シューベルト—こころの奥へ|小石かつら

シューベルトこころの奥へ
Vol.4 歌曲集《冬の旅》

2017113 いずみホール
Reviewed by 小石かつら(Katsura Koishi
Photos by 樋川智昭/写真提供:いずみホール

<演奏>
ユリアン・プレガルディエン(テノール)
鈴木優人(フォルテピアノ)

<曲目>
シューベルト:歌曲集《冬の旅》op.89, D911

 

冒頭のピアノが連打しはじめたとたん、ぐいとシューベルトの世界へと連れていかれた。やさしいけれども有無を言わさぬ力強さで。鈴木優人は、まるで鍵盤が自分の指に吸い付いているかのように、いとも自在にフォルテピアノを操る。しかもそれは、視覚的には、無造作にさえ見えた。丁寧に楽器と語り合っているのではなくて、まるで身体の一部であるかのように、シューベルトの旋律や和音で遊んでいる。

歌とフォルテピアノは、独自の世界を築き上げる。物理的にぴたりと合うアンサンブルではなく、2人の奏者が、それぞれ別の主体として、音楽を重ね合う。それが今日の基本路線だった。歌とピアノのアンサンブルでは、ともすればピアノは遠慮するものだ。しかし鈴木は、表面的に合わせることは絶対にしない。個が2つ。しっかりと寄り添うけれども、けっして一体化はしない。完璧だった。

第11曲の「春の夢」では、音色の多彩さに、光のきらめきを見ているようだった。 音の世界に居たはずが、眼前にひろがる色、というか、風景に、驚きを隠せなかった。

プレガルディエンは、とつとつとした「語り」がとてもうまい。日本語の字幕はあったが(筆者の視力では読めず)、原語のドイツ語は、配布物もなかった。しかし、歌詞は全てを書き取ることができるくらい明瞭で、意味のある存在としての言葉が、残酷さを剥き出しにして、聴く私に迫ってくる。音楽そのものの行間に響く沈黙さえもが、凍りつくような語りの威力。

あまりに演奏がすばらしいので、演奏に釘付けになって聴いていたはずが、いつの間にか、シューベルトの作品世界に入り込んでしまっていて、気がつくと、もう終わりにさしかかっていた。会場も、ぴくりともしない。演奏そのものが、1時間半の時間と共に流れるひとつの旅だった。

終曲の<ライアー回し>。ナネッテ・シュトライヒャーの楽器を使うとチラシで知ってから、実のところ期待していた。けれども、本当にペダルの操作がなされて、ライアー(手回しオルガン)の音が鳴った時、思わず「ここはどこか」と確認したくなるほど、衝撃をうけた。非日常としての演奏会場のなかに居て、今この時間が現実なのか、何なのか、錯乱してしまいそうな感覚に陥った。

これを書いている今でさえ、手が震えるほど興奮がよみがえる。作品という存在(内容)と、演奏という行為。それを演奏会場で共有した聴者としての時間と、日常の生活。非日常としての音楽が、圧倒的な力で日常を覆う。曲目解説に堀朋平は「この楽器は、共同体からはじき出された存在のシンボルである」と記し、「共同体と孤独な人間は、どう折り合いをつけることができるのか?200年の時を経てシューベルトが私たちに突きつける、最も深い問いである」と、文章を閉じている。一夜の演奏会が人間(わたし)の存在を問う。こういうことがあるのだ。

関連評:ユリアン・プレガルディエン&鈴木優人(紀尾井ホール)