東京都交響楽団 第822回 定期演奏会Aシリーズ|藤原聡   

%e9%83%bd%e9%9f%bf東京都交響楽団 第822回 定期演奏会Aシリーズ

20161219日 東京文化会館
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団

<演奏>
指揮:ヤクブ・フルシャ
コンサートマスター:四方恭子
東京都交響楽団

<曲目>
マルティヌー:交響曲第5番 H.310
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番 ホ短調 op.93

 

フルシャ、2年ぶりの都響登壇である。実は昨年12月に登壇予定であったがウィーン国立歌劇場からの出演要請を受けキャンセルになったという経緯があり、今回の登壇はファンにとっては待ち遠しいものであった。今回は計6公演を振るが、その内19日の公演について書く。

フルシャのマルティヌーと言えば、筆者は聴けなかったものの2010年都響登壇時の『交響曲第3番』が大変な名演だったと聞くが、今回の『第5番』も非常に密度の濃い演奏を聴かせてくれたと思う。メロディらしいメロディがあまりなく、様々な断片的音型がモザイク状に組み合わさった上に同一音型の反復が多いこの曲は、演奏者にとっては合わせるのも難儀なことだろうが、フルシャと都響の演奏に乱れらしい乱れは全くない。それどころか、実演で滅多に聴くことのないこの曲を「とりあえず音にしてみました」というレヴェルを遥かに超越した音楽となっていたのは、さすがの都響と言えどもフルシャの導きあってこそだろう。
録音に聴くこの曲ではノイマン&チェコ・フィルの演奏が名高いが、あれに比べれば当夜の演奏はいかにもシャープで曲のモダニズム的側面が露になっている感。このクールさと精緻さもまた別のマルティヌーの魅力を引き出していた。

さてショスタコーヴィチであるが、音楽的な質は大変に高い。都響はいつにも増して骨太かつタイトな響きを聴かせ、音響のデッドな東京文化会館という事を半ば忘れさせるほどにオケが鳴り切っていた(まるでムラヴィンスキーか、と思わせるほどの快速テンポによる第2楽章の凄絶さは圧巻)。全曲通じての構成感、クライマックスへの音響的な設計も巧みで、オケの好調(特にホルンと木管群)と相まって非常に聴き映えがする。
しかし、フルシャの演奏でやや物足りないのはアイロニカルなものへの眼差しの不在である。例えば第1楽章の第2主題で現れるフルートのワルツや第3楽章、あるいは終楽章コーダなどではひたすら直裁に楽曲に切り込んでいく。いわば「押し相撲」で通したとも言えるが、もう少し陰影も欲しくなって来る。1つの解釈としてもちろんありうるものだろうが、筆者にとってはやや生真面目過ぎた感。

今回のフルシャではマーラーの『巨人』とベートーヴェンの『第9』公演にも接したが、現代的なシャープさと同時に実直でインティメイトな音楽作りをするのがフルシャであると再認識。この音楽により多面的・多層的な味わいが付加されてくるのを楽しみにして(何せまだ35歳である)、フルシャの演奏を今後も追って行こうと思う。

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