ヴォクスマーナ 第36回定期演奏会|齋藤俊夫

ヴォクスマーナ 第36回定期演奏会 伊左治直 

2017112日 豊洲文化センター
Reviewed by 齋藤俊夫
写真提供:ヴォクスマーナ

<演奏>
指揮:西川竜太
混声合唱:ヴォクスマーナ

<曲目>
(全て伊左治直作曲)
Nippon Saudade(2008)、詩:陶淵明/訳:川島雄三
謎の音楽(2009)、詩:三好達治
なんたるナンセンス!(2010)、詩:作者不詳/訳:柳瀬尚紀
あたらしい歌(2010)、詩:ガルシア・ロルカ/訳:伊左治直
グランド電柱(2011)、詩:宮沢賢治
春の楽語集(2011)、詩:伊左治直+新美桂子
一縷の夢路(2013)、詩:新美桂子
或る日の手紙(2013)、詩:新美桂子
カリビアン・ジョーク(2013)、詩:池辺晋一郎(補作:伊左治直)
人の声(2014)、詩:新美桂子+伊左治直
人生のモットー(2014)、詩:エドナ・ミレイ/訳:伊左治直
谷間に眠る男(2015)、詩:アルチュール・ランボー/訳:伊左治直
ヨルガオ(2016)、詩:新美桂子
雪(2016)、詩:新美桂子
アンコール(2016)、詩:新美桂子

 

1996年に指揮者・西川竜太の呼びかけによって結成された、現代音楽をレパートリーの中心とする1人1パート編成による声楽アンサンブル「ヴォクスマーナ(Vox humana、ラテン語で「人の声」を意味する)」。今回はその定期演奏会のために2009年からアンコール・ピースを手がけてきた伊左治直の作品の個展である(2008年の『Nippon Saudade』はアンコールではない通常の委嘱作品で、今回の最後の『アンコール』は今回の新作委嘱作)。

アンコール・ピース集ということで、現代音楽と違う、いわゆる普通のクラッシックの合唱団でもそうそうないと思われる、長調の歌が延々と続く本公演(長調でないのはアンコール・ピースではない『Nippon Saudade』の短いコーダに至るまでの10分くらいと『谷間に眠る男』のみ)、実に甘かった。交響曲や組曲において、あるいはソナタ形式の曲の提示部と展開部などで、長調と短調が組み合わされるのには音楽的・生理的・精神的理由があるのかと改めて知るほど、甘さの人間的限界に挑んできた。しかしこの甘さにいつまでもひたっていたい、ひたったままとろけて溺れ死んでも良いとすら思わされもした。

だが不思議なのは歌われる詞(多くは新美桂子による)は叙情的ではなく叙景的であり、感情を表すような文言などほとんどないことである。なのに何故歌声となったときにこのように人の感覚と感情に訴えかけてくるのであろうか?何故人間的な感情表出から離れたものが人間的なものを呼び覚ますのか?そこには何か誤解や錯誤があるのではないか?いや、事実は逆であろう。叙情という軛を排したときに初めて捉えられる人間的な音楽、それを伊左治は歌という形で我々に示してくれたのだ。

「思想に満ちて、嘆きや不安にけがれていない、欲にもけがれていない、明るく、穏やかな歌。叙情的な肉をもたず、静寂(しじま)を笑いで満たす歌」、今回歌われたガルシア・ロルカの『あたらしい歌』の一節である。そう、伊左治の歌は「あたらしい歌」なのである。これまで誰も聴いたことのない、だが、真に人間的な、けがれのない彼の歌を我々はヴォクスマーナによって聴くことができたのである。

だが音楽の不思議はまだ解かれていない。そもそも、何故空気の疎密波の振動に過ぎない音楽が「人間的」でありえるのか。この大命題に言葉で論理的に回答することはおそらく不可能だろう。だが我々人間は確かに音楽に人間性を聴き得るのであり、この命題に対しては人間的な音楽とそれを聴く我々の感覚をもって回答とするしかない。しかしそれは不思議に不思議を重ねることに他ならない。だが、これこそが音楽の本質なのであり、これこそが『謎の音楽』で三好達治が語った「こころよい不可思議、解きがたい謎の、音楽」なのだ。そんな不可思議に出会うために、また我々はヴォクスマーナの演奏会を訪れることになるのだろう。