カデンツァ|「欅坂46」、長渕剛、ミリタリールック|丘山万里子

「欅坂46」、長渕剛ミリタリールック

text by 丘山万里子(Mariko Okayama

tyct-69111夜、なんとなくつけたTVの番組で(12月7日<FNS歌謡音楽祭第一夜>)、知った顔のバンド、アルフィーが出てきて、もうすっかり年配の彼らが、ナポレオン時代を思わせる装飾軍装の格好で歌うのを、ん?と思った。
先般、「欅坂46」というアイドルグループがハロウィンライブにナチスそっくりの衣装で登場、問題になったことを思い出したのだ。
私はミュンヘンに住んだ時、ダッハウへ行き、ポーランドの旅の折にはアウシュビッツを訪れた。ガス室では思考も感覚も完全停止、朝、友人にもらった小さな花束を置くのがやっとだった。それでも私は、行くべき場所だった、と思っている。
彼女たちがナチスの服で歌い踊るのは(認識不足だった、だ?ソニー・ミュージックエンタテインメントよ、「私ども」全員でアウシュビッツに行ったらどうか)、ほとんど犯罪だ。
と、そのニュースに接した時の憤りがぶりかえしてきたところ、くだんの女の子たちがキャピキャピ現れ、やはり軍装っぽいひらひらバージョンで、これがいまどきなのか、と考え込んだ。
『ベルばら』などのコスプレでも、この手の衣装(ナチスとは違うが)は人気があるらしいが、これは肋骨服ともいわれるもので、胸の部分のデザインは「肋骨」である。
なぜそうなったかといえば、そもそも、軍服というのは、1対1の戦いに際して敵を「威圧し、怖がらせる」目的で作られたもので(戦いの喚声と同じ役割)、戦士たちはそれぞれ悪魔、骸骨、獣の扮装などに趣向を凝らしたそうだ。髑髏もそう。火薬が発明されてから、1対1の戦いなどなくなってゆくが、相手を怖がらせたいという欲求が(骸骨の肋骨を見せて威嚇する)そのまま服のデザインに残った。
これは昔、『衣服の記号論』(アリソン・リュリー著/文化出版局)を読んで知ったことで、「どんな制服でもまったくのお仕着せを身につけるということは、個人としての行動を棚上げにすること」で、これを言論に例えるなら「部分的あるいは全面的に検閲を受け入れることを良しとすることである」とも書いてあった。
軍服は制服の最たるもの。「絶対服従」の象徴だ。

軍装すなわちミリタリールックは、別にいまどきばかりでなく、ビートルズは戦争反対のメッセージで着用したというし、前述のアルフィーが歌ったのは『あの時君は若かった』(ザ・スパイダーズ)で、60年代後半のグループサウンズ全盛期の懐古もの。このファッションが受けた時代であり、ベトナム戦争で世界が暗雲に覆われていた頃の歌だ(だから着たのかどうか)。
私はでも、当時は彼らの格好をさほど気にしなかった。もちろん戦争は嫌だ、と思っていたが、正面から向き合うことはなかった。ベ平連が活発に活動し、反戦のフォークソングが広場を満たすのを、何となく共感して見守る、くらいだった。
だが今、世界の暗黒が迫るこの時、アイドルの軍装とはどういうことか、考えてしまう。リュリーには「衣服は言語」という言葉もあったし。

51eogmx6uhlなどなど、お祭り騒ぎの歌番組を、見たり見なかったりやり過ごしていたら、最後に長淵剛が出てきた。私は昔の彼の歌が結構好きで、車を走らせながらよく聞いたものだ。もちろん『乾杯』も。
いささか仰々しく紹介された長淵は派手なジャケットを着こみ、あたりを見回し少し微笑んだ。が、ギター一閃、一声叫ぶと空気が一変した。
「アメリカの大統領が誰になろうとも 凶と出るか吉と出るかって そりゃ俺達次第じゃねぇか 今日もマスメディアの誰かが 無責任な話ばかりしている」
叩きつけるようにそう言ったのだ。
私は画面を凝視した。彼の台詞は延々続く。
「これ以上答えのねぇ話なんか聞きたかねぇ。歌の安売りするのもやめろ!」
浮かれていた会場の歌い手達が凍りつく(と私は思った)。
「日本から歌が消えていく 日本から言葉が消えていく」
「自らの言葉をつむぐ歌い手たちが 群れをなして魂の歌を産むならば 俺たちは歌によって 正しい道を見つけることが出来るのに ウ・タ・ヨ・ノ・コ・レ」
「俺たちの東北、仙台、俺たちの九州、熊本、そして福島も頑張ってんだ。オリンピックもいいけどよぉ」
「騙されねぇぜマスコミ 騙されねぇぜヒットチャートランキング 騙されねぇぜワイドショー」
時々吠えながら、彼は言葉を浴びせかける。
『乾杯』の最初のフレーズにたどり着くまで、どれくらい時間が経ったか。
長淵の思想性を私は知らない。でも、ここでの彼の言葉はまっとうだ、と思った。

長渕の台詞はテロップで流れていたから、このパフォーマンスは了解事項だ。
『乾杯』に入る直前の詞はこう。
「けなげな少女の瞳が今も銃弾に撃ち抜かれていく 岸に倒れた名もない兵士は 母の名を叫んで死んだ アジアの隅に追いやられてきた しなび切ったこの島国で 屈辱の血ヘドを吐きながら今日も俺たちは歌う」
ボブ・ディランの『風に吹かれて』を彷彿させる。

歌い終わって、カメラが司会者や他の出演者の顔をアップにする。アイドルたちは相変わらずキャピキャピ笑顔を振りまき、中に2、3人真顔の歌手がおり、司会者は何事もなかったように普通に締めくくり、感想を聞かれたワイドショーの小倉智昭が固い顔で一言とってつけたように何かつぶやいたが、画面はそこで消えた。

61xx3szitl-_sx355_後日、「欅坂46」が総合プロデューサー秋元康の詞で『サイレントマジョリティー』という歌を出しているのを知った(デビューシングル2016年4月発売)。
「人が溢れた交差点をどこへ行く?(押し流されて) 似たような服を着て 似たような表情で」
「この世界は群れていても始まらない  Yes でいいのか? サイレントマジョリティー」「どこかの大統領が言っていた(曲解して) 声を上げない者たちは 賛成していると・・・」
あれ?軍装制服アイドル路線って、まさか一種のプロテスト?長渕と彼女たちとは、方法論の違いなのか?ナチス服着せたのは、「認識不足」(秋元は、知らなかったと言った)だけじゃないのか?それとも無知をよそおう裏に深謀遠慮が?(その後たまたま私は彼女たちの『サイレントマジョリティー』をTVで目撃したが、肋骨バージョン・スカート制服だった)。

フランスの哲学者アランの『プロポ』にはこんな言葉がある。
「思考は、我々が信じたがっているよりはるかに、衣装、ないしは制度に属しているのである。」

それから数日後、ユニクロのチラシに「トレンドのミリタリー風パーカ」という小さな文字を見つけた。
ユニクロはUNIQUE CLOTHING WAREHOUSEを略したものでユニーク(独自)な衣服を客が自由に選ぶ、というのがネーミングの由来らしいが、私はむしろユニ(uni単一)・クロに限りなく近く、現代のユニ・フォーム(制服)の権化ではないか、と思っている。私もTシャツとか、着るけれど。

消費されるものと、残るもの。UNIとUNIQUE。
「ウ・タ・ヨ・ノ・コ・レ」の言葉を反芻しながら、思う。
TVのワン・シーンが語るものは、存外大きく、深いものなのでは、と。