アヴィ・アヴィタル&ヴェニス・バロック・オーケストラ|大河内文恵

アヴィ・アヴィタル&ヴェニス・バロック・オーケストラ

2017年4月25日 浜離宮朝日ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
アヴィ・アヴィタル:マンドリン
ヴェニス・バロック・オーケストラ
アンナ・フューセック:リコーダー

<曲目>
ロカテッリ:コンチェルト・グロッソ ハ短調 Op.1 no.11
ヴィヴァルディ:リュート協奏曲 ニ長調 RV93
エイヴィソン:ドメニコ・スカルラッティのソナタに基づく12のコンチェルト・グロッソより 第3番 ニ短調
ヴィヴァルディ:2つのマンドリンのための協奏曲 ト長調 RV532

~休憩~

ロカテッリ:6つの劇場風序曲 Op.4より 第4番ト長調
ヴィヴァルディ:マンドリン協奏曲 ハ長調 RV425
パイジェッロ:マンドリン協奏曲 変ホ長調
ヴィヴァルディ:協奏曲「四季」より “夏” ト短調

(アンコール)
ヴィヴァルディ:リコーダー協奏曲 ハ長調RV443より 第2楽章
ブチミス(ブルガリアの伝承曲)

 

間違いなく、マンドリンという楽器の概念が一変した夜だった。おそらく聴衆の多くはアヴィタルの名前はあまり気に留めず、ヴェニス・バロック・オーケストラの演奏会ならばと足を運んだのではないだろうか。

1曲目。ロカテッリの『6つの劇場風序曲』は、コンチェルト・グロッソの醍醐味を存分に感じさせた。独奏楽器が複数あると、ふつうはソロの要素が薄れて中途半端になりがちであるが、弦楽四重奏と管弦楽とを同時に味わえて、1粒で2度美味しいというのがヴェニス・バロック・オーケストラの演奏であった。チェロとリュート以外は立奏という彼らの演奏形態はフットワークの軽さを生み出し、音楽を生き生きとさせるのに一役買っていた。

マンドリンというと、中学高校あるいは大学のマンドリン・オーケストラのイメージをもつ人も多いのではないだろうか?トレモロを主体とした一糸乱れぬ音楽は独特の魅力をもつ。しかし今夜のマンドリンはそれとはまったくの別物であった。

音量の小さな楽器というイメージを見事に裏切り、トレモロも最小限。ソロ楽器として1台で充分アンサンブルに対抗しうる迫力をもっており、マンドリンってこんなに凄い楽器だったっけ?と何度も目をこすりたくなるほどだった。

今回のプログラムは協奏曲もしくは序曲、すなわち3~4楽章というほぼ同じ楽曲構成の8曲が並べられたものだった。各楽章は前半と後半に分かれていて、それぞれが繰り返しを持つ。正直、途中で飽きてくるのではないかと心配していたが、全くの杞憂だった。たしかにリピートはしているのだが、2回目は巧みなアレンジが加わえられていて、同じものを2回聞かされている感覚はまったくない。

何より、弾いている奏者たち自身がとても楽しそうなのだ。パイジェッロを除くすべての曲で楽譜には指定のないリュートが加えられているが、リュート奏者の入れる合いの手が職人技で思わず唸りたくなる。かと思うと、マンドリンとチェロ、あるいはマンドリンとリュートの掛け合いに妙技をみせる。「こんなにいい曲だったっけ?」と自らの音楽体験を振り返りたくなることもしばしばであった。

前半の最後はヴィヴァルディの『2つのマンドリンのための協奏曲』。つい先ほどまでヴァイオリンを弾いていたフューセックがリコーダーを手に登場し、ソロはマンドリンとリコーダーのツートップ。さすがにトゥッティの箇所ではリコーダーの音が埋もれがちだったが、耳が慣れてくると、他の楽器と一緒でもちゃんとリコーダーの音が聴こえてきた。さらに随所でリコーダーの技巧の冴えわたること。演奏が終わったときには、まだ前半の最後なのに、終演後であるかのように拍手が鳴りやまなかった。

イタリア様式の楽章構成(急緩急)のマンドリン協奏曲を聴いていると、2楽章のメランコリーな部分がマンドリンの音色とよく合っていて、こういう曲想が似合う楽器なのだなと実感するのだが、3楽章が始まった途端、やっぱりこういう軽快なのもいいなと思い直すという好印象の上塗り状態が続いた最後に、パイジェッロの『マンドリン協奏曲』。カデンツのテクニックの華麗さは想像を遙かに越えていた。メランコリックな2楽章も含めどの楽章も素晴らしく、「楽章間に拍手しちゃいけないって誰が決めたんだろう?」と見知らぬ誰かを呪いたくなったくらいである。

最高潮に盛り上がった最後のヴィヴァルディでは、バロック・チェロに魂を持っていかれた。今回、2人来るはずだったチェロパートのうちの1人ボーヴォが急病のため来日できず、トッファーノ1人ですべてのチェロパートをつとめたが、十二分にその役目を果たしていた。

本編の盛り上がりをアンコールの1曲目でしっとりと鎮めた後のアンコール2曲目が、アヴィタルの真骨頂であった。彼の奏でるマンドリンは、エレキギターのようにも津軽三味線のようにもフラメンコギターのようにも見え、まさに変幻自在。ギターの世界で、セゴビアがいなかったら今のギター界はないと言われているように、いつか、アヴィタルがいなかったらマンドリンの世界は変わらなかったと言われる日が来るのではないか、そんな予感がした。