品というのは、一見穏やかで (内省的ではあるかもしれないが) 上機嫌な表情の中にも、いろいろ困難な罠や一筋縄ではいかない様々な肌触りや思想が込められているのであろうか? 人は自らの晩年をどのくらい自覚出来るものなのだろうか?
しかしこの話は医学的(メディツィーニッシュ)、また半ば露骨(メディ・ツィーニッシュ)になってしまうから、取合えず話題を戻そう。
「なぜ私はこんなに良い曲を書くのか」という題を見て、それを真に受けて「ああ、木下氏の音楽の秘密が語られる時が来たのか、ドキドキ…」などと思ってくれる人が少しでもいたら嬉しいというのが本音であるし、そしておそらく「作曲者が語る木下音楽の聴き方の3つのポイント!」みたいな文章を期待されている方がいらっしゃるのかもしれない (勿論それも嬉しい事であるのだ) が、残念! 今の所私には全くその気はない。私は私、私の曲は私の曲、両者は別物である。
私は私を取り違えられたくはないと思っていて、同様に私の曲に関してもそうなのだが、それは「書かれた作品は作者を離れて一人歩きする」みたいな、ちまたでよく交わされる話ともちょっと違うのである。これにはいくつかの段階がある。
○作曲家が音符を書いて「曲が出来た」と宣言するとき、それは作品が成立したのか
○音楽が書かれ、演奏され、聴かれ、受容された時に「作品が成立した」と言えるフェイズはどこか
○そもそも音楽は「作品」となり得るのか
など、呑み屋で話すには格好の題材が並ぶ事になり、口角泡飛ばしながら酒はぐいぐい進み、居酒屋店主はしたり顔でほくそ笑む、という情景が簡単に想像出来る。
とあえていちいち書いてしまうほど、この種の議論は終わらない。なぜか。
それは至極単純かつ厄介な理由で、要は言葉の定義が各人バラバラだからなのだが、それをいちいちすりあわせるだけで数日かかるだろう。しかも音楽における議論というものはだいたいそういうもので「まずは定義が肝要 (かりそめであろうとも)」という「常識」は音楽の世界にはあまり無いと思える。「良い曲」というのもその一例で、「良い曲そのもの」などというものがあれば、全くのナンセンス、単なる「観念論」であって、「美そのもの」とか「善そのもの」とか「物そのもの」などと言うのと同じ事である。

例えば「楽譜そのもの」「楽譜に書いてある通りにやる」ということを考えてみよう。これはなかなか難しいところで、例えば四分音符=63のテンポで、中央ドの全音符で冒頭にpと書き、cresc.とdim.に2拍ずつ費やす(言葉で書くとなんて煩わしいんだろう!!)、比較的シンプルな音符だが、これを何人かのヴァイオリニストに弾いてもらえば、それぞれ全く異なった結果になるだろうことは容易に予想出来よう。
それぞれの人が、それぞれの読み方で、それぞれの身体と楽器を使って楽譜を読み「楽譜通りに」演奏する。違った結果に成って至極当然なのだが、作曲家によっては、「自分のイメージ」を忠実に再現すべく、実に微に入り細を穿って演奏に指示を出すような人がいる。
私はそういう人は自分で楽器を練習して思った通りに演奏する方が早いんじゃないかと思うが、私個人としては、作曲において、楽譜を書きそれを読んでもらい演奏にかけるという事は、ある種の「ぼんやりとした領域」を想定=設定する事だと思っている。ああ、また多くの誤解にさらされそうだが、いずれ詳述する機会を持ちたい。

さて私は作曲家として私だけが持っているものをある程度知っている (作曲家なら誰でもそうであろうが)。私の音楽に親しむ事によってどれほど音楽が過酷である (演奏にしろ、聴取にしろ) のかを身を以て体験出来よう。
要するに、私の音楽を聴くと、他の音楽も面白く聴こえるのだ。リチャード・クレイダーマンなどはその筆頭である。この高貴で繊細な私の音楽の世界に踏み入る事は比類の無い特典なのだ。そのためには断じて「ハンパなクラヲタ」であってはならぬ。それは自力で獲得しなければならない。繊細極まる耳と同時に勇敢極まる拳によって、意志を高く持つ人なら、聴くという事の真の大歓喜を体験できるはずだ。魂に少しでも虚弱なところがあったら失格である。腹部が活力に満ちていなければならない。一番いけないのは腸の中に卑怯、不潔、密かな復讐の念が潜んでいる事だ。
そんな荷物を持っていては、この大胆不敵で認識の錯綜した道へ踏み入る事は出来まい。かつて自分をいたわった事の無い者、己の習慣の中に苛烈さを持っている者でなければ苛烈な真理ばかりの中で平静に快活さを保っている事は出来まい。それだけ私の音楽は演奏が難しく、聴くのも難しい (作曲もきつい!) のではないかと、密かに思っている程度には、私は慎ましいのだ。

私の言う事がお分かりだったろうか…

(ニーチェ/手塚富雄訳の『この人を見よ』(岩波文庫)を何カ所か引用させていただきました。)

★公演情報(木下正道の今後の予定)
演奏家に訊く vol.6 ツィンバロン奏者 生頼まゆみ
5月21日(日)、16時30分開場、17時開演
場所: 御嶽神社集会場(東京都練馬区下石神井4-34-9 近く)
ツィンバロンのための「crypte VIII」が演奏される予定です。
https://m.facebook.com/events/404828566540436

アンサンブル_ツクバ コンサート #03
5月27日 (土)、16時開場、16時30分開演
場所: つくばカピオ ホール
プログラム:
フェリックス・メンデルスゾーン 『管楽のための序曲』
木下正道 『森の情景 三連画』 [委嘱新作・初演]
木下正道 『アインシュテュルツェンデ・ゴルトベルク』 [委嘱新作・初演]

つくばから世界へ、誰も聴いたことのない音を。

電力音楽演奏会 2017「夏電会」
6月3日(土) 、19時30分開場、20時開演
場所: Ftarri (文京区本郷1-4-11 岡野ビル地下一階)
木下正道 (電気機器)、多井智紀 (電気機器)、池田拓実 (電気機器)、大石将紀 (サクソフォン)
1,500円
主催:電力音楽演奏会
http://www.ftarri.com/suidobashi/

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木下正道(KINOSHITA Masamichi)
1969年、福井県大野市生まれ。小学生から高校生までの間の吹奏楽とハードロックの経験の後、東京学芸大学で音楽を学ぶ。大学入学後はフリージャズや集団即興、お笑いバンド活動なども行った。2001年度武満徹作曲賞選外佳作(審査員=オリバー・ナッセン)、平成14年度文化庁舞台芸術創作奨励賞、2003年日本現代音楽協会新人賞、などに入選。
現在は、様々な団体や個人からの委嘱や共同企画による作曲、優れた演奏家の協力のもとでの先鋭的な演奏会の企画、通常とは異なる方法で使用する電気機器による即興演奏、の三つの柱で活動を展開する。
作曲においては、厳密に管理された時間構造の中で、圧迫されるような沈黙の中に奏者の微細な身体性が滲み出すような空間を作ることを目指す。演奏会企画においては、演奏家との周密な打ち合せのもと、先鋭かつ豊かな音楽の様相を感じ取れるような音楽会を開催する。また電気機器即興は、多井智紀や池田拓実と「電力音楽」を名乗り、その他様々な演者とも交流し、瞬間の音響の移ろいを聴き出すことに集中する。
武生国際音楽祭で出会った作曲家(徳永崇、渡辺俊哉、星谷丈生)とともに、作曲家グループ「PATH」を結成、定期的に演奏会を開催する。