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東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.4 シューベルト 《ミサ曲》|藤堂清

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.4
シューベルト 《ミサ曲》
~夭折の作曲家による、最後のミサ曲

2017年4月9日 東京文化会館 大ホール
Reviewed by 藤堂 清
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:ウルフ・シルマー
ソプラノ:オレナ・トカール
メゾ・ソプラノ:ウォリス・ジュンタ
テノール:パトリック・フォーゲル
バリトン:ペーター・シェーネ
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:マティアス・ブラウアー、宮松重紀

<曲目>
シューベルト:水上の精霊の歌 D714
シューベルト(ウェーベルン編):《6つのドイツ舞曲》 D820
——————–(休憩)————————
シューベルト:ミサ曲 第6番 変ホ長調 D950
第1曲 キリエ
第2曲 グロリア
第3曲 クレド
第4曲 サンクトゥス
第5曲 ベネディクトゥス
第6曲 アニュス・デイ

 

シューベルトが亡くなった1828年に作曲された、最後のミサ曲D950を中心とするプログラム。東京春祭の「合唱の芸術シリーズ」の4回目のコンサート。

1曲目の<水上の精霊の歌>は、もともとはバリトンとピアノのための歌曲として構想されたが、のちに男声重唱曲として発表、さらに男声8重唱と弦楽合奏という形態にまとめられた。この日は、テノール16名、バス16名、ヴィオラ4台、チェロ4台、コントラバス2台という編成で演奏された。テノール、バスの各4声部が、同じ音を歌う部分と分かれる部分がひんぱんに入れ替わる。声部4名の編成であるが、各人が自分の音を正確に歌わないと揃いにくくなる。また、ヴィブラートなど声の質にも均質性が求められる。指揮者シルマーの要求があったのであろうか、全体にダイナミクスを大きくとった演奏で、迫力をもってゲーテの詩の人間の魂と水の循環の類似を歌い上げた。ただ声に関しては、上記の点が少しおろそかになっていたのが残念。

2曲目はピアノ独奏曲をウェーベルンが管弦楽用に編曲したもの。原曲はエステルハージ家の令嬢の教育用に作られ、保管されてきたもので、1930年になって出版された。この日の演奏はオリジナルの小品としてのイメージを大切にしたものであった。ウェーベルンもシューベルトとおなじくウィーンの人、そういったつながりを感じた。

後半はミサ曲第6番。通常のミサ典礼文に基づく作品だが、削除されている部分もある。
指揮者シルマーは、シューベルトの時代に先駆けたロマン派的な側面を抉り出そうとしていた。大胆なダイナミクス、言葉の強調、テンポの大きな変化といったところがあちこちでみられた。同時期の作品、《冬の旅》や《白鳥の歌》のハイネ歌曲を考えれば、不思議ではないのだが、宗教曲ということで表に出さないことの方が多い。だが、こういったシューマンやメンデルスゾーン、あるいはベルリオーズ等、もう少し後の世代から見たシューベルト像を作り出そうというアプローチ、たいへん興味深い。
ただ、演奏面でそれが成功していたかというと、シルマーの意図が十全に反映されなかった部分が多かったように思われる。一番の問題はソリスト、特に男声二人の音程が悪く、重唱部分では聴いている側が不安になるところもあった。また、オーケストラも、シルマーの要求に応えようとはしているが、柔軟性に欠け、テンポの変化に十分に対応しきれていない。中では合唱が一番彼の音楽に沿った演奏をしていたが、結果的にオーケストラと合わない部分が生まれることになってしまった。
演奏の精度を上げることができなかった指揮者の責任という考え方もあるだろうが、この合唱の芸術シリーズ、これまで比較的良い演奏が続いてきただけに、今年は残念な結果となった。来年の挽回を期待したい。